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新型コロナウイルスが猛威をふるっており、コロナ禍が一年半以上たってもなかなかおさまらない。店も時短営業をやむをえなく行っており、街に元気が戻って来ないのだ。こんな時に眠っているのは勿体ない。せっかく時間ができたのだから、日頃やれなかった検証に時を費やすのがいいとばかりに、料理人達に協力してもらい、新たな調味術を模索した。それは、お酢×スパイスの融合により、新たな化学反応が見られるのではなかろうかというもの。ミツカンの大阪支店が旗振り役を務め、そこにスパイスのプロや和洋の料理人、バーテンダーが集って実証を開始した。かくいう私もメンバーの一人で、彼らに取材をしながらミツカンが発刊する「お酢×スパイス読本」なる小冊子にまとめたのだ。お酢はすっぱいし、スパイスは辛い_、この二つが融合すればどんな味になるのだろう。各ジャンルのプロ達も半信半疑でスタートしたものの、結果的には「面白いものが得られた」と証言している。今回は、早春から夏まで行って来たお酢×スパイスの融合について話してみたい。果してこの組み合わせは、調味において新たなムーブメントを起こせるのだろうか。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
盗賊のハーブ酢で実証済みの二つの融合
バブル期以来、多岐に亘るグルメシーンが紹介されて来た。欧米や中国だけでなく、色んな国の料理が味わえるようになったからか、すでに出つくしている感は否めない。そう思っていたら、ミツカンから「お酢×スパイスの融合はどうだろう」との案が出て来た。お酢は酸っぱいし、スパイスは辛いイメージを持つ。この二つを融合すれば、どんな味になるのだろうか?これは面白い調味術が出来上がるのではなかろうかとばかりに、早速、調理人を交えて検証に取りかかったのである。
検証が始まったのは2021年の早春ごろ。丁度、新型コロナ感染者がまた増え始め、時短営業や酒提供の禁止によって飲食店が頭を抱え始めた時期と同じ頃だった。「少し暇になるのなら、眠っているのではなく、新たな取り組みを始めませんか?」とばかりに数店舗に声をかけた。私たちが必要とするのは、まずスパイスの専門家だ。新長田に拠点を持つ「神戸スパイス」は、バシン晴美さんが営むスパイス販売の専門店で、インド料理店やスパイスカレー店に業務卸も行っている。加えてインド料理店「神戸アールティー」も神戸や大阪・東京などで出店している。彼女らを巻き込むことによってスパイス使いの妙がわかり、その分野の知識も広がると考えた。
もともと海外では、お酢×スパイスの調味術はあるそうで、そう言った意味からも海外の料理を知る「世界のごちそう博物館」の本山尚義シェフにも参加を促した。本山さんは、東南アジアや北アフリカ、西欧など約30カ国を歩いて料理修行をして来ており、その知識を生かしてレトルト食品製造にも進出していた。彼は「暑い国は、防腐の目的で酢やスパイスを活用します。その二つの融合もあり得ること」と参戦を心よく引き受けてくれたのだ。
スパイスというと、どうしてもクミンやカルダモン、クローブとインド系に目が行きがちだが、ワサビや山椒、みょうがなども和のスパイス。この分野もぜひとも検証せねばと和の料理人にも声をかけた。くしくも有馬温泉では、数年前から有馬山椒復活プロジェクトが進行中。六甲山中から原木とおぼしきものを採取し、接ぎ木によって育てられた有馬山椒は、近い将来、温泉街を象徴する味になるのではと期待されている(食の現場から第92回参照)。そんなことから有馬の老舗旅館「御所坊」の金井啓修社長と三上真一料理長にも参加してもらった。
花隈のオーセンティックバー「サヴォイオマージュ」の森崎和哉さんは、昨年のオルタナティブアルコール開発に一役買ってくれており、割り材としてお酢の特性をよく知る人物。3年ぐらい前に香港で催されたバーテンダーの世界的カクテルコンテストでは一位を獲得したほどで、創作力も折り紙付き。ならば、お酢×スパイス×酒のカクテル術を披露してもらおうと白羽の矢を立てた。この4ジャンルのプロに、お酢博士の異名を持つミツカンの食酢エキスパート・赤野裕文さんが加わって検証が行われたわけだ。
赤野さんの話では、お酢もスパイスも昔は滋養源として扱われており、調味に用いられるようになったのは、かなり後のことであるそう。そもそも西洋は、ハーブ使いに長けている。ハーブもスパイスの一部で、その定義づけは曖昧なのだが、17世紀にできた「盗賊のハーブ酢」は、二つの融合の好事例だと教えてくれた。ちなみに「盗賊のハーブ酢」とは、欧州でペストが蔓延していた頃にできたもの。ある事で捕まった泥棒が、お酢にハーブやスパイスを漬けたものを飲んだり、身体に塗ったりしていたことでペストにかからなかったらしい。泥棒は減刑と引き換えにそのレシピを渡した。これが「盗賊のハーブ酢」として今に伝わっている。赤野さんは、西洋での融合術だけではなく、日本での事例もあると、室町時代の食文化を紐解いてくれた。「今でこそ、刺身を食べるのに醤油は必須アイテムですが、醤油が普及していなかった時代は、お酢に漬けて食べていたんです。つまり醤油の代用を酢が担っていたわけ。米酢の中にワサビを溶くと、ワサビ酢で、その他にゴマ酢、辛子酢なんてものもありました。これらはフレーバービネガーみたいなもので、お酢とスパイスの融合を歴史の中で証明しているんですよ」。そういえば、我々がよく食べる握り寿司は、江戸時代に生まれており、酢飯と生魚の間にはワサビが挟まれているのだ。私達は、知らず知らずのうちにお酢×スパイスの融合を体現していたことになる。
融合によって生まれるまろやかな味
この検証を持ちかけた時に「御所坊」の三上料理長は、その効果に半信半疑だったようだ。「すっぱい+辛いが合わさってもそれがどんな風味を生み出すのかわからなかった」というのが本音らしい。特に和食は薄味を好むために辛み素材を用いない傾向がある。けれど有馬では、よく有馬焼とか、有馬煮(山椒を用いたものを和食ではそう呼ぶ)とかが作られており、和スパイス使いがどこよりも得意だと思われた。私たちのリクエストによって山椒、ワサビ、胡椒、生姜などをお酢と合わせて調味してみると、興味深い結論に達したそうだ。それは、和スパイスが有す辛みと、お酢の酸味が見事に調和するということ。「どちらが勝つわけでもなく、中立的にうまく働く」とその効果を挙げている。「初めは、山椒香が消えるのではと思っていたのですが、香りはそのままで、むしろ合わさることで丸みのある味が生まれるのです。
この融合によってお酢の持つ甘みが実感できたのには驚かされました」と三上料理長は感想を述べている。ネット情報の氾濫もあって調べものは、パソコンやスマホに頼る時代になっている。ところが三上料理長は、今回の検証では、一切ネット情報に頼らず、昔の引き出しからの手法を模索することにした。それがかつて師匠が用いていたカルピスを使った調味術であった。三上料理長は、リンゴ酢と濃口醤油、カルピス、実山椒、レモンでポン酢を作っている。「純リンゴ酢だと酸味が少し足りないようで、やはりリンゴ酢が一番フィットするんですよ。カルピス原液のボディ感が味のバランスを調えます。乳酸菌が入ることで発酵し始め、お酢に旨みが増していきます。旨み、甘み、酸味がバランスよくアップし、後から山椒のピリピリ感が追いかけてくるような設計になっているんです」。この調味術から三上料理長は、「黒豚肉の豚しゃぶ」なる料理を考案している。
三上料理長を始め、検証に参加したバシン晴美さんや本山シェフが口を揃えて「二つの融合でまろやかさが生まれた」と話していた。スパイスを複数使ってもその刺々しさはどこ吹く風で、逆に丸みを帯びた風味に落ち着くのだ。かといってスパイスの個性は消されたわけでなく、その香りや味はいきている。スパイスを使い尽くしたバシン晴美さんでも「初めて出合う効果にびっくりしました」と感想を伝えて来た。この融合で新たなスパイス使いが生まれるのでは…と期待すら持てそうになる。本山シェフも「マリネ以外にもお酢×スパイス効果を試みましたが、お酢が入ることでまろやかになる利点を得ました」と新たな味の発見を説明していたのだ。
三人とも「まろやかさ」を強調していたが、さらなる発見をしたのは、バーテンダーである森崎和哉さんかもしれない。前述したように彼は、この二つに酒を合わせて新作カクテルを作っている。アルコール類は時にはジンであったり、赤ワインであったり、梅酒であったりしたわけだが、特筆すべきは日本酒をベースにした時に生まれる満足感ではなかろうか。「SAKEミュール」と題した一杯は、純米酒をベースにお酢飲料の「フルーティス シャルドネ」と辛口ジンジャーエールで割っている。仕上げにミルで挽いた山椒をふりかけて木の芽を飾るのだが、これまた山椒香が漂い、カクテルの風味にスパイスがいかされていた。もう一つ日本酒を用いた「ビネガースパイスジャパニーズモヒート」は、純米吟醸酒の割り材に「フルーティス ピンクグレープフルーツ」とジンジャーエールが使われている。こちらはタイトルからもわかるようにスペアミントでハーブ感(スパイス)を醸しているのだ。この二杯は、日本酒ベースなので当然アルコール度は低い。ところが約6%のアルコールにも関わらず、低アルコール酒のような趣は感じ取れない。森崎さんによると、どうやらお酢が酒の地を引き立てる役目をしているらしい。そこにスパイスが加わることで表現力豊かな一杯が出来上がるのだという。
「SAKEミュール」は、アルコールが6%程度なのだが、これらの組み合わせによって飲んだ時に満足度が得られる。「お酢は、トニックウォーターのような苦味を持つものを加えてやると、印象が柔らぐんです。スパイスは香りづけで、合わせることで個性を打ち消すのではなく、逆に相乗効果が生まれるのだとわかりました。お酢×スパイスというと、初めはエッ?!って思うのかもしれませんが、この融合により味の幅は広がるんですよ」。森崎さんは、お酢を用いたカクテルに今後広がりを期待している。
今までクエン酸に頼っていた酸味も酢酸が入ることで違った表現力になるかもしれないと思っているようだった。お酢はどこの家庭にもある調味料だが、バーで割り材として使っている所はまずないだろう。森崎さんは「リキュールと同じ感覚で用いれば、面白い」と言い、特にお酢飲料がそれに適していると思っている。「フルーツビネガーだと、酸味も補えます。あとは切れが必要で、アルコールや炭酸がその役目を担います。こうして考えると、お酢×スパイス×酒の組み合わせは、カクテルでの可能性を秘めていると思いますよ」。
ミツカン大阪支店では、今回協力してくれた各分野のプロとともに、お酢×スパイスの融合をマスコミ向けに発表したいと考えている。ところがコロナ禍で人を集めての発表会はしづらい現状にある。でも、この組み合わせは、新たな調味術をもたらしてくれると思われる。これは創作かもしれないが、歴史の中で実証されて来た結果でもある。そう思うと、公開せずにはいられないのだ。