137 2025年03月だしは料理の基本の「キ」。特に関西の和食は、だしの良し悪しが決め手となると言っても過言ではない。だしをテーマにした店をと、「だし蔵」が千里中央に店を出したのは、2015年の話。それからコロナ禍もあって「太鼓亭」の元社員であった福本康利さんが、その経営権を買い取って同じ場所で「だし福」と名乗って店を引き継いでいる。福本さんによれば、「だし蔵」のアンテナショップだったのが、今では「だし蔵」を中心としてだしテーマのセレクトショップに様変りしたそう。ところがイートインのだし茶漬けは、「だし蔵」時代から変わらぬ人気で、様相も変わっていない。女性客や年配客中心に賑わっているようだ。そこで久しぶりに福本さんに会いにこのコーナーの取材を敢行する事に。さて、かつて煮出し師と呼ばれただしの専門家は、いかに湯浅醤油・丸新本家の品をだし茶漬けに使ったのであろうか。とくとご覧あれ。
だし福 福本康利
(「だし福」店主)
「金山寺味噌は、昔からご飯のお供。
ならば、だし茶漬けに合わぬは
ずはないと創作しました。
はっきり言って私は、
『丸新本家』の金山寺味噌しか食べないんですよ」
駅ホームの上のだし茶漬けが変わらぬ人気

日本料理は、どちらかというと西高東低。これは歴史的経緯からそうなってしまったのだから仕方がない。奈良や京都に都があってそこから文化が発展している。食についてもしかり。ただ水の違いもあるにはある。関西の土地は柔らかい粘土層でできているのでミネラルが溶けにくく、軟水になる。日本の水は全般的に軟水なのだが、関東は火山土が積み重なってできているために地下水にミネラルが溶け込みやすく、硬水のようになってしまう。つまり関東の方が関西より水がやや硬いわけだ。この硬めの水が日本料理には厄介で、昆布を入れると沸騰する前に少し濁ってしまう。なので関東では昆布だしはあまり用いられず、鰹節でだしを摂る文化が主流となった。さりとて関西では鰹節をあまり使わないかといえばそうでもなく、鰹節も紀州で生まれているし、昆布と鰹の合わせだしも大坂で誕生している。関西の料理といえば、タコ焼き・お好み焼きではなく、むしろ日本料理を指すべきで、しかもだしが味の中心を成す。一般的には関西は薄味で、関東は濃い味と称されるが、それとて首都圏を中心に物事を考えた表現。薄味というのは京料理を指すべきで、大阪はしっかりした味をいう。昆布や鰹でだしを摂って素材の味を引き出しながらしっかりと味を出す_、それが大阪の特徴なのだ。


ちょっと前置きが長くなった。今回は、関西だしに特化した店の話を書くことにしよう。元来、駅にある店といえば、立ち喰いそば・うどんよろしくパパッと食べられる店が向いている。食事といえど、移動中にあってそんなに時間を取ることができないからである。北大阪急行・千里中央駅のホーム真上のぐるりに駅食に適した「だし福」なる店がある。この店は、かつて「太鼓亭」の経営するショップで当時は「だし蔵」という名前でだしの専門店とお茶漬け屋を営んでいた。店のコンセプトはあまり変わらないが、今は「だし福」_、そう経営者が替わったのだ。この店がリニューアルし、「だし福」に替わったのは2021年10月。当時、飲食業界はコロナ禍に喘いでいた。天下の「太鼓亭」もその波を被り、別部門として立ち上げていた「だし蔵」の直営店を閉める事を余儀なくされた。「太鼓亭」で「だし蔵」の立ち上げから携わり、運営面も担当していた福本康利さんは、手塩にかけて育てた「だし蔵」のリストラにいたたまれず、独立して千里中央の「だし蔵」を引き継いだのである。「もともと『だし蔵』せんちゅうパル店は、太鼓亭が開発しただしパック『だし蔵』ブランドの『関西おだし』を味わってもらうために造ったショップ。『関西おだし』を用いただし茶漬けのイートインコーナーも設けていたのだ。駅ビジネスとして成功していたのに閉めてしまうには勿体ないと、私が経営権を引き継いでリスタートさせました」と福本さん。その時に彼の一字を取って店名を「だし福」に変更したのである。ファミリー系の麺処「太鼓亭」を始め、「そば太鼓亭」「うどん食堂TAIKOTEI」「金比羅製麺」などを展開する飲食店チェーン「太鼓亭」が千里中央に「だし蔵」をオープンさせたのは2015年秋。物販と飲食店を併設した店で、特に千里中央駅ホーム上にあって珍しいだし茶漬けのイートインコーナーを併設したとあってすぐに盛況を博した。「関西は、日本のだし文化の発祥地。そんな中で『太鼓亭』は、うどんの味の核となる関西おだしを全国に発信して行こうと物販事業に進出しました」と「太鼓亭」水上泰輔社長は抱負を語っていた。余談だが、水上社長の話では「だし蔵」の名付け親は、どうやら私らしい。北新地で食事をしていた際に水上社長からその構想を聞き、思わず私が発した「だし蔵」をネーミングしたのだとか。何はともあれ、今もブランドが残って商品が販売され、好調ぶりを示してだしパックの一角を占めているのだから喜ばしい限りである。



ところで久しぶりに覗いた「だし福」は、だし茶漬けのイートインコーナーが満席で、空いてもすぐに客が入るという盛況ぶりだった。「だし蔵」に関しては以前「食の現場から第34回」でも書いているし、「だし蔵」のだし茶漬けも「名料理、かく語りき第44回」に載っているので詳しくはそちらを参照にされたし。店名が替わり、経営者が替われど以前と同じように流行っているのは嬉しい事だ。でも福本さんは、「北大阪急行の延伸で少し響いている」と言う。聞けば、一日に乗降客が1万人程減ったらしい。それまで千里中央駅が終着駅で、そこからバスやモノレールに乗り替える人が沢山いた。2024年3月23日以降は、二駅先の箕面萱島駅が終着となり、これまでバスで移動していた人がそのまま箕面萱島まで行ってしまう。分母(乗降客)が減少した分、駅周辺で買物したり、食べたりする人も少なくなるので堪(こだ)えているようだ。ただそれにしてはだし茶漬けは人気のようで、うどんやラーメンといった類ならあるが、茶漬けは珍しかろうとニーズがはまっていると見た。
「だし福」では、「だし蔵」のオープン当初からメニューはあまりいじってないらしい。「真鯛」「漬けまぐろ」「紀州南高梅と野沢菜」「炙り鮭といくら」「小海老と野菜のかき揚げ天ぷら」「炙り明太子と生湯葉」「奄美大島鶏飯風」「炙り牛カルビ」「きざみ鰻蒲焼」のラインナップである。基本は、これらのだし茶漬けに小鉢二品と漬物が付くセット売りだ。少し小ぶりになるが、二種類食べたい向きには、「ハーフ&ハーフ」なる選択肢もあってこちらは好みのだし茶漬け二種と小鉢・漬物が出て来る。元来、「関西おだし」をいかに味わってもらえるかで始めたメニューなので。これらのだし茶漬けには、昆布・鰹・鯖や鰯の雑節で構成される「だし蔵」ブランドの「関西おだし」が使用されている。



