54 2017年09月 和洋中に、カクテルと、このコーナーでは色んなものに醤油を用いて来た。今回はあろうことか、スイーツ素材に_。この無謀とも思える企てにつきあってくれたのが「ホテル・アゴーラ リージェンシー堺」の高橋賢一シェフパティシエである。高橋シェフ曰く「隠し味に用いるなんて小技は考えず、醤油を主にしてまっ向勝負したかった」そうで、その心意気が実って挑戦した焼き菓子は、味の変化に富んだ面白いものに仕上がった。一瞬しょっぱさが来るが、それが心地よく、甘さと融合しながらも後口に余韻を残す。私が味わった、私だけのスペシャリテをweb上で公開しよう。

ホテル・アゴーラ リージェンシー堺
ベーカリー&パティスリー ファゴット
高橋賢一
(ホテル・アゴーラ リージェンシー堺 製菓・製パン統括シェフ)
「生一本黒豆は、ドライな酒を
飲んだ時のような印象を得ました。
しょっぱいのではなく、赤ワインの
ような深みが感じられる醤油で、
こだわりと造りの丁寧さが
ひしひしと伝わってきます」

ショーケースを色使いや形で華やかに変えた職人

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醤油とスイーツ、この意外な組み合わせに挑んだ人がいる。南海堺駅そばの「ホテル・アゴーラ リージェンシー堺」で製菓・製パンの統括シェフを務める高橋賢一さんである。高橋シェフは、あべの辻製菓専門学校を出た後に梅田のヒルトンホテル、リッツカールトン大阪、京都・蹴上のウエスティン都ホテル京都と製菓畑ばかりを歩み、一年半ほど前に「ホテル・アゴーラ リージェンシー堺」へやって来た。ウエスティン都ホテル京都でもシェフパティシエとして活躍し、環境もよかったそうだが、もう一度大阪で仕事がしたいと思ってある人からの声かけに応じたようだ。このホテルでは1階にある「fagot(ファゴット)」を舞台に、販売するスイーツやパンを製作。そればかりか館内で提供するデザート類を一括して作る厨房を司っている。デザートワゴンに載せてあるケーキも全てそうだし、宴会や婚礼のデザートもそう、館内の甘いもの(スイーツ)やパンは全て高橋シェフから発信されたものなのだ。加えて「ファゴット」横にある「the LOOP」で月一回(第2日曜日の15:30~17:00)開催されているスイーツラウンジも同じ。そこではあるテーマに基づき、高橋シェフ以下製菓のスタッフがスイーツを作って提供している。これがブロガーから注目を集め、個人のブログやらインスタグラムに沢山アップされるようで、そんなネット発信も合わせて人気を呼んでいるという。

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高橋シェフが同ホテルの製菓・製パン担当に就任した時、まずショーケースに華やかさを持たせたいと思った。それは単にケーキに色んなものを載せ、豪華さを醸し出すのではなく、同ホテルらしい“エレガント&ノーブル”に沿ったスイーツをというのが発想のもと。飾りよりも色を駆使しながらスタイリッシュに商品構成したいと考えたようだ。まず初めに手がけたのが苺のショートケーキ。これはスイーツではどこも看板商品で、定番ながらも人気がある。これまでのショートケーキも悪くはなかったが、ありきたりのパターンだった。それを見ためから変化を持たそうと、細長いカップに入れたものにした。「カップデザートだが、食べたらショートケーキ。そんな物珍しいスイーツとして表現したかったんですよ」と高橋シェフは説明する。サンドした中の生クリームは高脂肪のものにし、表面仕上げを軽い生クリームにした。こうすることで口当たりはよく、けれど中はしっかりしたものになる。甘みはさほど出さず、優しい味にしながらも中と外とで生クリームを代えながら個性を持たせる。結果的に「ファゴット」では主力商品の一角を占めるに至った。

高橋シェフは、形にこだわりを持ち、見ためのユニークさを追求しているように思える。その一つが「苺とミルクチョコレート」。シリコンでできた型にはめて作るムースなのだが、形は単なる丸ではなく、平べったくして角をなくして丸くしたものに。円盤のような形とでもいおうか、なかなか言葉では表現しづらいが、ケースに並んでいればかなり目立つ。ムース自体に赤いグラサージュをかけており、鮮やかな赤と異形が際立っていて、ショーケースの中でも存在感があるのだ。また四種類あるパウンドケーキも従来の型ではなく、細長く四角い。聞けばオリジナルの型を設計して注文したのだそう。フリュイ、シトロン、ヴァニーユ、ショコラサレと四つあるが、どれも既成ではできない形になっている。

逃げずに醤油とまっ向勝負したい

 

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さて、冒頭の醤油を使ったスイーツに話を戻そう。高橋シェフがなぜそのようなものを作ろうとしたのかは、ご察知の通り私に因がある。いつものようにホテルに湯浅醤油の商品を送って、「面白いものを作って」と頼んだからだ。「ホテル・アゴーラ リージェンシー堺」の広報担当・一色薫さんは、それをあろうことか、製菓部門に話を持っていった。本当なら「エッ!?」となるところを高橋シェフも「これも勉強のうち」と面白がってチャレンジしてくれたのだ。
彼が使ったのは、「生一本黒豆」。1500年前の製法をヒントに丹波黒豆を用いて吉野杉桶で丁寧に仕込んだ醤油である。高橋シェフは、この醤油を「ドライな酒を飲んだかのような印象」と独特の表現で評している。しょっぱいのではなく、赤ワインのフルボディのように深みのあるものとしてイメージさせたそう。だから普通の調味料のように使いたくないと考えた。そしてさらに隠し味のようにはせず、全面的に特性を打ち出したいと思った。
高橋シェフには、すでにこの時点で生地に練り込むなんて考えはない。なので「生一本黒豆」でゼリーを作り、そこから焼き菓子づくりをスタートさせている。彼によると、試行錯誤を重ねたために私が訪れる日のぎりぎりまでかかったらしい。苦心の甲斐あって醤油を用いた焼き菓子は、どこにもないような逸品に仕上がっている。
「バットに流し、キューブ状にした醤油ゼリーを生地の中に混ぜ込んだんです。生地に練り込むのではなく、醤油が独立して生地に入っているかのよう。ただキューブが点在するイメージで作ったのですが、ちょっと沈んでしまいました」と言う。見ればケーキ底部分にそのかけらがある。焼き上がりに「燻ししょうゆ」の醤油シロップを軽く表面に塗った。仕上げにもさらに「生一本黒豆」のゼリーを使っているので艶々と輝いている。この焼き菓子の特徴は、所々から出て来る醤油風味にある。焼き菓子なので割れめもあり、そこに醤油が深く入っている。

 

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箱を開けた瞬間、ふんわりと醤油香が漂う。まず香りを楽しんで、それから口に運ぶと、一瞬醤油のしょっぱさが来て、すぐに甘さが打ち消す。味わっていくと、また醤油が来て口内に残る。キャラメル風味にしているので醤油とはベストマッチ。ナッツも入っていて食感の違いが楽しめるのもいい。貴腐ワインと飲ると面白いのではなかろうか。「全体に醤油を練り込む手もあったのですが、それだと飽きが来ると思ったんです。今回はテーマの醤油とまっ向勝負しようと思って創作しました。作り手としては醤油から逃げたくなかったんですよ」。
生地には、水分の多い印象がある。だからパサパサしておらず、口内でのしっとり感が心地いい。バターと砂糖を白っぽく泡立て、これ以上入れたら分離するだろうと思うぎりぎりの線まで卵を入れて作る。トレハロースと転化糖を加えて保湿性を持たせ、キャラメルを止めるために沢山の生クリームを使用している。だから焼き菓子とはいえ、しっとり感があって食べやすい。ピスタチオ、くるみ、アーモンドのナッツ類が入っているので食感もよく、醤油キューブがそこに変化をもたらしてくれる。味の変化が楽しめるので飽きが来ることがなく、私は思わずお代わりをしてしまった。
「醤油がテーマの変化球といえど、やりやすさを追求するために和菓子風にはしたくなかったんです。戦場は異形でも私らしい西洋菓子で戦おうと決めました。予想以上にゼリーが光沢を放ってくれたんで金箔を散らしてみたんですよ」と高橋シェフ。彼が作ったそれは、どっしりして、しっとりした感じの焼き菓子になっている。どうやらこれは高橋シェフの好みらしく、違う人がこのレシピを基に作ると、ふんわりさせるかもしれないと話していた。でも私はこの方が重厚感もあって好きである。生地自体も甘ったるくないので男性でも受け入れられるだろうと感じた。「できれば、私だけではなく、一般売りをしてみたらどうだろう」、そう広報担当の一色さんに投げかけておいた。実用化するには諸問題をクリアする必要があるかもしれないが、ぜひともこの味の変化を一般の人にも楽しんでもらいたいと思った次第である。
「普段、スイーツには醤油を用いないので非常に面白い体験ができました。隠し味としてじゃなく、まっ向勝負したのが良かったようですね。悩みましたが、楽しかった」。そう言って高橋シェフは、私の無謀な企てを受け入れてくれたのである。果たしてこの「生一本黒豆」の焼き菓子は世に出るのであろうか。その答えは風に吹かれている。

  • <取材協力>
    ホテル・アゴーラ リージェンシー堺
    ベーカリー&パティスリー ファゴット

    住所/堺市堺区戎島町4-45-1

    TEL/072-224-6182

    HP/ 公式HPはこちら
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    ホテル アゴーラ リージェンシー 大阪堺 )

    営業時間/10:00~20:00

    休み/無休

    メニューor料金/
    苺のショートケーキ   540円
    苺とミルクチョコレート 540円
    ラズベリーミント    540円
    ぷりん         270円
    オリジナルパウンドケーキ 2500円



筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい