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ご当地〇〇というのをよく目にするようになった。その地特有の素材や調理法で作られたそれらは、観光地の脇役を果たすばかりか、時折り主役顔負けの活躍をする。世はまさにハンバーガーブームで、その中にご当地バーガーがお目見得し、地域イメージを膨らませつつある。有馬山椒や炭酸煎餅で知られる有馬温泉において近頃、地域イメージを持たせたハンバーガーが誕生した。有馬といえば地サイダーブームの先駆けとなった「有馬サイダー」を誕生させてブレイクさせた場所である。「町歩きにぜひ」とオープンした「サボール」(有馬玩具博物館2階)は、どんな個性を持たせてご当地ハンバーガーを商品化したのだろうか。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
昨今はハンバーガーブーム
ハンバーグは、今や日本にとってラーメンやとんかつと並んでポピュラー色の強い料理で、いつのまにか日本の料理の一部に組み込まれている。そもそもハンバーグは、タタール人の生肉料理から派生して来たと伝えられる。モンゴル帝国のタタール人達は、硬い馬肉を細かく刻むことで食べやすくした。それがいつしかドイツ・ハンブルグに渡り、労働者の食べ物として流行したのだ。18世紀に米国へ移住したドイツ系の人がその挽き肉料理をハンブルグ風ステーキと呼ぶようになる。そして米国らしくそれをパンに挟んで食べるようになったことからハンバーガーが生まれたとされている。
ハンバーガーの始まりについては諸説あるようだ。ウイスコンシン州シーモアのチャーリー・ナグリーンがミートボールを薄切りパンで挟んだとの話があったり、コネチカット州ニューヘイブンで牛挽き肉を固めたものを挟んだサンドイッチが登場したとか、オクラホマ州タルサでルートビアといっしょに売っていたとか、色んな話が入り交じっていてどれが本当かわからない。しかし、1904年のセントルイス万博では会場内で売られているものの中にハンバーガーの表記があることから、それまでに生まれ普及しつつあったことは事実である。
日本での普及は、1971年に銀座三越にマクドナルドが出店したことから。ハンバーガー自体は、米軍基地があった佐世保でいち早く伝わっていたり、GHQが接収した三信ビルディングにできた「ニューワールドサービス」で提供されていたりと、それまでに上陸はしていたものの、1971年がやはりエポックメイキング的な年と呼べるだろう。ちなみにその翌年にはモスバーガーやロッテリアがオープンしている(ドムドムハンバーガーは1970年にダイエー内にオープンしていたのだが…)。
ハンバーガーは、あくまでサンドイッチの一種。ミートパティを作り、バンズに挟んだファストフードを指す。米国人の嗜好らしくケチャップやマヨネーズをどっさり塗って食べるスタイルが主ではあるが、日本らしさのあるものとしててりやきバーガーもある。これはモスバーガーで生まれたとされており、甘辛い醤油だれがパンに染み込みすぎぬよう、あえて味がくどくならぬようにレタスを使うなどした特徴がある。櫻田慧が米国でてりやき風ハンバーグを食べたことから生まれたもので、今では日本国中で愛されるばかりか、米国の大手チェーン「カールスジュニア」でもteriyaki Burgersとして販売されているようだ。醤油味は日本人向きなのはわかるが、昔から米国でてりやきソースが浸透していた経緯からも醤油味の旨さは万国共通なのだろう。
ところで最近はハンバーガー流行りである。前出のカールスジュニアが秋葉原にできたり、ニューヨーク発のシェイクシャックが青山に上陸したりすることから話題が俎上に上るようになった。おまけに日米首脳会談でもゴルフのランチに安倍首相が日本の人気バーガー店のものでトランプ大統領をもてなしたことでブームに拍車がかかったように思われる。近頃のハンバーガーブームは、マクドナルドやロッテリアなど大手チェーンのファストフードではなく、レストランが出す個性的なものが主役となっている。それは熟成肉を挟んだ一品があれば、ド~ンとステーキを載せたものもあり、はたまた日本料理店で供する和風のものもありと、とにかくユニーク。これを食べるだけに訪れてみては…と報じられて触手が動くグルメも少なくはないだろう。
有馬温泉で稀少肉(高級肉)を用いたバーガーが登場
先日、私も近頃流行のハンバーガーづくりに加わった。それは有馬温泉でのこと。「御所坊」の金井庸泰さんが温めて来たハンバーガープランを具現化したものだ。金井庸泰さんは、温泉街ならではのハンバーガーを作りたいと思っていた。近年、外国人旅行者が目立つ有馬では、かつてのような宿泊一辺倒から日帰り派が台頭し、泊食分離が進んでいる。中国のガイドブックには、湯元坂の肉屋でコロッケを買い、それを食べながら有馬温泉街を巡るという記事が掲載されているらしく、コロッケ片手にぶらりという中国人の姿が目立つ。そこに一石を投じたいというのが金井庸泰さん。コロッケ片手もいいが、有馬ならではのハンバーガーはどうだろうとばかりに個性的なハンバーガーを販売するに至った。
有馬温泉的ハンバーガー開発計画は、昨年のうちから進められて来た。その中心となるのが金井庸泰さんは勿論、レシピ開発の藤本喜寛先生。そしてアドバイザー的に私も加わっている。金井庸泰さんの中にあったのは、有馬温泉の金泉・銀泉をもじったものにすること。含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉の金泉と、炭酸泉の銀泉を使うわけではないが、そのイメージを持つハンバーガーを作りたいというのが彼の狙いで、藤本先生は西洋料理の職人(教授)らしくそれを具現化した。
例えば「金泉バーガー」と名づけられた一品は、茶褐色の金泉を生姜味噌ソースで想像させている。但馬玄のパティとレタス、トマト、玉ねぎ、レッドオニオンを生姜味噌ソースとマヨネーズを塗ってゴマたっぷりのバンズで挟んだ。繋ぎをあまり用いず但馬玄(牛肉)の赤身で作ったパティが味わえる肉々しいハンバーガーになっているのだ。一方、「銀泉バーガー」は、但馬玄のパティ、オニオンスライス、レタスチップ、ゆで玉子を具材都市、醤油だれで味をつけている。「金泉バーガー」に比べると、あっさりめ。「三ツ森」の炭酸煎餅のフレークを中に振りかけている所も銀泉らしさを彷彿させる。
ここで少し加えておかなければならないのは、ハンバーガーパティの素材となっているのが但馬玄(たじまぐろ)であることだ。但馬玄とは、但馬牛を素牛としたもので、神戸ビーフと同じ肉を指す。神戸牛や但馬牛がトウモロコシ主体に餌を与えて脂っぽい肉質を作るのに対して、これはそば殻やゴマ油を絞った後のゴマなどを与えることで、健康的な牛を育て赤身を美味しくする狙いを持っている。同じ但馬牛でも餌を替えるだけで脂があっさりしてくどくなくなるのだ。この飼育は但馬の上田畜産で行われており、「御所坊」は一緒にブランド訴求をしているので、その肉を半頭買いして使っている。「御所坊」は高級旅館なのでサーロインなどステーキに主として使うため、余った部位が生じる。「サボール」では、その部位を回してもらい、ミンチ化してパティを作っている。神戸ビーフと同ランクの肉を使用するとコストが高くつき、それが値段に跳ね上がってくるものだが、こういった事情からリーズナブルに出せる仕組みになっており、ベースの「サボールバーガー」が600円、「金泉バーガー」と「銀泉バーガー」が800円と手頃な価格で出せる。
金井庸泰さんは「初めは5種類を販売し、徐々に広げて行く」と話している。ちなみに現在販売しているのは、前述の「金泉バーガー」「銀泉バーガー」と、てりやきタイプの「サボールバーガー」、それと「但馬玄プレミアムサンド」(1200円)に「さつま揚げサンド」(600円)。このうち一つだけ値が高い「但馬玄プレミアムサンド」は、但馬玄の赤身に霜降り肉をプラスして特別なパティに仕上げたもの。霜降り肉が入っているから柔らかい食感で牛肉の旨みが堪能できるようになっている。これだけは唯一、「御所坊」系のパン屋「パン・ドゥ・ボウ」のトーストを使用しており、少しリッチな仕様になっている。
某書によると、梅干を用いた「まるごと!?紀州梅バーガー」や室津港の牡蠣で作った「牡蠣グラタンバーガー」、ブラックバスをフィレオフィッシュのようにしている「びわ湖BASSバーガー」と、関西でも色んな場所でご当地バーガーが提供されている。そんな風潮の中で「サボール」はいかに有馬温泉色を打ち出せるのか。「有馬サイダー」がご当地サイダーのルーツと呼ばれるだけに、有馬のハンバーガーの発展も期待が持てそうだ。