49 2017年04月室田大祐さんは三度目の登場で、すでにおなじみの料理人といえよう。彼は、大阪府日本調理技能士会の会長を務め、大阪、いや関西の日本料理界をリードする人物だ。イスラム教の信者達が安心して日本で食事ができるようにと、ハラール和食の開発に早くから取り組んでおり、その世界の第一人者でもある。湯浅醤油がハラール専用の設備を取り入れて仕込んだ醤油(ムスリムフレンドリー湯浅醤油)を発売したので、それを用いてハラール和食を作ってもらおうと室田さんに願い出た。第一人者と称される料理人は、この醤油にどんな感想を持ったのか、その料理を紹介しながらレポートする。
大阪府日本調理技能士会
室田大祐
(大阪府日本調理技能士会・会長)
「これまでのハラール醤油は、
塩分が強すぎ、味に深みが
ありませんでした。この
『ムスリムフレンドリー湯浅
醤油』は、『樽仕込み』が
ベースとなっているので、
私が思う味にできるんです。
これで醤油の心配がなくな
り、ハラール和食を一歩
進めることができます。
」
「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」は、ハラール和食の光になる
2020年に東京オリンピックが実施されるので多くの旅行客が日本を目指すようになった。海外からの客をいかに迎えるかが日本における課題で、その整備が急がれている。そんな中で最も立ち遅れているのがイスラム教徒のための食事。彼らは宗教上の理由から酒や豚肉が食せず、それを用いた環境での食事もままならぬとされている。つまりムスリム(イスラム教徒)にとっては、きちんとした門戸が開いていない状況なのだ。真の国際化を目指すべく設立されたのが日本料理国際化協会で、そこでは室田大祐さん(大阪府日本調理技能士会会長)がハラール和食を広めるべく、講習会をやっている。詳しく知りたい人は、「食の現場から」第29回と、このコーナーの第28回を読んでほしい。
前述したようにムスリムの人達への食事提供で最も気を遣わねばならぬのは、酒と豚肉。ともに宗教上の理由から食せないために、これを用いることができない。こう記せば、「なんだ。それだけか」と思うかもしれないけが、そんな安易なことでは済まされないのだ。豚肉を調理した厨房でハラールの料理を出すこともダメだし、酒を入れたグラスを洗ってノンアルコールの飲料を注ぐのもだめ。調味料とて、大半のものがアルコールを用いており、使えないと来ている。一般的な醤油は、製造途中でアルコールを使うことで酵母を眠らせ、瓶内で二次発酵しないように造っている。だから早い話が、周りにある醤油や味噌を用いるわけにはいかないというわけ。ハラール和食にいち早く取り組んだ大阪府日本調理技能士会・会長の室田大祐さんは、「酢やみりんが使えない、醤油や味噌もハラール認証品でなければならず、調味にかなり苦労をした」と話していた。私もハラール認証調味料を味わったことがあるが、醤油や味噌はかなり塩辛くて(しょっぱくて)使いづらく、みりん風調味料に至っては水飴のようなもので、その態をなしていないように思えた。
室田さんが以前から懇願していたのは、湯浅醤油でのハラールへの取り組みだ。ここの醤油は添加物を用いておらず、原材料もきちんとしたもので、ハラール醤油になりやすい。だから早く認証を取って使わせて欲しいと彼は訴えていたのである。
今冬、湯浅醤油が新発売した「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」は、その条件を満たすもので、シンガポールの認承を取っている。以前から同蔵にある「樽仕込み」がそのもとになっており、火入れする時にアルコールを飛ばしたり、キャップの消毒にもアルコールを使用しないことで対応しようと考えた。前述したようにハラール認証の醤油や味噌は、塩分がなぜか強すぎて、調味料としての持ち味をいかしえていない。つまりそれらと日本の醤油は別物の味と考えた方がいいから、うまく和食調理ができなかった。今回の「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」は、そんな心配が皆無。味も従来の「樽仕込み」と同じである。室田さんも「これなら従来の味付けができる」と太鼓判を押していた。
「俗にハラール醤油といわれていたものは、塩分が強いのがネックで、味に深みがなかったんです。改良されて来たと伝えられますが、まだまだ満足な調味ができる域には達していません。今回の『ムスリムフレンドリー湯浅醤油』は、普通に味が出せる。言葉にすれば、それだけと思われるでしょうが、それができなかったんですから、かなりの進歩。コレなら私が作って来た料理の味は、うまく表現できるんです」と室田さんは力をこめて語っていた。一般的に新製品を「従来と同じ」と表現すれば、期待倒れに聞こえるが、これは逆。「普通の醤油と変わらぬ味」が賞賛すべきフレーズなのだ。
なぜこれほどまでに同じ味ができたのか?企業秘密なので言えないことは沢山あるが、湯浅醤油・新古敏朗さんの言葉を借りれば「そもそもの造り方にある」とのこと。普通、濃口醤油の旨み成分とされる窒素含有量は1.6%で、これを0.1%上げるのが難しいとされている。1.8~1.9%が限界といわれる中で湯浅醤油の濃口(樽仕込み)は、2.2%もある。寝かせる時間とその造り方に他社との違いがあるそうで、こうしてできた醤油なのでアルコールを飛ばしても味が変わらないのだという。「塩辛さ(しょっぱさ)のある味は、東南アジアや中近東の人を意識しすぎてそんな風になったのかもしれませんね。香りも出ないし、無理にやることで全く異なるもの(醤油)になってしまうのではないでしょうか」と新古敏朗さんは、従来品の味を分析している。私が思うに、あの塩分の強いものは、醤油ではなく、醤油風調味料だったのではないだろうか。
せっかくの醤油の味を損ないたくない
ここまで「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」の話をすると、今回の取材では室田さんの料理がハラール和食の中で再現できたことがわかってもらえるだろう。本取材で室田さんが作ったのは①甘海老の醤油麴②イサギの幽庵焼③天ぷらにゅうめんの三つ。全て一般の醤油は使用せず、「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」で作ったものばかりである。
「天海老の醤油麴」は、室田さんがこれからのハラール和食の調味に欠かせないというものがベースとなっている。粥を作り、混ぜて70度に落とし、麹を入れてさらに温度を下げる。ぬれタオルで蓋をし、炊飯ジャーの蓋が開かぬように重しをしながら仕込んで麴を作る。そこへ甘海老を入れ、千切り昆布を加え、「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」を用いて調味し、二日間置いて発酵させるのだという。室田さんは、これがハラール和食の武器になると、かなり細かく説明していたが、配分や作り方を一般に伝えるのも難しいのでここではカットして簡易に記した。けれどかなり手のこんだ作業だというのはわかってほしい。
「イサギの幽庵焼」は、イサギのアラでだしを摂っている。そのアラだしと「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」、ハラール認証のみりん風調味料を合わせ、輪切りにした柚子をそこに入れて鍋にかけている。これを漬け地にしてイサキの上身を浸し、焼いているのだ。幽庵焼とは、江戸期の茶人・北村幽庵が考案した調理法で、魚の切り身を醤油・酒・みりんと合わせたものに漬けて焼いたもの。何が言いたいかというと、ここでは酒を用いるのが定義なのだが、ハラール和食だと、それが使えない。加えてみりんも例の水飴のようなものである。室田さんは、その代品としてアラだしを用いた。これがこのハラール和食の調味のポイントなのだ。これは醤油が従来の味であってこそ、工夫できた技であろう。
「天ぷらにゅうめん」は、鰹だしに、「ムスリムフレンドリー湯浅醤油」とみりん風調味料を合わせ、差し鰹することで調味し、だしを作っている。どうしてもみりん風調味料だとコクが出ないから鰹を後から足してだしを作らねばならない。「それでもコクが足らない」と室田さんは指摘する。そこでどうしたらいいかと頭をひねった結果、天ぷらを載せることにしたそうだ。天ぷらを入れる前の状態で味わってみたが、それでも十分美味かったと思う。ところが、加えてみると天ぷらの味が染み、いっぺんにコクと甘みがプラスされた。流石は一級料理人の計算だと感じた次第である。ハラール認証のみりん風調味料では補えないものを天ぷらが代わりの役を果たし、旨みをつけた。これが技といえるだろう。室田さんの取材では事細かに作り方や割り合いまで教えてくれたが、あえてその部分は省いた。このポイントこそが、作り出すのに苦労する部分で、あっさり教えるわけにはいかないと私が判断した結果なのだ。もしプロが読んでおれば、そこをうまく配分しながらやってほしい。
ところで室田さんが教えるハラール和食の講習会は、これまで大阪で5~6回、東京で2回開催されている。来ている人は感度のいい料理人ばかりなので熱心で、受講の反応もいいらしい。まだまだ少ないながらも地道にやっていれば徐々に増えていくだろうと日本料理国際化協会では踏んでいる。日本人の特性から尻に火がつくまでは、その大事さがわからぬのではないだろうか。けれど2020年は、あと2年もすればやって来る。オリンピック開催が目前へと迫ってからでは、ムスリムへの反応は遅いのではないだろうか。そう思うと、早めに室田さんの講習を受けて準備しておいてほしい。
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<取材協力>
大阪府日本調理技能士会
住所/大阪市港区築港4-2-5
HP/ 公式HPはこちら
営業時間/※今回は店舗取材ではない為、取材のご協力をいただいた
情報になります。
●大阪府日本調理技能士会
住所/大阪市港区築港4-2-5
TEL/090-9048-8005
●日本料理国際化協会
住所/大阪市中央区南船場4-12-22 心斎橋東栄ビル3F
TEL/06-6241-3299
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。