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イスラム教徒は、全世界の人口の約1/3にあたる20億人もいるといわれている。中国・韓国などアジア圏からの渡航客が目立つ中で、次はイスラム圏の訪日観光客を迎えるべきとの思いが語られている。ただ、ムスリム(イスラム教徒)を招くには、それなりの整備も必要で、現日本では不十分といわざるをえない。「欧米でハラール料理と銘打たないのは、イスラム教徒が多く住み、彼らが調理しているために謳う必要がない」と専門家は話す。ところが日本にはイスラム教徒は少なく、その宗教的知識も持たないために、ある程度勉強して調理に臨む必要性が出てきた。ハラール対応調理講習会は、ムスリムを迎えるために和食の調理人が勉強すべきことを習得する場。9月27日に静岡市で行われた講習会を受けて再度(第29回目参照)ハラール和食について考えてみたい。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
ハラール対応料理は考えている以上に複雑
最近、観光地を巡っていると、日本人はどこに行ったのだろうと思ってしまう。それくらい海外からの訪問者が多く、特に中国・台湾・韓国といった国の人達が目立つ。安倍政権になってからビザの緩和などがあって外国から観光客が来やすくなった。その数は年々鰻昇りで増え、政府は2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでにその数を3000万人にすると掲げているくらいだ。現在は中国からの観光客が目立っているが、やがてそれがイスラム圏に達するといわれている。イスラム教徒が多いマレーシア、インドネシア、ドバイなどはその対象国で、富裕層も多いと聞く。彼らに日本の魅力がうまく伝われば、訪日数3000万人なんて軽く突破してしまうだろう。
ただ中国や韓国(仏教圏)、欧米(キリスト教圏)と違ってイスラム教徒を受け入れるには整備も必要となってくる。礼拝施設の設置もさることながら料理面での課題も残る。単にアルコールがダメで、豚がダメではすまされず、それを少しでも使ったものを排除しなくては前に進めない。日本料理でいうならみりんは使えないし、煮切り酒といった手法も不可。おまけに一般的な醤油・味噌・酢はアルコールでその発酵を止めているので使えないと来ている。白い砂糖だって同じ、豚骨粉を材料に用いているならば全く使えない。いわば、我々が常に食べている食事が彼らには出せないということだ。
「イスラム教徒が安心して食すためには、ハラール和食の制度化が急がれる」。そんな声をまず挙げたのは、大阪樟蔭女子大学の田中愛子教授である。その思いを具現化するためにハラール和食の研究を重ね、整備にと奔走したのが大阪府日本調理技能士会の室田大祐会長だった。この動きは同コーナーの第29回にいち早くレポートした。というのも私もこの動きに絡んでおり、室田さんらとハラール和食整備を行うメンバーの一人だからだ。
当初は田中愛子さんや室田大祐さんが理事を務める日本料理国際化協会でハラール和食の調理士講習会を実施していたが、日本国がようやくその整備の大事さに気づき、本腰を上げて来たために今年から全国日本調理技能士連合会(全調理技連)なる厚労省管轄の団体に主催が移り、その下部組織の大阪府日本調理技能士会が中心となってそれを推進することになった。今後、全調技連が催すハラール対応調理講習会を受講すると、ハラールの知識習得とともにハラールに対応した日本料理の技法が学べ、ハラール対応調理講習修了証が与えられることになる。この修了証を店に掲げておれば、ある程度の知識を得た料理人が調理している証明になってムスリム(イスラム教徒)が安心して食事が摂れるようになるのだ。
これまでハラール対応調理講習会は、大阪と東京で行って来た。国が地方でもやるべきとの指針を明らかにし、全調技連などに働きかけた。いち早くその情報を察知して手を挙げたのが静岡県だった。9月26日に静岡駅から程近い中央調理製菓専門学校を会場にそれが実施された。開催には静岡県日本調理技能士会や静岡県専門調理士連合会・瑞松会が尽力していた。静岡県経済産業部産業革新局マーケティング課で話を聞くと、川勝知事がその整備に熱心で、県のHPにもハラールの頁を作り、静岡空港内にもお祈りスペースを設置したりと、いろんな面でハラールポータル事業に取り組んでいるらしい。同課の土屋貴幸さんも「わが県には日本一の山・富士山があるので訪日観光客は多い。ムスリムの人達は安心して食事ができるよう県を挙げて整備していくつもりです」と語っていた。これくらい行政や地元の調理士会の有力者がやる気になっていれば、ハラール和食の整備は進んでいくと思われる。
「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」誕生の重要性
ところで9月27日のハラール対応講習会には50名ほどの静岡県内外の調理師が参加しており、その質問からもかなり熱心な姿勢が垣間見られた。イスラム教徒で地元に住むアサディみわさんの司会のもと、私が趣旨説明をし、その後、日本ハラール協会の四辻英明さんの講義(イスラム教にまつわる話)が行われた。第二部は室田大祐さんの調理講習会。ここでは、酢をレモンで代用したり、酒やみりんが使えないので調味料はハラール認証された鰹節、昆布、みりん風調味料、醤油、塩、砂糖で行っていることなどの説明がなされた。このうちハラール認証された醤油は湯浅醤油が「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」を造っているとして室田さんが商品を見せながら説明している。元来、同醤油はハラール醤油に美味しいものがなかったために、室田さんが新古社長に協力をあおいだことに因したもので、通常の醤油と区別できるようなハラール専用設備を導入して仕込んでいる。これができたことで室田さんは、本来の日本の味をだいぶんと表現できるようになったはずだ。
ハラール和食調理講習で室田さんが行ったのは、座付きの無花果、グリーンアスパラ、手作り豆腐胡麻ソースと、五目茶碗。前菜の牛おこわ、一寸豆海老挟み揚げ、鱚一夜干し、鳴門金時の檸檬煮、ミニトマトクリーム、猪口=アボカド、サーモン、味噌マヨ和え。グラス=菜の花芥子和え。椀物が豌豆擂り流しと百合根擂り流し。造り二種に、野菜焚物(白菜のハイカラ煮)と油物(海老の天ぷら)、大阪風すき焼き、そして食事の釜炊き銀米、味噌汁、デザートの順であった。この中で室田さんは、みりんを用いた割下ではなく、砂糖と醤油で作る関西ならではのすき焼きをメインにと紹介し、彼らの嗜好にもその味を受け入れやすいと述べていた。また油物では海老の天ぷらをチリソースで食すことも薦めていたのだ。ただ、日本で市販されているチリソースは、原材料に酒精と記されているために使えないとし、ケチャップも醸造酢が添加されているために注意してほしいと指摘、自家製のチリソースを作るようにと話していたのだ。ここでも豆板醤を作る際にハラール醤油と味噌は重要で、これらにゴマ油と鷹の爪などで作ったとしている。何はともあれ、和食を作る時に味のベースとなるだしや味噌、醤油は必要。新古さんがハラール和食に興味を抱き、その手の醤油を造ってくれたことは、室田さんが調理をする上で助かったのは言うまでもないだろう。塩とバターを作っていく西洋料理に比べ、日本料理は調理料重視ともいわれている。それだけにアルコール感の心配がない「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」の完成は、我々が食すものと遜色のない味を彼らに届けられる。そんな道ができたと思われる。