127 2024年04月 サラリーマン勤めをしていると、帰り道に一杯飲るのが心のやすらぎに思えて仕方がない。大阪でも本町や淀屋橋には、その手の需要を満たす居酒屋が賑わっている。今回紹介するのは、地下鉄・本町駅の直結ビルの地下2階にある「喜りん」だ。この店は家庭料理を売りにした憩いの場。女将に聞くと、居酒屋以上で割烹未満の位置づけにあるという。しかも店主(女将)は、38年9カ月有名企業に勤め、第二の人生として飲食店を開業した女性なのだ。そんな人だからビジネスマンの気持ちもわかり、どこかほっこりさせてくれる料理屋を開いたのであろう。定年を機に事務職から料理店経営へと活躍の場を移し、好きな料理の仕事へ入ったという本田喜代子さんに今回はスポットを当ててお送りしよう。
家庭料理 喜りん 本田喜代子
(「喜りん」女将)
「カカオと醤の両方が主張する
ユニークな調味料。
この『カカオ醤』を用いて
ソースを作ったり、
デザートにしたりと楽しみました」
定年後の華麗なる転身。夢の実現へ
大阪メトロ(地下鉄)御堂筋線本町駅直結のイトゥビル。この地下には、色んな飲食店がひしめきあっており、さしずめビジネスマンの憩いの場というところか。今回の訪問店「家庭料理 喜りん」もそんな一郭に位置している。大阪・本町は、商都大阪きってのビジネス街だ。そんな中心地にあって、しかも駅近の物件なので連日会社帰りの人達で賑わっている。この場所を「喜りん」の女将・本田喜代子さんは、第二の人生の地に据えた。
本田喜代子さんは、根っからの料理人ではなく、少し前までは大手企業の会社員として事務職で働いていた。「短大を卒業してその会社一筋に38年9カ月ビジネスウーマン時代を全うした」らしい。定年になって大手企業を辞し、「さて第二の人生を」と飲食店経営の道を志した。中学2年生から料理教室に通い、結婚しても自宅では30年以上もホームパーティーを催した経験があるにはあったが、飲食店はズブの素人。料理好きが高じての飲食店開業になったわけである。「ここまで来たのは、周りの人達の応援のおかげ」と謙虚に首(こうべ)を垂れる様が実に印象深い。
本田さんは、昔から料理好きで、自営業を営む親に代わって小学生の時から台所に立っていた。「食に携わる仕事に就きたい」というのが当時の夢で、短大を卒業後にはそんな道をなぜか歩まず、周りと同様に一般企業へと就職活動を行ったそう。大手企業に就職し、オフィスワークに就くつもりでいたところ、たまたまその会社にキッチンがあって料理講師の仕事があることを知ったという。「入社して料理講師の仕事に回してもらえないかと頼みましたが、それに就くには資格が必要で、上司から『資格を持ってないからダメ』とあっさり断られました」と話してくれた。その会社では、事務職でいくつかの異動も経験したらしいが、一所懸命にオフィスワークを全うしたようだ。当然、結婚もして子供もでき、家庭でも幸せに暮らしていた。そんな無風状態を打ち破ったのが定年退職。2019年12月に「店をする」と言って辞めたのだとか。「有言実行すべく、1月から物件探しを始めたんです」。ところが2020年春にコロナ禍が襲う。一旦、夢が頓挫しかせたように見えたものの、彼女の信念は揺るぐことなく、2023年夏には「喜りん」をオープンさせている。
飲食店を開業すべく産業創造館が主催する飲食店開業準備セミナーを受講。そこでターゲット層の絞り込みや出店エリアを検証。店舗イメージと提供する料理を打ち出しながら一歩ずつ夢の実現へと近づけて行った。その頃から和モダンの店で家庭料理を出したと思っていたそうだから、まさに「喜りん」でそれを具現化したともいえよう。
2021年には、夢の実現化のためTV出演もあった。朝日放送の「おはよう朝日です」では、「開店!コロコロレストラン」というコーナーがあって当時はタレントのたむらけんじが担当していた。同コーナーは、開業を目指す素人を応援するとの主旨で、COROCORO(レンタルキッチン)で出店したい人を募集し、TV局が客を集めてそこで料理を提供するという内容だった。その企画に定年を間近に控えた本田さんが応募し、見事そのプレゼンが通ったのである。「たむけんにプレゼンし、コロコロシェフに認定してもらったら、次はそこで一般人に料理を食べてもらうんです。人生で初めてお金をもらって料理を提供したんですが、まさにいい経験になりました」と本田さん。その時は、コース仕立てにして1500円の値段をつけたらしいが、たむけんから「安すぎる」との指摘も受けたのだという。TVのオンエアは一回こっきりだが、その場所は希望すればレンタルできるらしく、延べ10回に亘り、飲食店経験(お金をもらって料理提供を行う)を積ませてもらった。それが開業に向けてのいい経験になったらしく、本田さんによると、「TVを観た人が店に来てくれる」そうだ。
物件探しは、色んな伝手を頼ったようだ。昔の会社の人も一緒になって探してくれたらしい。そして2023年3月に今の場所が見つかり、開店準備に移った。「喜りん」のコンセプトは、居酒屋以上、割烹未満。できれば、その中間辺りに置きたかったそうだが、ビジネス街の物件だから、やや居酒屋寄りに設定している。本町で、しかもビル中(地下)物件を考えれば会社帰りにリピートしてもらうことを期待して開業すべきとの周りの人からのアドバイスに従ってそうしたのだとか。「部課長レベルの人がスタッフとの懇親に使ってもらえればいいと考えました。くつろげる店にしたいし、小グループの宴会需要も掘り起こしたい。そう思って運営し始めたんですが、奇しくも思ったように店運営は進んでいますね」と本田さんは話してくれた。当初は、元同僚達が連日のように訪れていたらしいが、その比率が低くなり、今では本町・淀屋橋辺りのビジネスマン利用が中心に。新規客がリピートする率も高くなっており、坊主(客がゼロのこと)の日がないくらいの盛況ぶり。時には予約で満席の日が続くこともあるようだ。
「喜りん」の料理は、季節感を意識した家庭的なものが多い。料理は、本田さんとスタッフの松下優子さんが考えて作っている。「プロではなく、素人っぽいところを残して運営しています」と言う。素材を替えながらメニューを考えて調理しているのが特徴で、一品一品に優しさや人のあったかさが感じられるのがいい。「料理は、コレというのを決めず、替えたい時に替えています。料理本やYouTubeを見ながら格闘していますよ」と笑っていた。「喜りん」らしさが出ているのが、「おばんざいの盛り合わせ」だ。「喜りんの前菜盛り合わせ」は、1200円で6〜7品が出て来る。少しずつ盛り合わせており、この家庭料理風のもので一杯飲るのがオツ。「10品ぐらいから7〜8種を選んで前菜に提供しています。付き出しもこの中から選んでいるんですよ」。アラカルトとコースがあって、そのうちのコース料理は、4500円と6000円の二種。4500円コースの内容は、前菜・メイン料理①・おばんざい三種盛り・メイン料理②・締め(ご飯類か、麺類)・デザートの構成に。4500円でこんなに種類があるとは幸せな予感がする。6000円コースも皿数は同じだが、素材が違ったり、料理内容が違ったりする。いわば豪華版というわけだ。「4500円コースでは豚バラ肉を使っていたものが、6000円コースだと和牛ロースに替わっていたりしますし、時に蟹の酢物などいい素材を使っていたりもします」。料理も美しく器に盛られており、値段は居酒屋に近くとも、内容は割烹レベルで、コンセプト通りに行なっていることを実感した。
頭を悩ませながら「カカオ醬」の個性が出た品に
さて、私は湯浅醤油・丸新本家から予め商品を送ってもらい、「喜りん」らしい料理を期待して取材日に訪れたわけだが、本田さんは色々と思案した挙句に七つの料理を披露してくれた。今回は、スペース的なものもあって四つの料理を紹介することにしたい。
まず一つめの「えのきの山椒煮」は、普段から前菜盛り合わせに登場する「喜りん」の好評メニューに、「煮つけ濃口湯浅醤油」をプラスして調味したものだ。これは、えのき茸を醤油・酒・みりん・砂糖・だしで甘辛く煮たもの。仕上げに実山椒を加えて出すのだが、今回はさらに「煮つけ濃口湯浅醤油」を醤油全体の10%分加えてコクを出して調味している。「送ってもらった『煮つけ濃口』醤油を全てに使用すると色が濃くなりすぎると思い、10%ぐらい使うことにしました。普段は牡蠣醤油を加えるのですが、今回はこの醤油で味を調えました。使っているのが10%程度なのでいつもの料理とガラリと変わるまでは行きませんが、『煮つけ濃口』醤油の方がコクがあるのでいいかもしれません。この醤油はなめても美味しいので旨みを足す感じで使ってみました」と本田さんは語っている。「喜りん」では、「煮つけ濃口」醤油を一般の醤油にブレンドして使うことで、旨みをうまく出しているようで、時に淡泊な魚でもこれによってコクが出ると話していた。
二品目は、本田さんというより、スタッフの松下優子さんの作品。「喜りん」では、ポテトサラダが自慢で、そのレシピづくりを松下さんが担っている。今回の「ポテサラ」は、「具だくさん金山寺味噌」を潰して調味している。松下さんの話では、いつもの「ポテサラ」は、里芋とジャガイモをマッシュして作るそう。里芋を加えているのは、変化を出したいから。「他店がジャガイモ100%で作るところを、うちでは里芋も加え、粘りを出している」と話す。そして玉葱とベーコンを入れて塩・コショウ・酢で調味して仕上げている。「ポテサラというと、マヨネーズの味になってしまいがちに。それが嫌で、米酢を利かせ、マヨネーズの量を少なめにしています。その方がヘルシーで、芋の味がきちんと伝わるんですよ。ジャガイモだけならマヨネーズの味が勝ってしまいがちになるので里芋も加えます。そうすることで一辺倒な味になりにくく、粘り気も出ていいんですよ」と松下さんは、名物ポテサラの秘密を明かしてくれた。今回のポテサラは、そこにまだ「具だくさん金山寺味噌」が入っている。松下さんは、「大きな具があるから刻んで加えた」ようだ。「具だくさん金山寺味噌」を使うことで、調味料と具材の役目を一緒に果たしてくれると評していた。
「牛肉を塩コショウを使って焼いただけ」と本田さんが謙遜するのが三つめの料理。「牛肉のステーキ」には、「カカオ醤」が用いられている。本田さんは、この「カカオ醤」でステーキのソースを作った。みじん切りの新玉葱をゆっくり炒め、そこに赤ワインと米酢を少し入れたのだが、それでは甘みが物足りず、みりんも少しだけ足している。「最後に『カカオ醤』を加えてあまり熱せずにソースを作りました。本来は、ステーキに添えて出すところを絵柄を考え、ちょんと載せて提供しています」と本田さん。この「カカオ醤」の使い方については相当頭を悩ませたらしい。「カカオと醤の両方が主張するので、食べ物としていかに成立させるかが肝だったんですよ」。取材がある直前に友達を呼んで試食してもらったら、「ソースとしては合格ね」とお墨付きをもらったそうで、安心してこの日に臨めたと話していた。それくらい苦心した作品のようだった。
最後は、デザートの「カカオ醤アイスクリーム」だ。実は、このレシピには陰の功労者がいる。偶然にもその考案者は、私の知人でもある阿(おか)充知彦さんだった。彼とは、古くからの知り合いで、本田さんとも知己があり、「喜りん」をオープンするにあたってアドバイスを行なっていたという。そんな阿さんは、湯浅醤油から届いた「カカオ醤」を持ち帰り、試しにレシピを創作したのだとか。阿さんが考えたのは、バニラアイスクリームに甘酒と「カカオ醤」を混ぜる方法。こうすることで甘酒のコクと甘みが入ってバランスが取れる。本田さんも「カカオ醤」の独特の風味も加わって親和性が取れたと評していた。その阿さんのレシピをアレンジしたのが、この日の作品だ。本田さんは、バニラアイスクリームに「もろみ美人」の濁酒(鳥取の「上代(かみだい)」が造ったにごり酒で、アルコールは8%のもの)と、「カカオ醤」を加え、緩ませてから混ぜて再冷凍して作っていた。「鳥取の『上代』の酒蔵の近くに友達が住んでおり、時折り鳥取の銘酒を送ってくれるんです。『もろみ美人』は、その中の一つで、これなら甘酒に近いと思い、阿さんのレシピにアレンジして作りました」。そして仕上げには、ビターなカカオフレークを振り掛けている。一見、クッキー&チョコにも見える見ためだが、混ぜ込まなかった理由は「色が褐色になってしまうのを嫌って」だそう。私としてもこの方がパリッとしたアクセントが付いて苦みも加わっていいと思った。実は、このデザートをこれまた偶然にも味見した知人がいる。「第123回名料理、かく語りき」の中に出て来る業界の先輩・田中實さんがその人で、彼は「もろみ美人」を「低アルコールのどぶろく」と評し、それを合わせて作った「カカオ醤アイスクリーム」を「うまく融合させたデザート」と言っていた。甘酒と合わすことを見つけ出した阿さんも流石だが、甘みのあるにごり酒でアレンジさせた本田さんもユニーク。三つの素材でコクが出たアイスクリームは、なかなかの出来映えである。それをグルメな田中實さんが味わってOKを出したところにこの一品のストーリーが窺える。「口に入れると、まずしょっぱさが来て、それが次第になめらかになって行きます。にごり酒はアルコールなので冷凍してもカチンカチンに凍りません。その緩さがまたいい味になっているんですよ。親和性があってバランスが取れ、難しかった『カカオ醤』の使い方が、何とか完成しました」と本田さんは言っていた。
ところで今回の取材で、面白かったことがもう一つある。それは三番目の「牛肉のステーキ」にあったガロニ(付け合わせ)だ。ここには、炒めた蕪の葉と椎茸、それに蓮根とうずらの玉子が添えられていた。この蓮根とうずら玉子が煮物かと思いきや、ビーツで漬けたピクルスだった。どおりで紫色をしていたわけだ。ビーツは、食べる輸血とか、奇跡の野菜と称され、スーパーフードとして人気が高まっている。皮をむくと、さらに濃い鮮やかな色になっており、それを用いると、こんな色のピクルスに変化するのだろう。聞けば、松下さんが以前、農家レストランに勤めていたことがあって色んな野菜を調理した経験があったので、このガロニが生まれたようだ。「うちでは、あまり尖ったメニュー開発は行わないようにしているのですが、かといって肉じゃがとか、ひじきの炊いたんでは面白くありません。時々こんな風変わりな料理もさりげなく挟むようにしています」と本田さんは説明してくれた。
オープン当初は、おばんざいとビールのセットを作って1000円で売り出したり、「お疲れサマー」と銘打って鉢盛りと冷奴、ビールのセットを1200円で出したりと苦労しながら認知度を高めたという「喜りん」だが、一年近くなって顧客が付き、ビジネスマンの憩いの場として活用されるようになった。本田さんが子供の頃から願った夢は現実になり、有言実行した第二の人生も固まりつつある。ところで店名の「喜りん」は、なぜ命名したのか?そんな疑問を本田さんに最後にぶつけてみた。すると、「身長172cmのキリンのような女将が、お客様が来るのを首を長くしてお待ち申し上げています」の回答。だから「キリン」なのだそう。
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<取材協力>
家庭料理 喜りん
住所/大阪市中央区南本町3-6-14 イトゥビル地下2階
TEL/06-6755-8866
HP/ 公式HPはこちら
営業時間/16:00〜22:00
休み/土日祝日、お盆、GW、年末年始
メニューor料金/
コース4500円、6000円
喜りんの前菜盛り合わせ 1200円
おばんざい3種盛り 900円
おばんざい5種盛り 1200円
お刺身盛り合わせ 1200円
鯖のきずし 800円
名物海鮮しゅうまい(3個)600円
鶏もも肉のしょうゆ煮 700円
肉じゃがコロッケ 600円
赤こんにゃくの牛肉巻き 500円
茄子南蛮 400円
里芋のもろみ入りポテサラ 400円
おばんざい焼きそば 1200円
牛肉のピラフ 1300円
日本酒 春鹿(超辛口)900円
日本酒 瀧自慢(辛口一微純米)900円
日本酒 紀土(純米吟醸)900円
生ビール 600円
※メニューは取材日のものなので日によって替わることがある。
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。