2023年05月
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 全国各地で地元産のものを使った商品化が花咲りだ。今回紹介する有馬山椒の土産物もその好例。有馬温泉の有志4名が、有馬山椒と思(おぼ)しき木を探し出し、そのサンプル採取から土産物にしたという長い年月をかけた話である。そもそも日本料理の業界で、◯◯の有馬煮、△△の有馬焼きといえば、山椒風味の料理をいう。それくらい有馬と山椒はセットでイメージされているのだ。ところが住宅地開発が進み、群生化していた有馬山椒がなくなってしまった。それではまずかろうと考えた有馬温泉街の人達は、地元で採れた山椒から商品や料理を作り出すことを思いついた。ただ、0からスタートせねばそれはならず、2009年から始め、ようやく商品化したのが今年(2023年)の春。この15年近くの取り組みをストーリーテラーとして見つめて来た私が、彼らの思いとともに、商品化に至るいきさつを記すことにする。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
有馬山椒を使っていよいよ商品化へ!約15年越しの思いが実った有馬山椒復活プロジェクト。

気の遠くなりそうなプロジェクトが2009年にスタート

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天下の名湯・有馬温泉_。古代・舒明天皇が約3ヵ月滞在したと日本書紀に記されるほどその歴史は古く、かの太閤秀吉にも愛されたことで知られる名湯である。この温泉地の名物といえば、今では炭酸煎餅なのだろうが、和食の世界においては、まずは山椒を挙げねばならないだろう。昔から日本料理の世界では、有馬煮や有馬焼きという料理が存在するのだが、その場合の“有馬”とは山椒を指すとなっている。これは古くから有馬温泉では、山椒の佃煮が作られ、それを湯治の土産物にするケースが見られたからだ。なので献立の中に〝有馬″の文字を見ると、山椒風味の料理が出て来ることを意味するようになった。
有馬温泉では、近年、有馬山椒復活プロジェクトが進行中で、地の有馬山椒を活用して名物料理を作ったり、土産物を造ったりする動きが出ている。事の発端は、今から15年程前。地域団体商標の定義が明確化され、登録できるものは、地域の名称+商品(サービス)の普通名称、もしくは慣用名称と決められた事による。例えば、商品の生産地に該当しない場合は、それと表示できないとなったのだ。城下鰈や関サバが獲った地を明確化できなければ、そう呼べないようになったとの話が報じられたと記憶している。
有馬温泉では、有馬山椒がかつて名物のように佃煮にされて売られていたものの、温泉街に成長してしまった現代では、地元に群生する山椒の木などない。そのため温泉地では地域団体商標に照らすと、“有馬山椒”と呼ぶことに危機感を覚えていたようだ。かつては、山が近く山椒が群生したと思われる神戸市北区も、今は住宅化が進み、木々は失われている。そんな中で“有馬山椒”と謳うのもはばかられると思っていた。もともと有馬とは、今の三田市も含めた有馬郡を指す。三田は田畑や山も多く、かつての定義からは嘘ではないのだろうが、三田は三田として存在しており、今では“有馬”を指すとは誰も思ってはいまい。有馬温泉観光協会の金井啓修会長(旅館「御所坊」の社長)に聞くと、今の有馬温泉は有馬郡湯山町に属していたそうだ。江戸時代には「有馬の湯山へ行こう」と言って湯治客が訪れたという。湯山と言ったこの地を〝有馬″と称すようになったのは、明治16~20年ごろからのようだ。「“有馬”と記した郵便物が余りにも届くので、いつしかこの温泉地自体を総じて有馬と呼ぶようになった」と話していた。つまり現在の〝有馬″は、温泉地に限定されており、この狭い範囲から山椒を産出するのは無理というもの。でも地域団体商標的に名乗るならかつての有馬郡地域からの山椒を用いるべきだと考えたようである。

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そこで有馬温泉の有志が、有馬山椒の復活を願って原木と思しきものを持ち帰り、栽培することになった。それが今から14年前の出来事である。「御所坊」の金井さん(現有馬温泉観光協会会長)、「モルゲンロード」の磯部さん、有馬自治会の家形さん、兵庫県農林事務所の岡本さんの四名は、有馬の鼓ケ滝から六甲山中へ分け入り、地元に伝わる有馬山椒と思しき木を探した。古くから有馬では、山椒の葉・花・実・皮の四つの部位を料理に用いることがあり、花の咲く四月ごろには、希少な花の蕾(つぼみ)を求めて山に入ることがあったらしい。自分が採る木は決して他人に教えず、その在処(ありか)は、各家の家長のみが知っていた。そして山中で採って来た山椒を家庭ごとに料理に用いたとされる。かつて「念仏寺」の前住職・永岡眼心さんがこんな話をしていたことがあった。「山には町の人同士の縄張りがあって自分の見つけた山椒の木は口外しない。死を前にした人が後継者にうまく伝えればいいが、機会を逸すれば、永遠に山椒の木はその家から離れてしまう」と_。こんな経緯があるので、誰もが有馬山椒のマザーツリーの在処を知っていたわけではない。四人は、その噂を信じて六甲山へと続く有馬三山へ入って探したのだ。
ようやく探し当てたマザーツリーと目される木からマッチ棒サイズのサンプルを採取し、兵庫県北部農業技術センターに持ち込んで生育してもらった。私も5年ぐらい経った時に同所に見に行ったが、丁度人の背丈ぐらいまで成長していたのを覚えている。金井さんらは、その山椒が生えていた地の名前(湯槽谷と稲荷山)を命名して県にその二種の雄雌の木を育成してもらっていた(湯槽山から採った山椒は、なぜか湯船谷と命名されている)。兵庫県北部農業技術センターの研究員の話によると、初めは伸びが悪く、2~3年は調子も良くなかったそうだが、年に30cmぐらいずつ伸びて行き、5年で1.8mぐらいに達するまで成長したようだ。
兵庫県北部農業技術センターで5年間育成した後、そこから苗木を神戸市北区の農家に移して本格的な栽培をスタートさせた。大沢の農家・中川優さんに話を聞くと、「当初は『スマイルファーム』の藤本さんら2~3の農家がもらい受け、栽培を始めた」そう。苗木の数が少なかったので皆には配ることができなかったのが実情である。「中川農園」の中川さんの話では「山椒は育てるのが難しい」ようだ。冬山椒と呼ばれる別の種を台木にして接ぎ木して育てて行く。実がつくまでには5年ぐらいかかるため、いざやろうとなっても気の遠くなるような作業を要する。現在、大沢地区では9軒の農家がこの有馬山椒を栽培している。ようやくJA兵庫六甲大沢支店内に有馬山椒部会が立ち上がり、その部会長を中川さんが務めているのだ。それでも出荷できるようになったのはここ3年ぐらい。採ったものを同部会で取りまとめて「有馬のごちそう」(有馬温泉内の組織)で全量を買い取るシステムになっている。有馬温泉観光協会では、こうして育てた湯船谷の実を粉山椒に、稲荷山の花と実を「神戸ビーフと有馬山椒のソーセージ」「よかわ錦鰻の有馬実煮」「有馬山椒の五月煮」「花山椒鍋セット」にし、都合五つのオリジナル商品に造った。これを有馬の土産物として活用しようと考えているようだ。
前述したように、有馬山椒を栽培しても、すぐに木が大きくなるわけでもなく、成長しなければ実や花もつけない。中川さんは、「今年また2~3軒が有馬山椒部会に参加してくれた」と言っていたが、彼らとて5年ぐらい待たなければ出荷できないわけだ。一口に有馬山椒復活プロジェクトと言っても、そこには長〜い年月が必要なのである。有馬の有志四名が山でサンプル採取して来てから、今年で丸14年が継つ。大沢では、藤本さんや中川さんらの努力が実り、ようやくまとまった出荷量が見えて来た。そこで有馬温泉観光協会では、有馬山椒を用いてオリジナル商品を造り出すことにした。4月14日に有馬温泉内の地域福祉センターにて記者発表した5商品(前述したもの)がそれである。

 

