98 2021年12月コロナ禍で緊急事態宣言発令中とあらば、なかなか外食がままならない。店も閉まったり、ランチ営業のみだったりと、どこがまともに開けているのかわからない有り様だ。こんな調子では、グルメで鍛えた我が舌もなまってしまいそうだ。久々に店を再開したと聞いた元町の「紅宝石」へ、この取材と食事を兼ねて出かけてみた。時短営業を強いられていたにも関わらず、店主・李松林さんも息子の李順華さんも元気で、ホッと胸をなでおろした次第である。今回の取材の主役は、二代目の李順華さん。あい変わらずのチャレンジ精神で、なんと伝統的なおかず味噌「金山寺味噌」まで中華に変身させてしまう始末。この日は、「樽仕込み」や「白搾り」「柚子梅つゆ」を駆使して「紅宝石」らしいオリジナル中華を披露してくれたのだ。調味料が替われば、自ずと味も変わるというが、うまくまとめていつもの味に仕上げる所が彼の才かもしれない。9月下旬に新古敏朗さんと私が堪能して来た「紅宝石」の中華料理をリポートしよう。
紅宝石(こうほうせき) 李順華
(「紅宝石」二代目料理長)
「柚子梅つゆは、万能調味料で
揚物にかけてもさっぱり感が
出ていいですね。
料理人ながら家庭で調理をする
のが面倒だという時は、
よくこれを活用するんですよ。
原液のまま使用し、だしで延ば
すと丁度いい味わいに。
柚子っぽさも出て、梅つゆの
香りもあって使いやすいですね」
父親のDNAを受け継ぎながらも進化する二代目
ようやく緊急事態宣言が解除され、普通の生活に戻ろうとしている。専門家達は第六波を危険視しているが、11月でコロナワクチン接種が約8割になろうとしているなら、そろそろ元の生活に戻りたいと思うのは、おかしいことなのだろうか。それにしてもこの新型コロナウイルス感染は長引いている。度重なる緊急事態宣言や蔓延防止措置では、飲食店が立ち行かなくなるのもわかる。実に彼らは苦難を強いられ続けているのだ。多分にもれず、元町の中華の名店「紅宝石」も大半の飲食店同様、コロナ禍ではいくばくかの被害を受けた。いくら感染対策を施していても時短営業を強いられ、酒提供を禁じられては、通常営業ができないとばかりにしばらく休みを取っていたのだ。「やっぱり料理とお酒はセット。その片方が抜けては、いい飲食時間を提供できませんでした」と二代目の李順華さんは話す。初代の李松林さんも「今まで走りづめで来たからいい休養になったと思えばいい。ひと休み、ひと休み」とコロナ禍での営業形態をいい方にとらえて休養に当てていたのだ。「紅宝石」が再始動したのは、感染者数が減り出した頃。「当分は昼のみの営業とし、予約がある時だけディナー営業をしている」と9月末までは話していた。
そろそろ通常営業が見えて来た9月終盤に、私と新古敏朗さんとで「名料理、かく語りき」の取材に出かけた。本論は取材だが、終わってから「紅宝石」で食事をしようとの邪(よこしま)な計画もあるには、ある。一応、取材用として湯浅醤油・丸新本家の商品をいくつか送っておき、「この商品を使って二品ほど作って」と頼んでおいた。9月の下旬に「紅宝石」へ行くと、李順華さんが「色々と考えていたら、7~8品になってしまった」と言って来た。流石に7~8品は、書く側も大変とばかりに、そこから絞って3品の料理を作ってもらったのである。
ところで「紅宝石」は、このコーナーの第20回でも取り挙げたし、「食の現場から」でも何かにつけて話題にしている。新古敏朗さんは、かなりのお気に入りか、「湯浅から遠いのがネック。和歌山にあったらしょっちゅう行っているだろう」と話しているくらいだ。「名料理_、第20回」と重複するだろうが、ここで「紅宝石」の店について少し触れておく。「紅宝石」は。横浜中華街出身の李松林さんが始めた店である。コンセプトは、広東家庭料理。ところが、その範疇に納まり切らず、熊の手料理や北京ダック、スッポン料理など豪華なメニューが予約を入れれば食べられるのだ。
横浜から出て来た李松林さんは、神戸元町の「別館牡丹園」で腕をふるい、その後暖簾分けのような形で春日道・大安亭市場付近に「東牡丹園」なる店を開いた。ここでは1~2年間の営業にとどまったそうだが、1975年にトアウエストで「紅宝石」に名前を変えて今のスタイルの中華料理店を始めている。李松林さんは、かなりの腕前で、中華の世界では名を轟かすほど。彼の味にグルメ達が酔いしれたのだろう、かなりの繁昌に店が狭くなり、1981年に同じトアウエストでも現在の店舗へ移った。神戸の人は、中華を食べに行くのなら観光地要素を持つ南京町よりトアウエストを目指すと言われるくらい、この周辺は名店揃い。「紅宝石」もその一軒に当たる。李松林さんは、天才的腕前を持つ中華のシェフだ。「ボクほど料理が好きな人はいないヨ」と言いながら腕のいいことを自慢することなく、「好きこそモノの上手なれ」を実践している。そしておおらかで飾らない点が、第一の魅力でもある。何を隠そう私も30年来の常連で、私が「あまから手帖」で取材していた頃は、李順華さんはまだ学生だった。それが父親のDNAを受け継いだのか、めきめき頭角を現し、今では「紅宝石」の厨房を背負って立つ存在になっている。
二代目である李順華さんは、「紅宝石」のスタイルを守りつつも、新しいことに常にチャレンジを続けている。その一つが私がプロデュースする(「神戸酒心館」が旗振り役を務める)酒粕プロジェクトへの参加だろう。今でこそブームとなっている酒粕で、和食以外でも洋食やスイーツに使われてはいるが、彼が参加するまでは、中華で用いることはなかった。それが李順華さんのチャレンジ精神よろしく歴とした中華調味料に変身するのだから驚かされるばかりだ。酒粕プロジェクト発表会に訪れたマスコミ陣は、彼の酒粕中華料理を絶賛していた。李順華さんは、今、脂が乗った料理人というところか。年を追うごとに彼のバリエーションは広がっていく。最近は、中国江西省出身の奥さんの影響もあってか、辛みのある料理がよく出てくるようになった。辛いといっても単に香辛料で辛いのではなく、「紅宝石」らしい旨みも見え隠れする料理に。これがこの店のいいところだ。
「樽仕込み」と「白搾り」を使いわけて味の違いを表現
店の話が長くなった。肝心の料理取材へ話を進めよう。7~8品あった料理のうち3品に絞ったと書いたが、それが①醤油鶏②照り焼き鶏の金山寺味噌・梅肉あんかけ③ワンタンの柚子梅つゆあんかけである。まず一品目の「醤油鶏」は、醤油の違いで味の出方を表現したもの。だし、塩、生姜、ネギで火が通るまで鶏を煮て、それから醤油を入れたボウルに5分ほど漬け込む。醤油は「樽仕込み」と「白搾り」を入れたボウルに分けて、鶏を各々に漬け込むことで味の違いを表現しているのだ。漬け込んだ鶏をボウルから出し、乾燥させる意味でも30分おく。そして油でゆっくり低温にて揚げて行く。
「白搾り」は、色がつきにくいが、塩分が強め。それに対して「樽仕込み」は、染み込んで黒くはなるが、醤油の味がはっきり出る。「同じ漬け込み時間でも染み込むのは『樽仕込み』の方。醤油のコクや旨みがマッチして一つの風味を形成してくれます」と李順華さんが説明する。但し、「樽仕込み」は、入れすぎるとまっ黒になるので要注意だとか。一気に入れず、だしと合わせて色合いを見ながら調味して行く方がいいらしい。出来上がった「醤油鶏」を見ると一目瞭然。「白搾り」を使った方は、色が濃くはなく、「樽仕込み」の方は、「醤油鶏」らしい色になっている。
食べると、両方ともその醤油のセレクトが間違っていないことがわかり、各々風味の異なり方が楽しめるのだ。新古敏朗さんによると、「白搾り」は小麦に麹をつけて造るとのことで、大豆はほぼ用いず、ほぼ小麦で造って行く。色が薄いのにアミノ酸値が高いのが特徴で、白濁する一歩手前で止める。色が薄いと結晶が出るらしく、そうならぬように造るのが難しいのだと話していた。「白搾り」は煮込んでも黒くはならず、素材の色を出しやすいと和食料理人達が高く評している。今回の「醤油鶏」もしかりで、李順華さん曰く「焦げにくく、綺麗なキツネ色に仕上がる」そうだ。
二品目の「照り焼き鶏の金山寺味噌・梅肉あんかけ」にも「白搾り」と「樽仕込み」が使われていた。こちらは別々ではなく、「樽仕込み」1に対して、「白搾り」2をボウル内で合わせ、そこに湯がいた鶏を漬け込む。それから皮をパリッとさせる意味で30分ほど干すのだそう。それを釜焼器に入れて40分焼く。仕上げに「金山寺味噌」、蜂蜜漬けの梅肉、白ネギ、にんにく、「柚子梅つゆ」、砂糖、塩(隠し味)を合わせたものをだし(トンコツスープ)と混ぜて5分ほど煮込む。それに片栗粉でとろみをつけて先程の鶏にかければ出来上がる。よく金山寺味噌をかけて仕上げた料理を目にするが、それらは総じて甘め。今回の料理は金山寺味噌のソースなのに甘くはなく、丁度いい具合のしょっぱさになっている。単に金山寺味噌で味付けるのではなく、他のものをうまく合わせることでこの味の幅が出来上がっているのだと感じた。
中華料理を作る李順華さんは、金山寺味噌を知らない。生まれも育ちも中国の奥さんは尚更であろう。江西省には、「小米」(シャオミン)という粟のような料理があるらしい。夏にお粥のようにして食べるそうだが、奥さんはその小米に「金山寺味噌」が似ていると話していた。ただ面白いことに、鎌倉時代に僧・覚心は中国の径山寺で修行し、金山寺味噌の製造法を学んだ。そこから日本の醤油が生まれるわけだが、今の中国には肝心の金山寺味噌がないのだ。本来、中国にあったはずの金山寺味噌を中国の人が知らない不思議さがある。丸新本家から「金山寺味噌」が送られて来た時に李順華さんは、一瞬もろみと見紛えたらしい。蓋を開けてなめてみて始めておかず味噌だとわかったそう。その後、彼は「金山寺味噌」をご飯に載せて食べるようになった。それだけこの商品を気に入っているのに、金山寺味噌が持つ甘さを抑えたソースを作ったところが彼のユニークさが垣間見える点だろう。
三品目の「ワンタンの柚子梅つゆあんかけ」は、「紅宝石」自家製の酢豚のタレと「柚子梅つゆ」「樽仕込み」を合わせてソースを作り、揚げたワンタンにかけたものである。李順華さんは、普段揚げワンタンを作る時は、甘酢を用いるらしい。オレンジだとか、レモンなどその時々の柑橘系を使って甘酢を作っている。今回は、皿(写真)からもわかるようにオレンジで。「柚子梅つゆ」と「樽仕込み」を入れて鼈甲色になるようにソースを仕上げている。「柚子梅つゆは万能調味料です。冷奴にかけてもいいし、夏は冷しゃぶにも使え、冬は鍋に。柚子ポン酢の代わりに使えますしね。とにかく色んなものに使えるのがいいですよ」と李順華さんは話していた。料理人といえども家庭では、夏は暑くて料理をしたくないことがある。そんな時に便利づかいできるそう。これひとつで味が決まるらしい。李順華さんは、原液のまま使い、だしやスープで延ばすことで丁度いい塩梅(あんばい)になると言っていた。「柚子梅つゆは、日本らしい調味料ですね。和食に合うように造っているのですが、中華でも使えます。これを使ってキュウリを漬け込んでみるのもいいでしょう。梅つゆとしては秀逸で、柚子の香りもうまく出ています。揚物に用いればさっぱりしていいんじゃないでしょうか」。これは取材用ではないが、この後食べたものにキュウリを「柚子梅つゆ」で漬けた料理が出ていた。塩もみしたキュウリを「柚子梅つゆ」の原液に浸して調味している。少し塩を足した「柚子梅つゆ」にゴマ油を加えて調味するそうだ。キュウリから汁が出てしなっとしてから食べるのがいいと話していた。
前述したようにこの日は、取材が終わってから「紅宝石」でゆっくり食事をしたわけだが、取材候補からハネられたものの中に、麻婆茄子があり、それも注文することにした。これは土鍋に揚げ出し豆腐を敷き、その上から麻婆茄子の具材をかけ、少しの間煮込んで作る。ここでも「樽仕込み」が使われていた。この他に我々は、水餃子鍋など色んなものを食したわけだが、「紅宝石」の中華は、スタンダードな路線を継承しつつも、新しい発見がある。オリジナリティという言葉でくくってしまうほど安易なものではなくて、常に響きが得られるのだ。この名店ですら休業を余儀なくされたくらいだから緊急事態宣言中の縛りは飲食店にとってかなりつらいものだったろう。「ランチ需要を高めながら夜も徐々に前の状態に戻せれば…」という李順華さんの言葉がしみじみと胸に染みた。
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<取材協力>
紅宝石(こうほうせき)
住所/神戸市中央区下山手通3-5-9
TEL/078-331-6162
営業時間/11:30~14:00 17:00~21:00
※コロナ禍につき営業時間を変更している場合もあるので要確認を
休み/火曜日
メニューor料金/
薬膳料理 当帰湯(ドンクェイトン) 900円
薬膳料理 無花果湯(ウーファーグオトン) 900円
平目の鮮魚春巻き 1600円
大海老の鬼柄焼き 2000円
ホタテと季節野菜のトウチ炒め 1500円
スペアリブの梅肉蒸し 1512円
紅宝石風ローメン 864円
紅宝石風牛バラカレーライス 864円
※料金が変わっていることもあるので要確認を
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。