9 2013年10月最近、フランスでは醤油が新しい調味料として認識され始め、調理の際に活用されていると聞く。片や日本では、あまりにも身近かな存在であるためか、めったにフレンチでは使われることがない。多分、一時流行った基本線を持たぬ創作料理の悪影響でそれを遠ざけてしまっているのかもしれない。今回は普段なら醤油・味噌を使うことがないという神戸の有名フランス料理店にそれらを持ち込んだ。そして出来上がったのは、誰もが知っている和食からイメージされた洋の二皿だったのである。

ジャンティ・オジェ(神戸・中央区) 料理人/鈴木由希雄
(ジャンティ・オジェ料理長)
「もしや、この醤油は飲めるんじゃ
ないかって思ったほどです」

名料理かく語りき

エッ!フレンチなのに卵かけごはんともろきゅう?!

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「今日の料理は、卵かけごはんともろきゅうですよ」。神戸・北野町にあるフレンチの名店「ジャンティ・オジェ」の鈴木由希雄シェフから冒頭にこんな言葉をかけられた。フレンチを食べに来たのになぜ?と思う間もなく、鈴木シェフはその真意をしゃべり出した。「曽我さんから『魯山人』の醤油と金山寺味噌をもらった時に、どうしてもこの二品のイメージが抜けきれず、悩んだ末にそのアレンジ版を作ることにしたんです」。

読者のために冒頭の話を整理しておこう。「ジャンティ・オジェ」は、かつて関西一のフランス料理店といわれた「ジャンムーラン」の料理系譜を引き継ぐ店。美木剛さんが腕をふるった「ジャンムーラン」は私も行ったことがあり、この人を!と思ったら連れて行きたい店だった。当時、北野には「ジャンムーラン」と「カフェ・ジャンムーラン」の2店があり、後者では美木さんの直弟子の高柳好徳さんが料理長として厨房を仕切っていた。その後、高柳さんが独立を果たし、「カフェ・ジャンムーラン」の店舗をもらい受けて「ジャンティ・オジェ」をオープンさせたのである。今回の主役である鈴木由希雄シェフも「カフェ・ジャンムーラン」時代から働いており、高柳さん同様に美木さんの直弟子にあたる。高柳さんが篠山の一軒家レストランに興味を見出し、そちらを主にしてからは、鈴木さんが「ジャンティ・オジェ」を仕切っている。そんな鈴木さんに先日無茶を言った。「醤油ともろみ味噌、金山寺味噌を用いたフレンチを作ってよ」と――。

ここで断わっておくが、「ジャンティ・オジェ」では、料理に醤油や味噌は使わない。「もしフランスに神戸という街が存在したら…」とのコンセプトで作られているが、和との融合ではなく、正真正銘の王道フレンチを出す店である。今回は私の酔狂につきあってくれての遊び心ある料理の披露なのだ。

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鈴木シェフが「頭から卵かけごはんが離れなかった」と言って作ったのは「卵かけごはん風冷製カッペリーニ 金山寺味噌和え」。そのタイトル(料理名)にあえて自身が受けた印象を記したが、れっきとした西洋料理だ。作り方を聞くと、カッペリーニを1~2分茹でてボールに入れて冷やし、冷めたら卵黄に「魯山人」醤油を加えたもので和えていく。その上に「金山寺味噌具だくさん」を載せ、最後にザク切りしたクレソンを散らすと、和と洋の融合した一皿が完成する。鈴木シェフは卵白があるとまとまりが悪いと、あえて卵黄だけにしている。そして金山寺味噌に負けないようにしっかり醤油の味をつけて黄身の濃厚さを醸し出すのが狙いだったようだ。食べる時は、金山寺味噌をぐちゃぐちゃに混ぜて味わう。本来なら金山寺味噌の味が勝ってしまうので、あえてしっかりめに味をつけている。料理名から考察すると、カッペリーニをごはんに見立てているのだろう。この料理をもし目をつぶって味わったなら、まず洋風だと思うだろう。けれど食べていくうちに和の風味が加わり、いつしか口内で和洋折衷へと変化していく。そして食べ終わったらきっちり西洋料理という何とも不思議な感覚に陥ってしまう一皿だ。鈴木シェフは「金山寺味噌はすでに完成品なのであれこれとさわる必要はないと思いました」と話している。ソースでもあり、具でもある、そんな特性をうまくパスタ料理に取り入れたのだ。

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もう一品は、「トマトのファルス 洋風もろきゅう詰め」だ。これまた前品同様、和食のもろきゅうからイメージングされたもの。トマトを湯むきして冷まし、ほんの少しだけ塩をする。塩が少しでも多くなると、水分が出てぐったりしてしまうらしい。ファルスとはフレンチの古典的技法で中に具材を詰めることを意味する。今回詰めているのは、エビ、ホタテ、ブラックオリーブ、それに少し塩をしたキュウリ。作っている時に何となく玉子が欲しいと思ったそうだ。なので茹で玉子を付けている。「変に火を入れてしまうと、もろみの味が変わるので、あえてそのまま使いました。もろみ味噌とキュウリがあるので、まさに“もろきゅう”でしょ」と笑いながら鈴木シェフは説明してくれた。鈴木シェフによると、エビもホタテもほぼ生のような状態。表面の色が少し変わるくらいボイルしただけらしい。料理自体はファルスなのだが、バラバラにして食べたとすると、もろみの味がきちんとする、まさにもろきゅうだ。それがトマトの中に詰めることでさっぱり感がプラスされ、爽やかな一品へと変身する。「もろみ味噌の甘さが丁度いいんで、そのまま使おうと思ったんです。甘いが、あまりしつこさは感じない。実にいい甘みですね。これがくどくなったら料理には使えないんです。甘いと甘ったるいは全く意味が違いますから…」。

鈴木さんは、私が何かに書くだろうと想定してこの二皿を提案してきた。本来ならもっと凝った作り方をしてもいいはずなのに、簡単な料理にしたのは読者のことを考えての配慮だろう。「あまり手を入れずに作りやすいものを提案するのがいいと思いまして…。これなら一般の人でもすぐに作ることができるでしょ。でも、これが家庭で出たら家族は大喜びです。だってどこから見ても飲食店レベルの西洋の一皿なんですから」。

鈴木シェフの話では、日本のフレンチは醤油や味噌を使う文化がないらしい。それは我々日本人が醤油、味噌に深く接してしまっているからで、日本の調味料を無視することから我が国の西洋料理は進化して来た歴史があるからだろう。’90年代頃から使う人も出てきたが、それはひと頃流行った創作料理にジャンル分けされてしまい、鈴木シェフのような本格派フレンチの人には使いづらいのだそう。一方、本場フランスでは、最近、醤油が新しい調味料として入ってきており、興味津々で用いる人が徐々に出てきた。「韓流ブームから日本料理の料理人がコチジャンを取り入れるようになったのと同じノリですよ。本場が変わっていくのであれば、日本人のフレンチの料理人も頭を堅くするのじゃなく、取り入れ出してもいいのでしょうがね…」と鈴木シェフは話している。

名門「ジャンムーラン」の血を引く料理人

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神戸は西洋料理の魁(さきがけ)の地である。幕末に開港すると、多くの外国人がこの地へ移り住んだ。明治期は街に西洋料理は存在するものの、まだまだ一般人にはなじみの薄いものだったようだ。それが大正期になると、神戸独自の洋食文化が開花する。日本郵船の豪華客船に乗り込んでいたフレンチのコックが陸に上がってレストランを開くケースが増えていった。それとともに神戸風洋食が確立された。神戸洋食の一番の特徴は煮込み料理にある。船上では揚げ物は調理しにくく、揺れる中では危険も伴う。そのために彼らはひたすらビーフシチューなどの煮込み料理を作ったそうだ。ちなみにその頃はフランス料理などというジャンル分けはなく、今でいう洋食が西洋料理を表したもの。洋食店で出すカツレツなどはフレンチのひとつの料理で、それをフランス料理などと知らずに大正や昭和の人達は味わってきたのだ。高度成長期頃からそのジャンル分けが徐々になされていく。そしてそれがはっきり確立された時代に美木剛シェフが現れ、彼が作るフレンチが話題にのぼるようになる。「ジャンムーラン」は人気まっ盛り中で幕を閉じた。100の夢を叶えんがためというのが美木さんが自店を閉店させた理由でもある。その後、美木さんは南仏やインドに旅に出ている。幕を閉じてもう何年にもなるが、それを惜しむ声が聞かれ、グルメの中では現在でも「ジャンムーラン」を超えるフランス料理店は現れていないらしい。ただ、我々は嬉しいことにその系譜に辿り着くことができる。独自の路線は敷きつつも、「ジャンティ・オジェ」は、美木さんの息吹が今も伝わる店でもある。そしてここで働く鈴木シェフはれっきとした彼の直弟子なのだ。例えばサラダのドレッシングに「ジャンムーラン」の面影を見ることができる。レシピがなく、塩、コショウ、酢、オイル、レモン汁を目分量で計りながら作っていく手法は、フランスの「トロワグロ」で編み出されたものだが、「ジャンムーラン」でもこの手法を用いて作っていた。入れて混ぜ、味見をしてコレが足らないと思えば、追加する。つまり、レシピがないのだ。こんなやり方を「ジャンティ・オジェ」でも行っている。これが「ジャンムーラン」風といってしまえば、高柳さんや鈴木さんにいささか失礼だろうか。「ジャンティ・オジェ」は、鈴木シェフなりの個性が出つつも、どこかに「ジャンムーラン」の息吹を感じる。それでなんとなく心地よさに浸っている自分がいる。

