100 2021年12月 祇園の花見小路_、この界隈はお茶屋が軒を連ねる、実に京都らしい場所。ここに今回の取材店「杢兵衛」がある。同店は、四代目の寺田慎太郎さんが営む日本料理店で、京都でも名の知れた存在。季節感を重んじ、旬の素材を大切にしながら作った料理は、グルメをも唸らせると評判で、食してみると随所に細かい仕事が見て取れるので面白いのだ。今回は、その「杢兵衛」に湯浅醤油・丸新本家の商品を送っておき、取材用のスペシャリテを作ってもらった。おまけにその日の夕刻に再度、新古敏朗さんと訪れて会席料理を味わって来たのだ。我々の舌を魅了した料理を四つ紹介することで、「杢兵衛」の全貌を想像してもらおう。
杢兵衛 寺田慎太郎
(「杢兵衛」店主)
「金山寺味噌は、なじみの薄い
存在でした。野菜のディップ
のように使うのが本来かも
しれませんが、それでは面白
くないとばかりに朴葉味噌に
してその風味を混ぜるような
表現方法を取ったんです」
木へのこだわりも魅力の一つ
祇園を歩いていると、時折り芸妓さんや舞妓さんとすれ違う。これが京都らしさでもあり、我々のようなお茶屋遊びを嗜めない者にとってはたまらない瞬間なのだ。祇園の花見小路通りは、北は三条通りから安井北門通りまで1kmほど続く道。お茶屋が目立つので京都らしい場所ともいえる。四条通り以南の花見小路は、そもそもが建仁寺の領地であった。それがいつしか発展し、お茶屋が立ち並ぶようになった。今でこそ飲食店が軒を連ねるようになってはいるが、昔はお茶屋ばかりだったそう。戦後この地で店を開いた人に聞くと、「料理屋ごときが来て」と蔑まれたと聞く。それが今では料理屋が目立つくらいに。コロナ禍の影響もあるのだろうか、緊急事態宣言が解除されたとはいえ、かつての花街の賑わいを取り戻すまではもう少しかかるのかもしれない。それでも祇園の輝きは失われていない。
11月中旬に訪れた「杢兵衛」は、花見小路に位置している。四代目店主にあたる寺田慎太郎さんによれば、花見小路のいい場所に店を構えることができたのも前回の東京オリンピックがあった昭和39年に移って来たからだろうとの話だった。寺田さんの曽祖父は、もともと京都で材木屋を営んでいた。それが昭和3年に大阪で転業し、レストランを開業。その時の店名が「杢兵衛」で、木を扱っていたからそんな名前がついたのだろう。祖父の時代には、料理旅館となって下鴨の地に移って来ている。「杢兵衛」の近くには映画の撮影所があって当時のスター達が通っていたようだ。
現に岸恵子は、雑誌のインタビューで「杢兵衛」の話をしている。やがて「杢兵衛」は、店スタイルを変え、木屋町へ移転。そして昭和39年には、花見小路通りの今の場所で日本料理店を構えている。寺田さんの話では、木屋町では「大黒屋」の辺りにあったそう。当時からすると、かなりの年数が経ってはいるが、その頃の常連客が数人、今の「杢兵衛」に訪れるらしい。「昔通ってた人も高齢になって少なくなるのは当たり前ですが、それでも来てくれるのは喜ばしいこと」と話している。
四代目の寺田さんは。日本料理一筋の職人。大学を卒業し、東京の「京味」に修業に出て西健一郎さんに師事した。今は、閉じてしまったが、「京味」は東京の名店だった。師匠の父・西音松さんは西園寺公望のお抱え料理人をしていたほどの名門である。三年間「京味」で料理修行をし、「杢兵衛」に帰って来た。寺田さんの父親は経営者だったので、その時にいた料理長にさらに日本料理の手ほどきを受けたそう。平成23年(2011年)に事業継承をし、四代目となってからは徐々に売上も知名度も上昇し、今に至っている。二年前に店をリニューアル、曽祖父が木材商だったこともあって木のイメージが漂う店造りにし、随所にいい木材を使った。数寄屋大工に依頼し、木の材質には徹底的に拘って仕上げてもらったそう。目を惹くのは、カウンターの白木。厚みのある一枚ものの檜で、聞けば昭和39年からあるものらしい。樹齢3000年の台湾檜で作られている。こんな木を使える店は、そうそうないであろう。
「杢兵衛」は、昼が10000円と13000円の二種、夜が16000円と20000円。会席料理でコースになっている。寺田さんは、季節感を大事にし、食材で四季をさとって欲しいと言う。「旬の食材の香りや旨みを引き出すのが料理人の仕事だ」と語っていた。和食の職人は、昔からの技を継承するが故に、固定概念に囚われすぎる嫌いがある。だが、寺田さんは「日本料理は歴史を積み重ねて完成したものだが、そこに決まり事はなく、もっと自由にしてもいいのでは」との考えを持っている。「なので柔軟な頭で仕事をし、0ベースでどう考えるかを常に頭の中に抱えている」そうだ。
この日、取材を終えてから私と新古敏朗さんは「杢兵衛」を再び夕刻に訪れて食事をした。「杢兵衛」の料理には、旬が感じられ、一皿一皿に細かい仕事が施されている。ここをいかに見て、食べて和食の良さを感じるか。それが「杢兵衛」の愉しみでもある。料理内容以外にも感心することが器に良さだ。各々に物語があってこだわりもある。ユニークなのは使用した箸の持ち帰り。食事が終わると「お箸拭きにお使い下さい」と書かれたものが出て来て、それで拭いて箸箱に入れる。使っている箸が北山杉だったり、ウイスキーの樽材だったりし、それをお土産として持ち帰ることができるのだ。このサービスは、コロナ禍で始まったもの。箸と手ぬぐいのお土産が心にくい。「何とかお客様にサービスを」との寺田さんの思いがこんな所にも表れている。
なじみのない「金山寺味噌」を使って朴葉焼きを
今回、湯浅醤油・丸新本家の取材用として「杢兵衛」に送ったのは「白搾り」「魯山人」「カカオ醤粒タイプ」「赤みそ」「金山寺味噌」の五つ。これらを使って寺田さんは、①鯛の昆布締め②小蕪の生胡桃掛け カカオ醤添え③鴨の朴葉味噌焼き④牛肉の叩き丼の四品を作ってくれた。
「鯛の昆布締め」は、柵取りした鯛に塩をあてて置き、スライスする。昆布を酒で拭いて並べ、「白搾り」を塗る。さらに昆布を上に被せて重しをし、冷蔵庫に20分程入れて作る。千枚漬けで鯛を巻き込み、針柚子を天に盛って出来上がる。「普通、醤油はどうしても発酵臭を有します。だから店で火入れをしてから使うんです。でも『白搾り』は、その必要がありませんでした。生醤油として食べても美味しい。この料理は、塩の役割を醤油が果すことを表現したものです。塩味もしっかりしているので、むしろ塩をあてずともよかったんですよ」と寺田さんは説明していた。淡い味の千枚漬けと、うっすら醤油が香る鯛、そして柚子が風味の構成をしている。寺田さんが言うように「イノシン酸とグルタミン酸が口内で融合することで旨みを出している」のだ。
二品目の「小蕪の生胡桃掛け」は「カカオ醤」の粒タイプを使っている。だしと塩のみで炊いた小蕪に、ミキサーでペースト状にした胡桃をかけて、天に「カカオ醤」を載せたものだが、日本料理と仏料理が融合したような雰囲気を持つ。実は、「杢兵衛」で出していた10月の一品がヒントになっているらしい。それは香茸オイルを載せたものだが、お客さんが食べて「仏料理みたい」との感想を述べていた。寺田さん自身、そんな意識はなかったが、オイル煮にした香茸が外国料理の雰囲気を醸していたと思われる。「ならば『カカオ醤』で代用しても面白いかと考えて作ってみたんです」と話していた。生胡桃は、だしと水を加えてミキサーにかけ、裏漉しすることできめ細かくし、口当たりをよくしている。一方、「カカオ醤」はペーストタイプよりも粒感がある方がいいので粒タイプを使っているのだ。「カカオ醤」が入ることで仏料理っぽく感じるのだから面白い。寺田さんは、「カカオ醤」について「カカオのいい香りがし、食べると何となく大徳寺納豆を思わせるよう」と表現している。カカオが影響しているのだろう、口内にその余韻が残っていた。
三つ目の「鴨の朴葉味噌焼き」は、「赤みそ」と「金山寺味噌」を用いた一品。「金山寺味噌は、あまりなじみがなかったので、はっきり言って難しかったです」と本音を漏らす。本来は野菜のディップのような使い方をするのだろうが、「それでは面白くない」とばかりに風味を混ぜる点で使ってみたという。「赤みそ」25gと「金山寺味噌」50gに、普段から使っている白味噌100gを加え、酒とみりんを入れて鍋にさっと練ったものが味のベースになっている。これを朴葉に敷いて具材を載せてミニコンロで焼いて行く。ちなみに具材は、青味大根、金時人参、鴨肉である。「金山寺味噌は、個性が強い。朴葉味噌の中でまみれても生きています。それが食べたらよくわかりますよ」と言う。金山寺味噌には具材があるので細かく切って食感を残したというが、それでも十分に特徴は出ているのだ。
最後の「牛肉叩き丼」は、低温調理にした牛肉と生うにが絡み合う贅沢仕様。牛肉は塊りのまま塩をあてて3時間置き、51℃になるように低温調理している。「魯山人」醤油5mlに卵黄1個分を入れてしっかり混ぜ合わせ、ここに生うにを挿入。ざっくりと混ぜ合わせておく。牛肉の表面を鋳こした炭で炙って薄切りにし、昆布をさして炊いた白ご飯の上に並べて、先程のうにをかける。そして刻んだ鴨頭葱を添えれば出来上がる。寺田さんは、「魯山人」醤油と牛肉が合うと考え、この一品を創作した。「この醤油は、はっきり言って食材を選びます。何にかけても旨いですが、それでは意味がないと思い、うにと牛肉を使って調理したんです」。本来なら寺田さんは、一度湯浅まで蔵見学に出かけてからこの取材を受けようと思ったらしい。だが、緊急事態宣言が解除になり、急に忙しくなったためにそれもままならなくなった。「なぜ、湯浅で醤油が生まれ、それが根づいたのか?地域や歴史を学んでから受けたかったのだ」と悔やんでいた。
「近年、食の世界は変わった」とこの祇園の料理屋の店主は断言する。だから新しい味を作り出すことでも大事だし、その分、柔軟性も必要となって来るのだ。「百やって一つの成功を果たせばいい」と言いながら「失敗があるから生きて来る」と振り返る。「料理は、まず頭の中で設計し、具現化する。理屈では旨くなるはずだが、人の味覚はそれでは収まらない」。そうして職人は精進するのだろう。「その意味では、この取材は有意義なものだった」と言ってくれた。祇園で暖簾を守ることは大変だと思う。でも寺田さんのような柔らかい頭とチャレンジ精神があれば、それは十分に守られる。そんなことを思った取材であった。
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<取材協力>
杢兵衛
住所/京都市東山区祇園町南側570-120
TEL/075-525-0115
営業時間/昼12:00〜13:00最終入店
夜18:00~19:30最終入店
休み/日曜日
メニューor料金/
ランチコース 10000円(税込11000円)
13000円(税込14300円)
ディナーコース 16000円(税込17600円)
20000円(税込22000円)
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。