「だし福」になって変わった事といえば、それまで物販は「だし蔵」ブランドのだしパック一辺倒だったのを、今はだしをテーマにした商品を色々と揃えている点。例えば「かにめしの素」や「えび出汁カレー」、「真鯛のだし塩」「日本海のどぐろだし茶漬け」「漬物ぶぶ茶漬け」「佃煮おふくろさん」など福本さんが全国から商品を選んで来たセレクトショップのようになっている。イートインでは、「にゅうめん」がメニュー化されたのも「だし福」になってから。にゅうめんとは、簡単にいえば素麺を温かいだしで煮た料理。漢字にすれば入麺とも煮麺とも書く。奈良県三輪山麓の発祥と伝えられる奈良の郷土料理だ。福本さんは、以前から麺類も出したかったらしい。「関西おだし」を使って作る事ができる点とスピード提供できる点がマッチしてメニュー化に踏み切ったという。「湯がいておいていても意外に伸びないですし、にゅうめんを出している店が少ないのも導入ポイント。素麺は知っていてもにゅうめんを知らない人も多いんですよ」と話していた。導入以来、にゅうめんを組み合わせて「ハーフ&ハーフ」として注文する顧客もいるらしい。さらに味噌だしや豆乳だし、冷やだしと新たに季節だしが加わっており、より充実度は増している。「具材が梅+野沢菜、鶏飯、鮭+いくら、明太子+湯葉、鯛、まぐろ、カルビ、鰻に小海老と野菜のかき揚げ天ぷらと9種類あって、ご飯と麺がある。掛けるだしも『関西おだし』に季節のだしがあるわけだから色々と組み合わせを替えるだけで700通りぐらいメニューができてしまうんですよ」。毎日通っても異なるものが食せるとあらば流行るのもわからぬではない。まさにだし茶漬け店恐るべしである。
やはり金山寺味噌は、ご飯の供。合わぬ理由がない



さて「名料理、かく語りき」の本論に入らねばなるまい。予め湯浅醤油・丸新本家よりいくつかの商品を「だし福」に送っておき、それらの中から福本さんがチョイスして取材用のだし茶漬けを作ってくれた。福本さんが今回使ったのは、「柚子梅つゆ」と「具だくさん金山寺」「わさび金山寺」の三つで、各々を用いて一品ずつだし茶漬けが完成している。断っておくが、この二品はあくまでも本取材用。私と湯浅醬油の新古敏朗社長だけが味わったスぺシリテである。
福本さんは、今回創作した「金山寺味噌と鯛のだし茶漬け」と「いくらのわさび金山寺味噌和え茶漬け」をハーフ&ハーフにして私達に提供してくれた。当然このハーフ&ハーフはセットになっており、二つのだし茶漬けには春雨サラダと薩摩芋の蜂蜜漬け、柚子大根と壬生菜の漬物が添えられている。
まずセット右側にあたる「金山寺味噌と鯛のだし茶漬け」だが、ここには「具だくさん金山寺味噌」と「柚子梅つゆ」が使われていた。まず使用する鯛を、「柚子梅つゆ」を酒で割った液に一時間浸し、調味すると共に魚の臭みを調味液で消す。ご飯の上にあおさを敷いて上に漬け込んだ鯛を載せる。そして、「具だくさん金山寺味噌」を加え、千切り葱を少し添えてだしを掛けるのだ。勿論だしは、「関西おだし」で摂ったものである。山のもの(金山寺味噌)と海のもの(鯛)が合わさり、相乗効果が出る。福本さん曰く「主役(金山寺味噌)と主役(漬け込んだ鯛)を合わせた逸品」だそう。普段、金山寺味噌はご飯のお供として食卓に登場する。だからだし茶漬けに合わぬはずはなく、その甘みがぐっと味を引き寄せる。「柚子梅つゆ」で漬け込んだ鯛も酸味があってよく合う。梅つゆの良さも十分出ているように思えた。「初めは梅干しとシラス、金山寺味噌を合わせて”紀州だし茶漬け”なんて名前を付けて創作しようかと思ったんですが、何だかベタな雰囲気なのでやめました。このだし茶漬けは、金山寺味噌を鯛で巻いて食べるイメージで考えたんです」と福本さん。彼は「柚子梅つゆ」に漬け込む手法に手応えを感じているらしく、取材後に新古さんと仕入れの話をしていた。いつかこの手のだし茶漬けがメニュー化するでは…と期待しつつ私は横でノートにメモをしていたのだ。


左側にあるのが「いくらとのわさび金山寺味噌和え茶漬け」で、ここには文字通り「わさび金山寺」が使われている。この一品の主役はいくら。いくらは魚卵には珍しくイノシン酸を含んでいる。ご飯に刻み海苔を散らし、いくらと「わさび金山寺」を置き、そして刻んだ大葉を載せるのだ。福本さんは「主役のイクラを引き立てる役目を『わさび金山寺』が担った」と説明していた。つまり金山寺味噌を薬味にしたわけだ。福本さんは牛肉に「わさび金山寺」をつけて食べたのが旨く、当初は店にある炙り牛カルビで創作しようと思ったそう。「この金山寺味噌はワサビが利いて実に肉と合います。そう思って試作した所、だし茶漬けならいくらの方が合いそうだと思い直し、今回の料理に変更したんです」と言っていた。いくらに、ワサビ、金山寺味噌とまさに”茶漬けの友”が揃った印象で、これなら合わぬ手はないとまで思ったようだ。
福本さんの話では、金山寺味噌はどうしも和歌山のもので、大阪ではあまり食さないのだとか。「だし福」のスタッフも食べ慣れていないと話す人が多かったという。「飲食店で提供されていないのもその理由の一つ。だからうちで出すといいかもしれませんね」と笑っていた。福本さんと新古さんは、彼が「太鼓亭」にいた時代からのつき合い。なので「湯浅醬油」や「丸新本家」の商品は熟知している。福本さんは、金山寺味噌は「丸新本家」の商品しか口に入れないとまで言っていたくらいだ。今回は熟知した商品_、しかもご飯の供となる金山寺味噌を用いて創作したのだからいいメニューができて当たり前かもしれない。福本さんは、本取材の話が来て商品が湯浅から届いた時に”旨みの相乗効果”をテーマに創作しようと決めたらしい。「具だくさん金山寺味噌」と「わさび金山寺」があって「柚子梅つゆ」まであった。あとはいくらや鯛をいかに用いて調味すべきかを考えるだけだったようだ。特に「いくらのわさび金山寺味噌和え茶漬け」は、いくらを用いる事でイノシン酸とグルタミン酸を出合わせた一品になったと話していた。だしを使わせたら天下一品の技師(わざし)が、この二品に集結したのではなかろうか。


かつて私は、福本さんを”煮出し師”として位置づけた事がある。”煮出し師”なんて世間にはそんな名称はないが、「だし蔵」ブランドを始めるにあたってスペシャリスト的な呼び名が必要だったので私はそう名づけた。あくまで「太鼓亭」時代の呼称である。今回、福本さんから手渡された名刺には肩書きの所に”なにわの名工”と記されていた。「いつ”なにわの名工”をもらったんですか?」と尋ねると令和元年の受賞だと話してくれた。「煮出し師は、あくまで『太鼓亭』社内の呼称なので公的に何かないかと探ったら経歴によっては、”なにわの名工”がもらえるかも…となり、豊中の商工会議所から推薦してもらって申請したんです。そうしたらだしの研究と後進の育成で、鰹節類製造工の枠で選んでもらえたんですよ」。本来は鰹節製造者だが、福本さんはそれには当てはまらないので鰹節類製造工として受賞している。それで”なにわの名工”に輝いたのは、後にも先にも福本さんだけらしい(笑)。
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<取材協力>
だし福
住所/大阪府豊中市新千里東町1-3-5 せんちゅうパルB1階
TEL/06-6831-0190
HP/ 公式HPはこちら
営業時間/11:00~21:00
休み/なし
メニューor料金/
真鯛セット 1250円
炙り鮭といくらセット 1250円
奄美大島鶏飯風セット 950円
炙り明太子と生湯葉セット 1250円
きざみ鰻蒲焼セット 1350円
ハーフ&ハーフセット 1500円
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。