img  ところで鈴木シェフは、神戸とは縁遠く、実は京都の出身である。学生時代は有名大学に籍を置き、本来なら料理人の道を歩んでいなかったのかもしれない。ところが学生時代に洋食屋でアルバイトをし、その店の職人が作ったビシソワーズを味わったことから道がはずれる。「18歳の時に目の前でそれを作ってもらい、感動したんです。そしてアルバイト先で料理を作る楽しさを知ってしまったんですよ。そうすると、大学にいることが何となく無意味に思え、父の知人の縁で知己を得た『ロスアブリガドス』のシェフに紹介してもらい、『ジャンムーラン』の門を叩いたんです」。鈴木さんはお父さんに大学を辞めたい旨を伝えた時に、てっきり反対されると思ったそうだ。ところがお父さんは「そうか」の一言だけで背中を押した。その父親の一言を今でも忘れないという。既定路線を歩んでいれば、大学を出て有名企業に就職していただろうが、成功していたかどうかはわからない。今では神戸の名店といわれる「ジャンティ・オジェ」を仕切っていることを考えれば、鈴木さんもお父さんの選択も間違っていなかったのだと思ってしまう。面接の際、高柳さんが「あと一年で卒業ならそれを待ってからでもいいのでは…」と言ったそうだ。それでも鈴木シェフはあと一年大学に残ることに意味がないと感じたのだろう、美木さんに弟子入りすることを希望し、「ジャンムーラン」のスタッフに加えてもらっている。美木さんの下で修行を重ね、高柳さんの独立とともに「ジャンティ・オジェ」に異動した。そして今はこの名門フランス料理店を任されている現実がある。鈴木シェフの主張は素材をこねくりまわさず、シンプルに作りたいということ。一時、流行から素材を小さく切り刻み、何種類もをいっしょに盛った一皿が脚光を浴びたことがあった。それを鈴木シェフは「何を食べているかわからないでしょ…」と一蹴する。「料理というのは素材の持ち味で決まります。だから『ジャンティ・オジェ』では、その美味しさがわかるぐらいの大きさにカットして出すんですよ。肉も塊で食べるのが旨いし、魚もそれなりの大きさでなければ、旨さはわかりません」と言い切る。そして「塩加減と火加減で80%以上が決定する」と付け足す。例えばホタテは塩をすることでその持ち味を引き出せるし、甘みを感じるようになる。そして火は強すぎると、人でいう火傷状態になって決して美味にはならない。「だから塩と火加減に味の8割が左右されるんです。あとの1割が鮮度で、もう1割が気持ちですかね…」。鮮度はいいにこしたことはないが、全く粗悪な状態でなければ、腕でカバーできるといいたいのだろう。あとはフォンドボゥなどだしの味がきちんとしているかで味は決まっていくようだ。こういった点は何もフレンチの世界だけに限ったことではない。和食にもいえることだ。ただ、和と洋の違いを探せば、和食は調味料の種類がかなりあるが、洋食の世界には塩、コショウ、バター、コンソメなどその種類は少ない。なので余計に技術と経験が必要とされるのかもしれない。

鈴木シェフに初めて「魯山人」醤油を渡した時に「まず香りの良さにびっくりしました。味見してさらに驚いたんです。もしや、この醤油は飲めるんじゃないかってね」と電話で感想を返してきた。こんなメッセージを受けたので、あえてこの醤油と金山寺味噌、もろみ味噌を渡して普段造らない一品を試食したくなった次第である。鈴木シェフは「金山寺味噌具だくさん」を指して「めっちゃ、美味しいおかずです」と言う。そしてこれをまかないで食べようと思っていると話していた。ここだけの話、「ジャンティ・オジェ」では、まかないはごはんと決まっているらしい。丼は安直なので作らない。ごはん、おかず、付け合わせ、味噌汁を交替で作っているそうだ。見た目では想像できないほどの大食漢である鈴木シェフは「料理人はしっかり食べないと仕事ができない」との考えの持ち主でもある。名門フランス料理店で、なぜか和食がまかないに――、そんなことを聞いて、何となく一般人らしさを垣間見たような気がしてホッとした。

  • <取材協力>
    ジャンティ・オジェ(神戸・中央区)

    住所/兵庫県神戸市中央区北野町2-8-9  異人館倶楽部パートⅡ1F

    TEL/078-231-2815

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    営業時間/11:30~14:30LO   
    17:00~21:00LO

    休み/火曜

    メニューor料金/
    ランチコース 3300円、4800円、6300円
    ディナーコース 8500円、11000円、13000円、15000円、20000円

筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい