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最近、色んな所で、昔の学校給食を再現した料理を目にする。雑誌でも昭和40年代や50年代をテーマにしたものが出版されているように、料理もまた懐古ブームが訪れているのかもしれない。そう思っていたら、私の所にも学校給食をレシピ化した本の制作が舞い込んで来た。発行は神戸市教育委員会で、発売を京阪神エルマガジン社が受け請っている。昨夏あたりから、何を載せるか、頁構成をどうするかと、ミーティングし、9月に撮影を開始してようやく1月末に発売にこぎつけた。この「神戸の給食レシピ」は、なかなかの好評ぶりで、神戸の書店でベストセラー1位になっている。今回は子供の頃の思い出を振り返りながら学校給食にまつわる話を書いてみたい。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
大きくなった!
懐かしくも新しい給食メニューが
評判を呼んでいる。
神戸の学校給食を書籍化
神戸の書店で「神戸の給食レシピ」なる本が売れに売れている。某日、三宮のジュンク堂書店を覗くと、今週のベストセラー1位に挙げられ、目立つ場所にドンと平積みにされていた。実は、このレシピ本は、私が制作に関わっている。神戸市は、昭和22年に給食が導入されたのだが、この時は補食給食と呼ばれるもので、ミルク(脱脂粉乳)と味噌汁が出された程度だった。昭和25年7月には、パン・ミルク(脱脂粉乳)・味噌汁又はシチューという完全給食化がスタート。これが8大都市のトップを切って始めたものらしく、そこから数えると今年で70年になる。学校給食70年を機に本が出せないかと神戸市教育委員会が企画をし、コンペにより京阪神エルマガジン社が発売することになった。そして編集の仕事が、我がクリエイターズ・ファクトリーに回って来たわけである。私は神戸生まれの神戸育ち、今も神戸に住んでおり地元には愛着がある。小学生時に給食を食べて育ったので、京阪神エルマガジン社からこの仕事を依頼された時には感慨深いものがあった。夏から冬にかけて制作し、1月27日に「神戸の給食レシピ」が発売。それが売れているのだから嬉しい限りだ。先日も訪れたフレンチ店のシェフがこの本を持っていたり、ある食事会で話したところ、「買いました」と言ってくれた人があったりで、その売れ行きが手に取るように実感できた。
ところで給食とは、学校等や色んな施設、工場などで出す食事を指すそうだ。その語源は古代まで遡り、律令制における人材育成を目的とした大学寮の設置に至るとの説明がある。平城京での宮廷人に出したものや、東大寺大仏殿建設の際の人夫に出したものが事例として挙がっている。ここまで来ると、何やら歴史の勉強になっているようで、しっくりと結びつかないが、殊、学校給食でいうなら明治22年の忠愛小学校(山形)で無料にて食事を配ったのがルーツではないかといわれている。アメリカでは、1930年代に余剰作物の活用としてスタートし、第二次世界大戦後に欧州への支援が一段落したことで、余剰の小麦のはけ口として日本に回って来たようだ。なので当初の学校給食はご飯ではなく、パン。コッペパンを毎日食すことにより、パン食に慣れさせて行ったのだろう。こう書いてしまうと、なにやら政治めいた動きが見えて来るが、戦後食糧事情が悪かった日本で子供達の栄養をつけたのは給食による影響が大きいのだ。
給食に郷愁を覚えるのは私だけではないようで、学校給食をテーマにしたイベントが好評だったり、それをコンセプトに置いた飲食店もいくつかある。昨秋、豊後高田(大分)を旅した折りに"昭和の町"で給食メニューを提供する「カフェ&バー・プルヴァール」を見つけた。この店では「揚げパンと鯨の竜田揚げ」や「米飯給食とサクサク美味しい揚げ物」「ソフト麺とカレー汁」などといった学校給食を彷彿させるメニューがズラリと並んでおり、文字通り"給食が味わえる店"として人気を呼んでいるのだ。店の人に話を聞くと、全国からそれを求めてくるそうで、現在の天皇陛下が皇太子殿下の時代に来られたらしい。
同店が給食メニューを出したきっかけは、"昭和の町"で、昭和の学校体験のイベントがあって、その時に手伝ったことによる。レシピなど残っていないから、昭和30年代に小学校時代を過ごした人に尋ね歩き、料理として再現させたという。初めは昔のイベントとして出したのだが、マスコミがその話題に喰いつき、一般からも出して欲しいとの声も多くあったために定番化している。メニュー内にある揚げパンは、昭和30年代のレシピをもとに大分市内のパン屋で特注しているもの。ミルクを飲んで揚げパンを食べるだけで昔を思い出すのか、郷愁が味として含まれ美味しく思うのだろうか。私はこの店で最も人気だという「揚げパンと鯨の竜田揚げ」を注文したのだが、店の人によると、「これが多く出てもあまり儲けがない」との話であった。それはそうだろう、昔ならいざ知らず、今や鯨肉は高級食材だ。それを使って1000円で売るのだから店の苦労も窺える。かといって昭和30~40年代の給食といえば、いずこも鯨肉だったろうから、これが出ないのもおかしい。「このメニュー以外を注文してくれれば」の言葉は、あながち本音かもしれない。
学校給食には、地方色が表れる
「プルヴェール」には、「学校給食の原点コッペパンに脱脂粉乳」(500円)なるメニューもある。私の世代には、瓶の牛乳で、脱脂粉乳は出ていなかったが、先輩諸氏に聞くと、「鼻をつまんで飲んだまずい牛乳」と言うのだ。同店では単品(脱脂粉乳)のみの販売もあるので試しに飲んでみることにした。流石に先輩方が揃って指摘するようにかなりクセがある。ただ、20代の女性は「意外に美味しいかも」と言っていた。私には先入観があるからだろうか。「プルヴァール」の人に「脱脂粉乳はどんなルートで仕入れるんですか」を聞いたところ、仕入れはそんなに難しくないらしい。今でもインスタントのカップスープの原材料に使われているらしく、「メーカーを探せば難なく入れることができる」とのことであった。
この店には当然の如く揚げパンが存在したが、神戸で育った人にはそれになじみがない。実は神戸は、昔からパンどころでもある。パン屋の技術が秀でているから別に揚げなくても味のいいものが出せたのだ。私達の時代は、前日に焼いたものを配っていたらしいが、今では当日焼きになっている。神戸の老舗パン屋さんに取材すると、前日焼きと当日焼きでは、食べる時間のパンの質が全然違うとの話であった。パン屋は、一般客へのパン提供も行っているので午前・午後は店で販売するパンを焼き、深夜から給食用を焼く作業に入る。夜中の作業は大変だが、子供達への給食のためと頑張っている。夜中から焼いていくパンが朝にはできあがり、学校へと届けられる。パンの下に敷いたシートがうまく水分を吸って食べる頃には丁度いい味になるそうだ。全国が全てそうではないだろうが、神戸ではそんな行程でパンづくりが進められている。
ところで、一言で学校給食とくくっても地域差があるようで、その町(市)らしいメニューも数多くある。40~50代の神戸の人は、必ず「鯨肉のノルウェー風」を挙げる。これは鯨肉をケチャップとウスターソースで味付けた料理で、さすがに今は出ていない。かつて牛肉が高く、肉といえば鯨肉だった時代によく出ていた神戸ならではの名物メニューだ。北欧はミートボールをケチャップで煮込んだりするので、多分そんなイメージからノルウェー風のタイトルがついたのではなかろうか。とにかくこの料理が私達の世代に強い印象を与えている。今は鯨肉ではなく、牛肉で作るそうで、メニュー名も「牛肉のウエスタン風」に替わっている。神戸では、粕汁やボタン汁といった兵庫県らしい郷土料理が出ている。酒粕プロジェクトの項でも書いたが、粕汁を食べるのは京阪神。殊に日本一の酒どころを有す灘では郷土料理的になっている。子供の頃から日本酒の副産物として産される酒粕を使って調理をするのは神戸ならでは(伏見を有す京都や、灘から近い大阪でも食べる)。まさに食についての郷土学習であろう。異国情緒溢れる神戸では、外国料理も数多く取り入れられている。ビーフストロガノフやボルシチならわかるが、「神戸の給食レシピ」には「チャカラカ」や「スコッチブロス」「コルキャノン」なんていうのが載っている。これらは、昨年、ラグビーワールドカップ2019日本大会があり、神戸で幾試合か行った国のものにちなんで供された。ウエルカム・トゥー・コウベとばかりに南アフリカやスコットランド、アイルランドの料理を給食で出し、その学習を行った。まさに神戸らしさが出た給食であろう。
神戸の学校給食には、約700ものレシピがあるらしく、そのうちの105メニューをこの本で紹介している。学校給食というと、栄養がきちんと計算された優れたレシピに基づき調理されたもの。日々の食事で栄養不足やバランスの悪さを感じる人は、ぜひこの本を参考に、家庭で給食メニューを楽しんでもらいたい。