17 2014年06月いつもなら和洋中の料理店と、そこで働く調理人を紹介するのだが、今回は少しジャンルが違ってバーを取り上げることにした。そのため普段よりは、料理に重きを置かずに店と人物について書く。登場するのは北新地にあるバーボンウイスキー専門店「十年(とうねん)」だ。このバーの店主・工藤日出男さんは、洋酒やバーの世界では名の知れた人。聞くところによれば、この人がバーボンウイスキーを日本に広めた人物だとか。そんなバー業界の重鎮に湯浅醤油と丸新本家の商品を渡し、バーボンウイスキーに合うつまみを作ってもらった。
十年(とうねん)(大阪市北区) バーテンダー/工藤日出男
(バー「十年」店主)
「甘すぎると、バーボンの味に
合いにくいが、この「あえみそ」
は、ちょうどいい味。
クルミと合わせて練ると、
実にいいアテになりました」
日本でバーボンウイスキーを広めた人物
私が工藤さんと出会ったのは、早春のことだ。食通で、広告業界の先輩的立場の田中實さんに「十年(とうねん)」に連れて行ってもらったのがきっかけである。サントリーのweb内でバー巡りの連載(サントリーバーテンダーズクラブ「噂のバーと、気になる一杯」)を持っているにも関わらず、恥かしながらこの有名なバーへ行ったことがなかった。田中さんが私を紹介するや、工藤さんは、かつて自らが作っていた「日本バーボンウイスキー普及協会」を再度設立し、バーボンウイスキーの文化をもっと一般にも広めたいのだと滔々と語っていた。はっきり言って私は俗にいうバーボン世代である。80年代に「アーリータイムス」や「フォアローゼス」が流行り、それとともにバーボンが広く流行した。丁度、その時代にバーに足げく通っていたので、バーボンは何となく身近な存在であった。そんな背景や縁もあって工藤さんがそれを復活させるのなら手助けしたいと思ったのだ。
工藤さんは齢75になるベテランバーテンダー。この業界ではかなりの有名人で、某若手バーテンダーは‟雲の上の人”と称していたほどだ。工藤さんが北新地でバーを開いたのは、今から47年も前。もともと酒に興味があったわけではなく、俳優になろうと京都の撮影所に来たのが関西との関わりだったようだ。「若げの至り」と工藤さんは言うが、俳優としては喰って行けずに当時、某ホテルにいた叔父を頼ってアルバイトとして働かせてもらっている。それからバーでも仕事をしていたらしいが、著名な指揮者・朝比奈隆さんのマネージャー・野口さんが経営している飲食店で働いていた時、その後の進路を相談した折りに独立を勧められ、野口さんの世話もあって「十年」を開いたようである。「十年」と名づけたのは、人生の節目を10年とし、それを目指して頑張ろうと思ったからで、北新地に店を開いたのは、どうせやるなら小さな店でも一番いい場所でオープンさせたかったかららしい。
先日、サントリーからもらった「Maker’s Mark 2013 EMBASSY CONTEST BOOK」に、‟「十年」の店主・工藤さんは、日本にバーボンを普及するために努めた第一人者であり、現在もカウンターに立つ現役のバーボンマスターです”と書いてあった。話によれば、サントリーがまだ「白札」なるウイスキーを売っていた時代にバーボンウイスキーの美味しさに目覚め、これを飲む文化を日本に浸透させるべく奔走したそうだ。仏文学者の佐野さんの協力も得てフォード氏、カーター氏、レーガン氏のその後にアメリカ大統領になる人物に直接手紙を送り、その思いを伝えている。この三人の中で工藤さんの手紙を読み、反応してくれたのがカーター元大統領。彼はケンタッキー州に工藤さんの思いを伝え、応援してやってほしいと願い出てくれた。カーター氏から届いた親書は、阪神淡路大震災まで店に残っていた。残念ながら地震で落ち、ウイスキーの瓶が割れて漬かってしまったために店内には飾れなくなっている。今ではマンスフィールド元駐日大使からの親書が飾られている。
工藤さんの話によれば、1960年代はまだまだバーボンウイスキーの認知度は低く、日本人は西部劇での酒をイメージしており、「ヤンキーの酒が飲めるか」との偏見も持っていたようだ。「当時、バーボンというと、東京の有名ホテルに『I.W.ハーパー』が一本あったぐらい。それも埃をかぶっており、聞くと、アメリカ人が置いていったとのこと。なぜ飲まないのか?と質問すると『ヤンキーのウイスキーだから美味しいはずはない』と言っていましたよ。どうやら西部劇でガンマンが飲んでいそうな悪臭のある強い酒との誤解があったようですね」と工藤さんは60年代当時を振り返ってくれた。
ここで少しバーボンウイスキーについて触れておこう。バーボンはアメリカでエライジャ・クレイグ牧師によって造られ始めたのが最初だとの説がある。アメリカでの蒸留酒の歴史は、1600年代(バーボンウイスキーの誕生は18~19世紀にかけてといわれている)。新大陸に渡ったスコットランドやアイルランドの人達は、初めはリンゴ酒やラム酒を飲んでいたが、やがて故郷でのウイスキー製造法をいかして簡単に入手できるトウモロコシやライ麦でウイスキーを造り始めている。独立戦争後にアメリカ政府がそれまで無税だったウイスキーに税金をかけると言いだしたために反発した開拓民は、今まで暮らしていた土地を捨て、ケンタッキーやテネシーという政府の力が及びにくい土地に移って行った。これらの地は、トウモロコシの産地。これを原料にウイスキーづくりを始めたのがバーボンの始まりとされているのだ。
バーボンという名称は、フランスのブルボン王朝に由来する。同王朝は独立戦争の時にアメリカに味方した。後に大統領となったトーマス・ジェファーソンがケンタッキー州の郡のひとつをバーボン郡と名づけ、同地で生産されるウイスキーがそう呼ばれるようになった。しかし、今はバーボン郡ではウイスキーが造られていないらしい。バーボンはその後に原料と製法によって再定義されている。厳密にいうと、①51%以上トウモロコシを使っている②アルコールが80度以下のもの③ホワイトオークの新樽を使用④二年以上熟成したものの以上4つを満たせば、バーボンウイスキーとなるようだ。
「あえみそ」を使ってウイスキーのつまみをひとつ!
話を「十年」に戻そう。このバーは、バーボンウイスキー専門店と銘打っているように酒は全てバーボンで構成されている。おなじみの銘柄もあれば、見たこともない銘柄もあり、どうやら900本ものボトルを揃えているらしい。工藤さんは、西部劇の悪いイメージを打破したい一心で店を開き、バーボンの美味しさを紹介していったのだが、「実に香りのいいものが多いですよ。匂いは樽から来るものでホワイトオークを深く焼くか、浅く焼くかによって味も変わってくるんです」と話している。ここに訪れる客は、工藤さんの薦めるバーボンをロックやストレート、ハイボールなどで飲り、工藤さんオリジナルのつまみをアテとする。私が初めて行った日は、あんことクラッカー、醤油煎餅が皿に載っていた。工藤さんの話では、あんこをクラッカーや煎餅の上に載せて食べるのだという。甘いアテはどうかと思ったが、口に入れるやびっくり。そのあんこに全く甘みがなかったのだ。話によれば、あんこを作る際に砂糖を入れず、塩で調味したそうだ。この甘くないあんこが醤油味の煎餅にマッチして実にいいアテになっている。つまり全てが全てバーボンの味にはまるように計算して作っているのだ。
そんな工藤さんが私の遊び心に応えて作ってくれたのが味噌である。これはクルミ100~150gを摺り潰して、丸新本家の「あえみそ」を加えて作っている。塩は使わず、ブラックペッパーをかけて味を調える。初めは唐辛子でやったそうだが、どうしてもその味が舌に引っかかるためにブラックペッパーにしたという。この「十年」オリジナルの味噌をクラッカーに塗ってもいいし、クリームチーズにつけて食べてもいい。珍しいところでは、工藤さんが百貨店で見つけてきたというごく薄の赤煎餅に載せている。この煎餅は、厚みがなく、すぐに割れてしまいそうなもの。「あまり味がしないので、この味噌にフィットする」と言っていた。
味噌だけを初めになめた時に、少し甘いかなと思ったのだが、「JUKKA」なる赤煎餅やクラッカーに塗って食してみると、味がうまくまとまっており、実にいい酒のアテになっていた。特にクリームチーズとの相性はばっちりで、これならバーボンが進みそうだと思った次第である。
工藤さんにこの味噌に合うバーボンを教えてもらうことにした。思わず棚から取り出してきたのは、「オールドクロウ」「クレメンタイン」「イエローストーン」「ケンタッキーカーネル」の4本のボトル。ともにさっぱりした味わいで、甘めの味噌に合うのだという。その中でも「オールドクロウ」は、辛口で食前酒向きの味。香りは決して甘くはないが、樽のいい匂いがする。工藤さんは「香りが強すぎたらこの味噌には合わない」と指摘する。「ベリーオールドブラントン」などは飲んだら合うかもしれないが、バニラのような甘い香りがするために、せっかくの味噌の風味を台無しにしてしまうらしい。「この『あえみそ』は美味しいですよ。例えば塩気のないチーズを焼き、この味噌を加え、生のキュウリを載せて食べるんです。味噌自体の塩分が低いからいいんですよ。それに先程のオリジナル味噌をクラッカーに塗ったでしょ。あとでレモンの皮を摺りおろしてチーズにかけても香りが立っていいんですよ」と工藤さんは話している。そういえば、クリームチーズにそれをつけてから食べた際には、チーズの酸味が利いて味噌の甘みは口内に残らなかった。そんな風に私なりの感想を述べると、「そうでしょ。塩分が強いものにこの味噌をつけると、口直しにもなるんです」と教えてくれた。
工藤さんがこのつまみに合うと出してきた「クレメンタイン」のボトルを覗めていると、この酒のアルコール度数が50.5度あることがわかった。「愛しのクレメンタインって思うけど、けっこうアルコールが高いんですね」と言うと、「あまりアルコール度を見ない方がいい」と工藤さんは言う。彼の話では、度数を気にするから酔うんだとも。「日本人は度数を気にするあまり、すぐに酔ってしまうとアメリカの人達は話していました」。
ところで「十年」では、ウイスキーを注文すると、シングルではなく、ダブルで出してくる。そしてストレートには牛乳がチェイサーとして付く。なぜ牛乳なのか不思議に思って聞くと、「牛乳はウイスキーを消化させる作用があるんです。よく酒を飲む前にそれを飲んでおくと、胃の中に粘膜を作るからいいって言いますよね。それもあるでしょうが、その前に消化作用を持っているんですよ」と話してくれた。「これも全て京大の研究者だった佐野さんの受け売りですが…」とにっこり笑う。こんなベテランバーテンダーなのに時折り見せるちゃめっけが実に人間味があっていいのだ。
棚には珍しいバーボンも含め、数多くのバーボンウイスキーが並んでいる。そして壁にはケンタッキー州から贈られた名誉市民の認定証明書が掲げられている。これは工藤さんがバーボンの世界で果してきた足跡を示すものだ。日本でのバーボンブームを作った功績者が湯浅の「あえみそ」を使ってつきだしの味を決めようと格闘している様が何となく面白い。まじめさ、熱心さに叶うものはないのだと、工藤さんの姿を見てしみじみ思った。
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<取材協力>
十年(とうねん)(大阪市北区)
住所/大阪府大阪市北区曽根崎新地1-5-7 梅ばちビル1F
TEL/06-6344-2407
HP/ 公式HPはこちら
facebookはこちら
営業時間/18:00~翌2:00(土曜は~24:00)
休み/日祝日
メニューor料金/
クレメンタイン S800円 W1400円
オールドクロウ S700円 W1200円
イエローストーン S700円 W1200円
ケンタッキーカーネル S700円 W1200円
メーカーズマーク S800円 W1400円
※カウンター席が800円、ボックス席が1000円のチャージがつく。
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。