118 2023年07月〝灘の生一本″で知られるように、いわゆる灘五郷は、江戸期からの酒どころ。今でも日本酒の生産量は、日本一を誇る。その中の御影郷にあって宝暦年間に創業し、13代に亘って酒づくりを行っているのが清酒「福寿」を産する「神戸酒心館」だ。蔵内には酒造りはもとより、アミューズメント性を高めた蔵の料亭「さかばやし」がある。ここでは、蔵直採りの酒を提供するほか、兵庫県下の地産地消を謳って日本料理が食せる。今年1月にその「さかばやし」の料理長が大谷直也さんに代わった。大谷さんは、「さかばやし」で16年目になる古株で、二番手から料理長への昇格。なので同店の味を継承しての、新たな就任となる。当面は、継続路線を打ち出しているものの、徐々に大谷色がついて来るものと思われる。その期待値をこめながら今回は、「カカオ醤」「生一本黒豆」「魯山人」醤油で新たな料理を作ってもらった。さて新料理長は、いかなる表現をしたのだろう。とくとご覧あれ。
蔵の料亭「さかばやし」 大谷直也
(「さかばやし」料理長)
「魯山人醤油は、色目の割りには
味がさっぱりしており、
調理してもしつこくなりません。
切れがよくて舌に残らないのが特徴。
かつてベテランの料理人が作ったような赤だしの
上澄み的な使い方もできるほど、雑味がない調味料です」
「さかばやし」で長年勤めてきた料理人が花板に就任
神戸は、御影郷(灘五郷の一つ)に位置する「神戸酒心館」。江戸時代の宝暦元年(1751)に創業し、13代に亘って日本酒を造り続けている老舗蔵である。清酒「福寿」は、今や灘を代表するブランドで、ストックホルムで催されるノーベル賞公式行事にて「福寿純米吟醸」が提供されているなど話題性には事欠かない。最近は、世界で初めて酒造工程においてカーボンゼロの日本酒(「福寿エコゼロ)」を発売し、環境負担軽減を打ち出しているようだ。この蔵の中には、日本酒工場のみならず、コンサートや講演・パーティーなどが開かれる「酒心館ホール」や専用ショップ「東明蔵」、蔵の料亭「さかばやし」もあってアミューズメント性豊かな場所になっており、観光バスなど多くの来場者が訪れる。長屋門を潜って左手に見える日本家屋が、日本料理を提供する「さかばやし」で、かつて日本酒蔵に使っていた建物を飲食店として利用した。ここには、蔵直採りの酒や地産地消を謳った和食を目当てに連日多くのグルメが訪れる。
この「さかばやし」が今年ちょっとした変化を見せている。それは長年厨房を仕切っていた加賀爪正也さんが料理長を辞し、その後釜に大谷直也さんが就任したからだ。かといって大谷直也さんは、二番手からの料理長就任なので大幅に料理が変わったわけではなく、基本は体制的なこと。今後、徐々に大谷色が料理に出て行くのだろうと私は踏んでいる。
大谷直也料理長は、すでに「さかばやし」で働いて16年目になる。現在37歳なので料理人としてはこれから脂が乗り始める頃だろう。大谷さん自身、新開地の出身で根っからの神戸っ子。聞けば実家は、かの有名な「貝つぼ焼き大谷」だそう。大谷さんの祖父が始めた同店は、神戸では知らぬ人がいないくらいの名店で、現在は彼の父親と姉が営んでいるという。環境としても必然的に大谷さんは、調理とは縁があって「子供の頃から店を手伝っていた」と語っている。そんな話を聞くと、料理人になる定めだったんだと思ってしまう。卒業したら調理の専門学校(神戸国際調理製菓専門学校)へ入ってその技術を学んでいるのだ。その学校に先生としていたのが、元「さかばやし」の料理長を務めた姫井隆之さんである。姫井さんは、大谷さんの父親とは同級生で、その縁もあって子供の頃からよく知っている存在だった。大谷さんは、専門学校を卒業すると、城崎「西村屋」の系列の「元町茶寮」に就職する。そこで料理のイロハを教え込んでくれたのが、現兵庫県調理師会会長をも務める森本泰宏さんだった。森本師は、仕事には厳しく、決して手を抜かず、妥協を許さぬ人。若い時にこういった人に弟子入りしているのは、いいことで、今の大谷さんの基礎がそこで作られたといえよう。もう一人忘れてはならぬのが前出の姫井さん。森本さんが有馬の「古泉閣」へ仕事場を移したことと、丁度その頃に姫井さんが「さかばやし」の料理長に就いたこともあって大谷さんを「さかばやし」の調理場へ呼び入れてくれた。当時、「さかばやし」では、大谷さんは一番下。俗にいう追い回しで、姫井さんの下でさらに調理技術を学んで行った。「姫井さんは、昔の堅気職人で、既製品には頼らない手作り主義。マニアックなくらい凝った調理法を用いるほどで、本当に勉強になりました」と当時を振り返ってくれた。やがて姫井さんが独立し、その後に料理長になったのが加賀爪さん。加賀爪さんについては、過去に二回(第25回と85回)載せているのでそちらを参照されたし。大谷さんは彼の下で都合12年ぐらい働いている。その間に段々出世して行き、加賀爪料理長の下では二番目までなり、彼を補佐し、調理場を差配するくらい任されていた。そして今年、念願の花板(料理長)になったのである。
現在の「さかばやし」の料理は、加賀爪さんの遺産を継承している。時に料理長が代わった時に内容を一変させて、その人の色を打ち出す店があるが、私個人の意見としては、それを良しとは思わない。なぜなら客は店に付いているからだ。前料理長の味がよくて通って来るのにそれを変えてしまうと、一種の裏切り行為に映ると思う。それよりは、踏襲し、自分の色を徐々に打ち出して行き、時間をかけて染めて行く_、そんな形がベターだと思っている。ただ、大谷料理長の話では、以前に比べて追い鰹をするケースが増えるようになったそう。コストや手間の問題が生じるが、風味を考えれば追い鰹をするに越したことはない。「味がしっかりするので」と言いながらあえて多用するようにした。大谷料理長のイズムは、素材の味を重視すること。あまり触らずに自然の味を醸すようにする_、ならばだしは大事で、そのためには追い鰹をして風味をアップさせるべきなのだろう。自身「料理感はシンプルな方」と語る大谷料理長だが、加賀爪さんの料理への柔軟さは学ぶべきものがあるらしく、「和食の域にとらわれず、今の時代に合うならば変革をも用いるべき」との考え方は期待が持てる。時にチーズやバジルも積極的に使うことで面白い和食を創作したいとも話している。シンプルな和食感とは相反するかもしれないが、それはそれでいいのではと思ってしまう。要は、美味しいものを出すためにいかに知恵を巡らせるかで、その行為がなければ発展性はない。「会席の献立には一辺倒にはならずにリズム感とバランスを整えて。そしてもう一つの目玉でもあるそばメニューも充実させたい」と話しているだけに、今後の行方(ゆくえ)が楽しみである。
鴨や豚独特の匂いを醤油でコーティングする
さて、大谷料理長の湯浅醤油を使った創作であるが、今回は①合鴨ロース煮カカオ醤ソース②三田ポークの角煮③鮎の甘露煮の三つを紹介することにしよう。三つとも湯浅醤油の代表商品の特徴がよく出た料理である。まず一つめの「合鴨ロース煮カカオ醤ソース」であるが、これは「カカオ醤」ありきで考えたものらしい。大谷料理長は、この変わった調味料には肉系が合うと思ったようだ。それもこってりして重たくなりがちな牛肉より、あっさりめの鳥系の方が合いやすいと考えた。そこで合鴨の皮目側を焼いて余分な脂を落としてから酒、みりん、醤油(生一本黒豆)を合わせ、アルコールを飛ばしてから100℃で15分蒸し煮にした。そこにカカオ醤ソースを掛けて作っている。同ソースは、みりん、酒(福寿御影郷)を合わせ、アルコールを飛ばしてから「カカオ醤」(ペースト)を加えて作っている。隠し味としてバルサミコ酢を用いているそうだ。「カカオ醤は、チョコレートよりもしっかりしたカカオ香を有しています。加熱しても香りが飛びにくいですね。このカカオ感が鴨の独特の臭みを消してくれます。『カカオ醤』でコーティングすることで食べやすくなるんですよ」。「カカオ醤」自体に甘みがないのでみりんの甘みと酒のコクで味に深みを持たせて食べやすくしている。そして隠し味のバルサミコ酢で味を締めているのだ。あえて砂糖を用いなかったのは、ソースの味を濃くしたくなかったからだそうで、「みりんの甘みだと、さらっとしている」と説明していた。酢も米酢や穀物酢だと、「カカオ醤」の存在に負けてしまうと、バルサミコ酢を用いた。食べたら酸味は気づくほどだが、この酸味がいい働きをしていると思えた。「よく鴨には、九州の甘い醤油を合わせたりしますが、こちら(カカオ醤ソース)の方が合いますよ。洋食で鴨のクセを消すためにオレンジリキュールを用いたりするのですが、それとて『カカオ醤』でコーティングする方が合うように思えます。私は、この調味料にかなりの可能性を感じますね」。まさに和風チョコレートソースと呼ぶべき味わいで、「これなら子供でも食せる」と話すように万人受けしそうだ。さりとて甘すぎることなく、合鴨ロース煮にうまくフィットしていた。
二つめの「三田ポークの角煮」は、「生一本黒豆」を使って作ったもの。まず作り方としては、豚肉(三田ポーク)は、表面を焼いて脂を取っておく。次に酒(福寿御影郷)、水、葱、生姜と昆布を少し用い、だしを作り、そこに豚肉を入れて100℃で2〜3時間蒸し煮に。豚肉が柔らかくなったら「生一本黒豆」とだし、みりん、酒(福寿御影郷)、砂糖で1時間弱煮込んで作るそう。こうして角煮ができあがると、付け合わせと一緒に盛って完成する。この時の付け合わせは、新じゃがのフライドポテトと、湯がいた人参とブロッコリーをだしに漬けて作ったものである。ここで使用している三田ポークとは、文字通り神戸市の北隣り三田市の母子(もうし)近くで養豚している豚。標高500mの所に甲子園13個分の養豚地を設け、のびのびと育てている。豚舎にはオガくずを敷き詰め、汚水を出さず清潔な環境下で肥育しており、そんな豚から採った肉はきめ細かく、きれいなピンク色をしている。大谷料理長は、「臭みが少なく、脂もあっさりめ。煮ても身崩れしにくい」と評している。今回は、そんな三田ポークに醤油の味をうまく染み込ませたいと角煮を作ったようだ。「豚の旨みと『生一本黒豆』の香りを出したいと思ったんです。この醤油は、たまり醤油に比べるとコクがあるのが特徴。加熱しても醤油香が残っています。その香りで豚独特の匂いをコーティングしてくれるだろうと考えて作りました」。豚の角煮は、こってりした印象を持つが、この料理はさっぱりしている。一般的に角煮を作る際は、濃口醤油とたまり醤油を合わせてすることが多い。濃口醤油だけだと、薄く仕上がるのであえて合わせると大谷料理長は説明してくれた。今回は、送られて来た「生一本黒豆」の特徴を見てあえてたまりとは合わせず、さらっとした味わいにしようと考えた。「この醤油は、思ってたよりもさっぱりしており、これを用いることで豚肉の甘みが感じられるように調味しようと思ったんですよ。醤油に頼りすぎると、辛く(しょっぱく)なりがちなのですが、湯浅醤油の商品は、そうなりにくい。調味料というよりは、だしの感覚で調味しました」。たまり醤油を用いなかった分、豚肉は真っ黒に仕上がっていない。この点も関西らしさが醸し出た料理として映っていた。
最後の「鮎の甘露煮」は、この時季らしい一品で、ここには「魯山人」醤油が使われていた。鮎を素焼きにし、70℃の油で揚げ、それを沸かした番茶で湯通しする。酒(福寿御影郷)と水、砂糖でそれを5〜6時間、骨が柔らかくなるまで煮込むのだ。一旦、寝かせて味を落ち着かせ、その間に砂糖の甘みを浸透させて行く。翌日、「魯山人」醤油を入れてさらに1時間ぐらい煮込み、仕上げ前に少しの水飴を加えてコクと照りをつけて完成させる。「魯山人醤油は、濃口にしてはしっかり色がついており、醤油香がいい。個人的には魚との相性がいいと思ったので、旬の鮎を使いました。一般的な醤油だと、もっとこってり仕上がるのですが、この醤油はそうならない。色目の割りには味がさっぱり仕上がるのがいいですね」。大谷料理長は、「魯山人」醤油を切れが抜群によく、舌に残らない点を評価している。「普通のものより透明感がある」とも言い、汁などの上澄みのような印象を受けるそうだ。かつて某料理人が赤だしの上澄みを取って、それを素麺のつゆに用いて食べたとの話を聞いたことがあった。その上澄みは、赤だしの香りを有すが、味は透明感あるものになっていたらしい。料理人に聞くと、赤だしを一日寝かせると、沈殿するのでその上澄みを使ってつゆにしたそう。この方が、一般的なつゆに漬けるより、素麺があっさりしていいと話していた。その話を大谷料理長は思い出し、「魯山人」には透明感があると話していたのだろう。そんな上澄みつゆに似た感覚が「魯山人」醤油にはあった。大谷料理長は、「魯山人」醤油を鮎の甘露煮に用いたが、本来は造りの醤油にするのがベストだと語っていた。雑味のない醤油は、シンプルに使うのがいいとのことだった。
ところで「さかばやし」では、現在会席料理が主として出る。加賀爪さんから引き継ぎ、当然今は大谷料理長が、その月ごとの献立を考えている。料理の流れもさることながら今はいかに円滑に出せるかが課題だと言っている。コロナ禍で飲食店は打撃を受け、スタッフも少なくなった。そんな中でいかに人を遺って行くかが料理長の手腕である。顧客を待たせることなく、潤滑に回して行くのがまずは大事で、自分のやりたい料理はその次だと考えているのだろう。「私の考えで料理を作るのではなく、いかに味やリズム感が伝わるかを重視して行きたい。そのためには献立の書き方(立て方)にはこだわりたい」と語る大谷料理長。彼のイズムが浸透し、新たなチャレンジ料理が出て来るのは、それが整ってからかもしれない。「その日のために和食とはいえ、洋っぽいものでも勉強しながら取り入れていくべき」_、その言葉は、明らかに「さかばやし」の将来像を見据えている。
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<取材協力>
蔵の料亭「さかばやし」
住所/神戸市東灘区御影塚町1-8-17
TEL/078-841-2612
HP/ 公式HPはこちら
営業時間/11:30〜14:30LO(15:00)
17:30〜20:00LO(21:00)
休み/水曜日
メニューor料金/
酒心館会席 8800円
灘会席 6500円
季節のミニ会席 4000円
神戸ビーフしゃぶすき小鍋会席 12000円
昼/そば膳 2200円
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。