柑橘系の香りがする特徴を使って粉山椒を発売

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中でも特筆すべきは、湯船谷種の実を曳いて造った「有馬山椒(湯船谷)の粉山椒」(2160円)である。9年前に兵庫県北部農業技術センターで聞いた時は、湯船谷種が弱く、生育が難しいと話していた。なので稲荷山種の方が多く育っていたらしい。ところが、有馬山椒を化学分析してもらうと、「稲荷山についてのαピネンは、針葉樹の葉に含まれる樟脳様の香りがする」となっているのに対し、湯船谷は「朝倉山椒はレモン果実のフルーツ臭であるシトロネラールをほとんど含んでいないが、湯船谷はそれを多く含んでおり、重い柑橘様の香りが強い」との結果がもたらされた。他の山椒にはない柑橘の香りとバラの匂いを有す湯船谷種を多く栽培した方が面白いという話になり、農家もそちらへ舵を切りそうな動きを見せている。
そんな湯船谷種の個性をいかし、有馬温泉観光協会では、まず粉山椒を商品化することにした。大沢地区で栽培した有馬山椒(湯船谷)の実山椒を、加西市の「森田泰商店」へ運び、そこで低温真空乾燥機にかけて粉末化したものが、先の「有馬山椒(湯船谷)の粉山椒」である。なぜ真空乾燥したのかというと、天日乾燥だと菌の問題も生じるし、フリーズドライにすると、凍結時に細胞を壊す恐れもあるからだ。真空乾燥機だと山椒の水分抽出が可能で、香りが出ることにより、柑橘系っぽいシトロネラールの香りがことさら出るとの話であった。確かに粉山椒を器に移すと、柑橘系の香りがし、バラのような匂いも生じている。一般商品には、後から香料を使って香りをつけたものがあるが、これはもとからその手の香りを放っている。他の山椒と比べてもかなり個性的な代物ではある。産量が少なく、希少性があるために商品価格は高く見えるが、某バーテンダーは「これくらい個性がはっきりすれば面白い。カクテルなどに用いる価値は十分にある」と言っていた。サンプル採取時に「これを育てて土産物を造りたい」と金井さんから聞いた頃は、「そんな壮大な計画を」と思っていたが、こうして約15年の歳月が経ち、商品化まで漕ぎ着けたのだから感慨深いものがある。

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ところで他の四商品だが、これまた個性溢れる土産物に仕上がっている。山椒は葉(木の芽)、花、実を使う(有馬では皮も佃煮にして食べる習慣がある)と書いたが、ことさら花は貴重品である。山椒の木は、雌雄あって雄は花を咲かすが、実はつけない。雌は花を咲かせ、雄から受粉した後、実をつける。俗に花山椒と呼ばれるものは、雄株の花の蕾を摘んだものを指す。花といってもごく小さいもので、その蕾を収穫するので大変だとか。中川さんによれば「収穫期はごくごく短く、4月のうちの一週間が関の山」らしい。その間に雨が降ると、収穫を逃すので農家は大変だと語る。だからかなりの希少品となり、人に言わせれば「キャビアより高価」だとか。山椒の花は実のような辛さはなく、ソフトだが、口に入れると舌が次第にしびれて行く。今回は、そんな花山椒を使ったのが「花山椒鍋セット」(30,000円)と「有馬山椒の五月煮」(864円)の二つ。前者は、有馬山椒の花と神戸ビーフ、筍、生そば、だしをセットにして宅配するもの。キャビアより高価な花山椒と、これまた高価な神戸ビーフがセットになっているからなかなか値はするが、有馬温泉観光協会では、ふるさと納税の返礼品に当てたいと考えているみたいだ。一方、後者については詳しいエピソードを「食の現場から」第92回に載せているので、それを参照にされたし。この時書いた「念仏寺」の五月煮が商品化されたと思って欲しい。かつて有馬では山椒の花が咲く頃になると、花山椒と大豆を煮て佃煮を各家庭で作っていた。それができると、近所におすそ分けするのが当たり前で「アレが出来たよ」と配ったという。当時は正式な名称がなく、呼び名も「アレ」で済ましていたが、流石に商品化するにはそのままでは辛かろうと、今回改めて“五月煮”と名づけた。
最後に実山椒の使い方だが、それを用いて「神戸ビーフと有馬山椒のソーセージ」(1,296円)と、「よかわ鰻の有馬実煮」(2,700円)を造った。前者は、神戸牛の一種である但馬玄(たじまぐろ)と有馬山椒の実で造ったもので、一般的にソーセージは豚肉でやることが多いのだが、こちらは高級な神戸ビーフを用いている。加工時に稲荷山種の実を入れて適度な辛みを持たせているのが特徴だ。片や後者は、兵庫県吉川町で養殖されている鰻を稲荷山種の実と醤油で調味して造っている。この鰻は、山田錦と酒粕を餌にして養殖したもので、兵庫県らしさを醸し出すためにあえてこれを採用したようだ。ちなみにこの商品の調理法が、俗に言う有馬煮である。
さて、有馬温泉観光協会では、約15年越しの思いを商品化させ、地元産(神戸市北区)で育てた有馬山椒で土産物にして売り出す予定。観光協会のHP内にショッピングサイトを設け、そこから売り出す予定にしている。苦折15年の土産物は、いかなる反応をもたらすのだろうか。書き手(ストーリーテラー)として有馬山椒復活プロジェクトに関与して来た私にとっても興味深い。

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