2018年02月
59

 正月になくてはならないものとして数の子がある。高級食材として知られており、北海道のメーカーから買ってそれを味わうのがよしとされている。でも我々が口にする塩漬けした黄色いものは、太平洋鰊の卵で、アラスカやカナダで獲れたもの。今ではそれがグレードが高いとされている。今回は数の子の謎に迫るべく、鰊の話を聞いて来た。取材対象は、濵田信吾先生で、大阪樟蔭女子大学に常駐して教鞭をとっている人類学の先生だ。米国・ポートランドの大学院に留学し、「アイヌ研究の発展について」の論文を書き上げ、さらに北海道を歩いて鰊漁について調べた。そんな専門知識を有する人だけに興味深い話が聞かれた。その一部を紹介したい。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
北海道からアラスカへ_、その形態と目的は違えども鰊漁は健在なり!
人類学の専門家にその実態を聞いてみた。

かつては隆盛を極めた漁業も今は…

CIMG6275CIMG5511

このコラムで何回か指摘しているが、やはり日本の海には異変が起きている。近年、初秋に秋刀魚が獲れなかったり、鱧の産卵や冬眠がずれ込んだりと、漁師の頭を悩ますことが度々起こっている。これを地球温暖化問題や乱獲なる言葉で片づけていいものだろうかと陸で暮らす我々でも思ってしまうのだ。
魚が獲れなくなった代表例では鰊漁が顕著。かつては鰊御殿が建てられ、北海道で隆盛を極めたのが今では獲れなくなってしまった。写真に見られるのは大正8年の光景。時化で大量に鰊が浜に打ち上がったものである。1880年頃は、百万石時代と称され、100万tに近い鰊が定置網で獲れている。鰊は群れでやって来る。それを漁師が待ち受けて網で獲るのだが、まさに博打的要素が強く、一獲千金を夢見た漁師が何人も北海道にはいたようだ。大阪樟蔭女子大学で講師として教壇に立つ濵田信吾先生は、文化人類学が専門でアイヌの研究をしたり、アラスカでの鰊漁を調べたりしている。そんな氏が昔は海が白濁していたと説明するのだから、それはそれは凄かったのだと思われる。「鰊は生まれた所に戻って来る習性があります。北海道まで群れを成して来てそこで雄は精子を出し、雌は卵を産む。そんな現象から海が白濁色になっていたそうです」。鰊は冷たい水に棲む。沿岸に戻って来ては、海草類に卵を産みつけるのだ。育つには甘い水が必要だそうで、陸地から流れる水の関係でしょっぱさが薄まり、いわゆる甘い水になるとされていた。海水温の上昇もさることながら北海道沿岸近くの塩分濃度が変わってしまったのも大きな要因とされていると濵田先生は説明してくれた。

CIMG5028

北海道の鰊漁は、1940年代に一度減り、さらに20年後また減っている。ただ小樽周辺では減ったものの、厚岸辺りではよく獲れていたとの報告も得られているのだ。かつて鰊は食用としてだけではなく、肥料に活用された。みがき鰊や干し数の子はほんの少しだけで、大半は農業肥料として使用されていたのである。それが50年代に魚肥から化学肥料へと変化し、その需要が幕を閉じて行ったようだ。北海道の漁師達は、鰊漁が駄目になると、海老や蟹、帆立、鮭にシフトして行き、それらを獲るために漁村は存在して行く。かつて日本の三大産業とまでいわれた鰊漁は、こうしてその役割を終えつつあった。

アラスカの鰊漁は数の子輸出にある

Hamada_大阪樟蔭女子大_009Hamada_大阪樟蔭女子大_003

北海道に替わって鰊漁が盛んになったのはアラスカ。日本に数の子を輸出するために90年代末頃から鰊漁が盛んになっている。濵田先生がアラスカで聞くと、現地の人達は「日本人は数の子というのを好むらしい」という程度だったらしいが、その需要がすごいので師とも呼ぶトム・ソーントン先生からは「日本人は毎日数の子を食べるのか」と不思議そうに聞かれたそうだ。濵田先生は「正月に食べるもので、毎日食すわけではない。むしろ消費は減っているように思う」と答えたが、師は「それではおかしい。アラスカでは獲る量が増えている」と首を傾げた。そんなこともあって氏は鰊の研究へと没頭していった。
そもそも濵田先生は、英語の先生を志して奈良市立大学を卒業している。卒業即教員にならなかったのは、本人曰く「日本にいがちな英語の話せない先生がまた一人増えそうだったから」である。そこでオレゴン州ポートランドの大学院留学をと渡米した。濵田先生は米国生活が気に入り、そこでソーントン先生とも出会い、歴史と文化人類学を勉強する。先住民の生活などを学びながら北西海岸の鰊漁などに触れた。ある時、ソーントン先生からのアドバイスで北海道の先住民であるアイヌ民族について調べ始めるようになる。そして徐々に北海道を歩くようになり、鰊漁についても研究するようになった。「鰊はエコな魚なんです。鮭も生まれた地に戻る習性はありますが、産卵を済ますとそこで一生を終えます。ところが鰊は死なずに再び沖へ泳いで行く。他の大きな魚に食べられなかったら翌年再び戻って来るんですよ」。濵田先生の話では、アラスカの先住民は魚そのものには興味はなく、ひたすら卵を狙って捕獲するという。「木の枝を浸けておくと、そこに産みつけるんです」。そして鰊は沖へと戻って行く。アラスカ側が数の子需要のために鰊の卵の漁を行うからだそうで、漁といってもこんな違いが両国にはある。

IMG_1637CIMG5579

アラスカでは、鰊を獲って冷凍にし、日本へ送っている。例えば留萌の有名メーカーでは、腹を割いて卵を出し、数の子にする。卵が取られた親はヌカ鰊になるそうだ。身が柔らかくて好まれないというのがその理由らしい。かつて日本の船団が鰊漁に出かけていた名残がアラスカにはある。「彼らは数の子をわさび醤油で食べる文化を残していったんです」と氏は話す。そして少なくなったとはいえ、アラスカの人達の味わい方としてアザラシの油に漬けて食べるのがある。わさび醤油もいいが、一度それも試してみたい気がする。
日本では、よく乱獲が問題視される。肥料としてその役目を終えたとはいえ、あれだけ獲れていた鰊がなくなったのであるから環境変化もさることながら乱獲もあったに違いないと私は考える。海外と日本では、資源のイメージが違い、外国は駄目なら回復を待つ傾向が強い。それに反して日本は獲りつくす。近年、イカナゴが不漁なのは釘煮ブームによって獲りつくしていることが原因であろう。獲った魚を漁協に任せるやり方は世界的な評価があるのに、そんな点を考慮しないのはなぜだろうかと思ってしまう。濵田先生によると、1996年に北海道で鰊資源増大プロジェクトがスタートし、稚魚を放流しているそうだ。後志では、放流した鰊が戻って来たとの報告があり、それらが小樽漁協で揚がっている。なくなったらそれで無用とするのではなく、再びかつての漁場に戻して行く_、そんな動きがあることを高く評したい。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい