93 2021年05月 兵庫県神戸市にある有馬温泉は、日本最古の温泉といわれ、全国各地から湯治に訪れる。その昔、三羽の傷ついたカラスが水浴しており、数日で傷が治ったことからその水たまりが温泉であることが分かったと伝えられている。有馬がその名を知られるのは、舒明天皇(593~641年)の頃と孝徳天皇(596~654年)の頃からではなかろうか。両天皇が行幸したことで一躍世に轟いた。歴史ある有馬温泉の中でも現在最も古いとされるのが「御所坊」。創業は1191年になるそうだ。有馬の老舗旅館で、高級な宿にも関わらず、グループ内にさらにアップグレードの旅館がある。それが各部屋が一棟ごとで、しかも百平米あるという「有馬山叢御所別墅」だ。「御所別墅」では、テロワールをテーマに神戸や兵庫県の食材を使い、山家料理なる和食を提供している。その厨房を任されているのが勝田英治さんで、「御所坊」グループの総料理長(御所三坊統括包士長)を努める人物だ。素材をいかすことに定評があった料理に、彼は科学を持ち込みながら進化し続けていると聞く。そこで今回は、湯浅醤油・丸新本家の商品を持ち込んで、減圧加熱調理を駆使した三品を作ってもらった。「現代の和食は、掛け算や割り算も必要」と表現する勝田総調理長の技とは、どんなものなのか?私だけに作ってくれた三皿で読みといてほしい。

有馬山叢 御所別墅 勝田英治
(御所三坊統括包士長)
「 一般的な金山寺味噌と違って
これは味がキツくない。まろやかで
丁度いい甘みを持っています。
職人気質としては、あれこれさわり
たいものなのですが、味見した
とたん、一切そんな思いはなくなり、
ストレートに表現しようと思いましたね」

現代の和食には、科学が入って来ている

 有馬温泉に古くからある旅館が「陶泉 御所坊」。1191年に創業したというから日本の宿ではかなり古い部類に属する。その昔は「湯口屋」と呼ばれていたらしい。室町時代に足利義満が泊まり、足利幕府は“花の御所”と称していたことから“御所”の名が宿につき、「御所坊」になった。その「御所坊」は、ただでさえ格式が高く、高級なのだが、それよりアッパーな宿として「御所別墅」が有馬にできている。この旅館は、湯元坂を中心とした有馬温泉の街中より少し山手に位置している。有馬清水エリアと呼ばれるその辺りは、楓や杉が茂り、ちょっとした山の雰囲気が味わえる。旅館や土産物屋が林立する温泉街とは異なる趣で「御所別墅」の敷地内を歩いているだけで信州にいるような錯覚に陥るのだ。それくらいこの宿は、温泉街と隔離されている。まさにリゾート雰囲気たっぷりの宿なのだ。

 「御所別墅」の魅力は、空間の贅沢さにあるだろう。約1400坪という広い敷地の中に部屋はたった10室。しかもその一つずつが、棟がわかれている。つまり一部屋一棟のスタイルで、各々その広さが百平米はある。「御所別墅」の門を潜ると、まずあるのがゲスト棟で、そこでチェックインをし、各自は一棟ずつ分かれた部屋に案内される。部屋は一棟スタイルと書いたが、10棟ある全てが趣が異なっている。平屋もあれば、二階建てもあり、全ての間取りが違っていて面白い。一応、一棟につき2名の使用となっており(3名でも使える)、部屋面積が平屋になろうと、2階建てになろうと、百平米あるのだからかなりゆったり過ごせる。敷地内に温泉棟(金泉)はあるものの、部屋にも風呂はある。ユニークなのは風呂に併設されたサーマルルームで、一見サウナのように思えるが、さにあらず。ここは、人の体温ぐらいで温度が保たれている。なので裸で長時間いても大丈夫でサウナのように暑いなんて思わない。人によると、ここに飲み物を持ち込んで、設置されたテレビを観ながらゆっくりする向きもあるようだ。部屋風呂もいいが、ゆったりと湯に浸かりたいなら温泉棟へ。ここには有馬の湯の一つである金泉が沸いている。有馬には赤茶けた含鉄強食塩泉の金泉と、炭酸泉で透明な銀泉の二種の温泉がある。金泉は、環境省が療養泉として指定している単純性温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、酸性泉、放射能泉のうち硫黄泉と酸性泉を除く7つの成分が含まれており、世界でも珍しい多くの成分が混合したものだ。泉質は含鉄・ナトリウム塩化物強化塩泉で、冷え性や腰痛、筋肉痛、関節痛、神経痛、慢性皮膚病、慢性消化器病、慢性婦人病など多くの効用があるという。これらの適応症を柔らげようと、昔から貴人達が有馬へ湯治にやって来たのだ。

 「御所別墅」に泊まることは、日頃の喧騒を忘れることにある。信州などに行かぬとも有馬郷奥地の自然豊かなこの場所で十分やすらぐ。有馬の街中から少し歩いたところにある「御所別墅」に私も取材でよく使わせてもらった。大阪や神戸からこんなに近いのに別世界が味わえる_、そんな気分に浸るために取材後は泊ったわけだ。「御所別墅」ができて間もなく、某メーカーのHP内に一つの記事を載せようとして、「有馬で時を止めて贅を味わう」といった企画を作った。取材するのだからいっそのこと東京から某メーカーの担当者を呼んであげようと声をかけた。一通り取材が終わって「泊まってください」と「御所坊」の金井啓修社長も言うので、お言葉に甘えるかの如く、彼は「御所別墅」に宿を取った。

 約1400坪の敷地内に建つ全10室のサーマルスイートのうちの一棟がその日の彼の寝座(ねぐら)になったわけだ。彼は思わず「生涯の出張のうちで、こんなに広くて贅沢な部屋に泊まることはもうないだろう」と話していた。この空間を存分に使いたかったのか、「食事が済んだら曽我さんもとっとと帰ってくださいね(笑)。一人きりでこのサーマルスイートを満喫したいのです」言っており、彼の気持ちもわからぬでもなかったので、私は彼を「御所別墅」に残し、家路についたのである。それくらいこの宿は、贅沢なひと時を味わえるというエピソードなのだ。

 ところで「御所別墅」の料理だが、オープン当初はフレンチだったが、数年前から日本料理になっている。担当するのは「御所坊」グループの総料理長である勝田英治さん。勝田さんは「御所坊」の前料理長だった人物で、昨秋から「御所別墅」の厨房に立つようになった。このコーナーでもおなじみの河上和成さんが一昨年で「御所坊」の総料理長を引退し、弟子に当たる彼がその重席を担うに至った。勝田さんは、大阪の出身で、高校を卒業後、天王寺の「料亭まつむら」で修行をした。河上さんとの出会いは、豊中で。当時、河上さんはまだ有馬に来ておらず、豊中で日本料理の店をしていた。そこで勝田さんと出会っている。河上さんは「御所坊」から料理長のポスト就任の依頼を受け、そのスタッフとして勝田さんも呼んだのである。以来、勝田さんも「御所坊」で仕事をするようになった。永年、河上さんの下で料理を学び、そのイズムを継承した。河上さんが総料理長になってからは、勝田さんが「御所坊」の料理長として腕をふるって来た。そして河上さん引退後は、勝田さんが「御所坊」グループの調理場をリードしているのである。河上さんが素材をいかす調理法を大切にしたように、勝田さんも「あまり手をかけるのは好きじゃない」と言っている。ただ、彼はもう一歩進んだ所から料理を見直そうとしており、「今の料理は、掛け算や割り算が必要となった」と表現するのだ。かつて和食は、素材に何を足すか、どれを引くかで味を表現して来た。つまり、足し算・引き算の世界だったわけだ。それが現在は、機器を用いて調理する術も習得せねばならず、真空調理や減圧調理、低温調理などが機械で行われるために、これまで以上に広がりが出て来た。それを勝田さんは、掛け算や割り算もできると表現しているのである。

 「料理は、科学ですよ」と言うように、便利な技術を応用して調理していくのがこれからの料理人の表現法で、勝田さんは「御所別墅」の厨房でそれを実践しようとしている。その一つが減圧加熱調理法。「御所坊」では、2019年から調理場改革を行った。職人といえど、これまでのように長時間労働を強いる時代ではなくなっており、その人手を機械で補うようになっている。なので減圧加熱調理器やスチームコンベクション、ショックフリーズ(瞬間冷凍)などの機器を導入し、それを使いながら料理を作って行くシステムに変更した。機器を活用するからといってこれまでの手仕事を遠ざけたのではなく、人の技術にこだわる点は、そのまま残し、機械の便利な点は導入する_、そんな厨房へと変化させつつある。このシステムによって勝田さんは「自身の料理が変わった」と言い切る。特に減圧加熱調理器の「ガストロバック」は、伝統ある「御所坊」の調理場に変革をもたらしたというのだ。ちなみに「ガストロバック」とは、スペイン・バルセロナ発の減圧加熱調理器で、容器内を低圧状態にすることで食材の周りの調理液が浸透しやすくなる特徴を有す。低圧状態で沸点が下がるから低温加熱しても調理へのダメージが少なく、煮崩れしない利点を持つ。また、減圧によって食材の細胞内の空気が膨張。このスポンジ効果でだしや調味液が食材に入りやすくなるという。勝田さんは、この減圧加熱調理器を駆使することで、料理の中に科学を取り入れた一品を創造しようとしている。河上さんの素材をいかした調理法は残し、そこに科学的な技を加えて勝田さんの色を出そうとしているのだ。それが「御所別墅」の料理なのである。同施設は、神戸・兵庫を中心とした山海の幸を基軸に有馬のテロワールを具現化している。山家料理と呼ばれるそれは、和食だが、時には西洋や中華の要素も取り入れながら「御所別墅」ならではの日本料理を提供しており、それが勝田総料理長ワールドになっている。

どう見ても生の鯛なのに、減圧加熱調理法が施されて変化を

 

 さて、今回は湯浅醤油・丸新本家の商品を使いながら「御所別墅」らしい三つの料理を本取材のために作ってもらった。一つは前菜でも八寸でも使えそうな焼物で、一皿の中に明石鰆の炭焼きと播州赤鶏の串焼き、筍の金山寺味噌焼きが載っている。そして二つめは、温物で、潮仕立て明石鯛のしゃぶしゃぶ。最後は御飯で、蛍烏賊御飯である。この三品には、前述したような勝田ワールドが見られるため、料理取材に慣れた筆者でさえ、実に興味深いものだった。

 まず、一品目の焼物であるが、「明石鰆の炭焼き」では、もろみ味噌、魯山人醤油、カシューナッツ、胡桃、バターが使われ、プチベアードとスナップ豌豆、茎ブロッコリーが添えられている。「黒豆みそ」、「魯山人」醤油、みりん、酒を合わせて、鰆で摂った濃厚なだしで延ばし、漬けだしを作る。それを鰆とともに減圧加熱調理器にかける。普通の漬け込むだけでは、鰆の表面にしか味がつかないが、減圧加熱調理器にかけると細胞自体が膨らんでスポンジ効果が生じるのだ。「これを10分ずつ三回繰り返します。こうすることで、徐々にだしが鰆の中へ入って行き、中心まで味が浸透するようになります」と勝田さんは解説している。このように減圧した鰆を、38℃でコンフィする。魚は50℃を超えると、水分が外に出してしまうので、あえて38℃で油をまぶして蒸しているという。「一見、生っぽく見えますが、火が入っています。だから箸でほぐれるんですよ」。これを皮目を下にして瞬間冷凍を施し、皮をパリッとさせたらフライパンで焼く。それを一旦寝かせてから炭焼きにするそうだ。ソースは「もろみ味噌」、「魯山人」醤油、カシューナッツ、胡桃と、風味づけでバターを少し加えて混ぜて火を入れる。それに若干だしを加えてミキサーにかけ、ペースト状にするのだ。「もろみ味噌は、きつい味ではなかったので作りやすかったです。一般的な味噌だと、塩気が強く、延ばすと香りがなくなり、ぼんやりした味になるのですが、この『もろみ味噌』はそうではありません。だからそのまま使えたんですよ。もろみ味噌にナッツの香りが入り、バターを加えることでまろやかになる。鰆の炭火焼き自体も味はありますが、ソースをつければまた別の味わいが楽しめます」と勝田さん。何ともはや、トップバッターから科学を駆使した料理が出て来たので驚いた。

 「播州赤鶏の串焼き」は、焼き鳥風の一品だ。「白搾り」と酒、みりん、だしを合わせて鶏肉とともに減圧加熱調理器にかける。これも三回かけることで徐々に味を浸透させるようだ。そうした鶏肉を真空パックにし、真空調理器へ。そして52℃で約1時間かけて火を入れる。これを炭火でさっと焼いて風味づけしているので焼鳥風になる。

 「筍の金山寺味噌焼き」は、シンプルな調理で、筍に「金山寺味噌」をつけて焼いたものである。勝田さんは、「金山寺味噌の味がよかったので、これは何もしなくていいと思った」と言っている。一般的な金山寺味噌は塩辛く(しょっぱい)、クセもあるのでどうしようかと思っていたそうだが、なめた瞬間に何も手を加える必要がないと判断したそうだ。ただ、筍の上に載せにくかったので、細かく切ってだしで延ばして焼いたのだとか。「前の二品の説明をすると、かなり手を入れて調理する印象が拭えませんが、やはりいいものは何もしない方がいい。この『金山寺味噌』はそう思わせてくれる商品ですね」。

 温物の明石鯛のしゃぶしゃぶは、単に鍋物だからだしの話を聞けばいいと思っていた。ところが勝田さんは「まず鯛のアラと、野菜のクズ、昆布でだしを摂るんです。それから生の鯛を『白搾り』とそのだしに漬けて減圧加熱調理を施すんですよ」と、これまた科学的なことを示し出した。

 皿の鯛はどう見ても生の魚。なのに勝田さんは、この生魚にも減圧調理をして、しかも生活感を残したまま出したのだという。「魚は生ですが、減圧調理を施しているために噛めばだしの味がするんです」と勝田さん。だから鰆のだしにつけてからは、あまりしゃぶしゃぶしなくてもいいらしい。

「皮に火が入るくらいで。表面の色が変わったらOKです」。しゃぶしゃぶして食べると、確かに身の中にだしが浸透しているのかわかる。このままでも十分味はするのだが、金山寺味噌ベースのタレに漬けて食べるのもいい。このタレは、「金山寺味噌」を刻んでだしで延ばし、「白搾り」を少し加えて葱と生姜、太白ゴマ油で炒めたニラを混ぜて作っている。「生の鯛の身はどのくらい減圧調理するのですが?」の質問に、勝田さんは「これも10分を三回繰り返します。一回では入り切らないので三回行うのです。休ませる時間も大事なんですよ」と話していた。

 鯛の身はどう見ても生だが、熟成した鯛身のようにモチッとした感じがする。しかも身の中にだしが浸透しているのだから驚きである。これなら鍋の中に浸けすぎてパサパサになるのが避けられる。さっと潜らせるだけで火も入り、味も入る_、まさにこれからの調理には掛け算も必要だと分かった。

 最後の「蛍烏賊御飯」にも当然ながら減圧加熱調理器が使われていた。ボイルしたホタルイカを、「魯山人」醤油とみりん、酒を合わせて水で延ばした液に浸けて減圧加熱調理器へ。その後、このベースに玉葱、人参、ブロッコリーの芯を加えて炒め、昆布だしを入れて軽く煮る。これをミキサーにかけるのだ。バッカンに入れて半氷状態にしてキューブ状に切って瞬間冷凍する。これとは別に生のホタルイカを、「魯山人」醤油、みりん、酒を水で延ばしたものに浸けてから減圧加熱調理し、それを38℃でコンフィしたものを作っておく。

御飯を炊く時に「白搾り」、みりん、昆布だしで調味し、先のキューブを入れて15分程炊くのだそう。「キューブが溶けて滞留でご飯に混ざって行きます。キューブ自体にホタルイカが入っているのでその風味がうまく付くんですよ」。炊き込みご飯が出来上がったらむらして別に作った生のホタルイカを載せ、さらに蕗の薹の伽羅煮を入れる。ちなみに蕗の薹の伽羅煮は、「魯山人」醤油とみりん、砂糖少しで煮詰め、仕上がる直前に「黒豆みそ」を加えて作っている。「蛍烏賊御飯」は、食べる時にまんべんなく混ぜると、色んな味が出ていい。ホタルイカは身も味噌も入っているからご飯に十二分にその風味がついている。まさにだしだけでは出せない味で、ここでも減圧加熱調理の効果がいかされている。

 今回の三品は、本取材用で、私と新古敏朗さんだけが食べたものだが、勝田さんは同様の工夫をしながら普段から「御所別墅」の料理を作っている。「素材が命」と言いながら明石浦漁協まで専用の車を走らせて直仕入れをし、その他の材料も農家などと直接のパイプを持つことで鮮度のいいものを入れている。そんな素材主義に、減圧加熱調理や瞬間冷凍などの科学を用いながら独自の路線を敷こうとしているのだ。

「御所別墅」では、宿泊に色んなプランがあるが、大まかにいえばライトコースとグルメコースに分けられるようだ。ライトコースは、一泊二食で65000円~、グルメコースは一泊二食で80000円~である。ライトコースと聞けば軽い料理を指すように思えるが、これが通常コースで、内容は決してライトなものではない。食べ応え十分で、贅を尽くした料理が出て来る。一方、グルメコースはその名の通り素材などがグレードアップしたものだろう。基本線は、二人で一泊一棟の部屋が使え、勝田さんのこだわりと工夫を施した品々が出て来ると思っていい。ただ上記の値段は、一人分である。

 

 

  • <取材協力>
    有馬山叢 御所別墅

    住所/神戸市北区有馬町958

    TEL/078-904-0554

    営業時間/IN 15:00 OUT 12:00


    メニューor料金/
    一泊二食付き ライトコース65000円〜
    一泊二食付き グルメコース80000円〜

筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい