96
ネーミングとは不思議なもので、ピタッと意味がはまっているのに広まらないものもあれば、熟考したり、きちんと調べなければならないなど難しい由来なのに世間に広まったりするものもある。ある人のふいの一言がその時に流行するだけでなく、後世まで残ることだってあるのだ。今回は料理のネーミングについて話をしたい。一つのエピソードから当たり前のように使われる「助六」や、「バッテラ」(これに関しては名料理、かく語りき第90回を参照)もあれば、「関東煮」のように今、存亡の危機を迎えている名前もある。数あるネーミングの由来の中で神戸の「メロンパン」と「サンライズ」の違いや、「助六寿司」や「松花堂弁当」のエピソードにふれることにする。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
神戸では、メロンパンを「サンライズ」と呼ぶ(?!)
今も昔も料理界にはネーミングの妙が存在する。円形パンにビスケット状の生地が付いたものを多くの人は「メロンパン」と称す。メロンのような網目模様があるのでそう呼ばれるのであろうが、神戸では「メロンパン」というと、ラグビーボールを半分に切った形の菓子パンを指す。味も一般的な「メロンパン」と違って白あんが中に入っており、何だか和風なイメージがそこに根付いているのだ。久しぶりに私が神戸市内のスーパーで求めたものには、包装に「神戸発祥・元祖メロンパン」と書かれており、それが昭和23年からの歴史があるとされていた。一般的な「メロンパン」と誤解されたくなかったのであろう。丁寧に白あんが入っていることを知らせる文字も記されていたのだ。
では、神戸では日本国民が広く認識しているあの「メロンパン」がないのかといえばそうではない。それは「サンライズ」と呼ばれている。その発祥は、兵庫区東山市場にある「金生堂」らしい。同店は、大正13年の創業・2代目店主。清水寛育さんの父親が開業し、大阪や名古屋、呉へと店舗を広げたという。「サンライズ」を考案したのは、呉の店をやっていたその伯父さんで、軍港・呉にふさわしく、軍艦に掲げる旭日旗からビスケット地を使ったパンを作ったそうだ。そういえば、パンの表面の模様が朝日が放射線状に伸びる旭日旗に似ている。日の出になぞらえて「サンライズ」と命名したのだとか。私が子供の頃は「サンライズ」と「メロンパン」の違いが明らかだった。近所にキンキパンが卸していたパン屋さんがあり、この二つともが当然の如く売られていた。コープ(灘神戸生協)でも「サンライズ」「メロンパン」が並んで売られていたように思う。現在、神戸では、ビスケット地が付いた円形パンを大半のパン屋は「メロンパン」と称して売っている。そこには「サンライズ」の名が存在せず、いつしかその二つの差異が淘汰されたのだ。それを神戸で育った大人達は悲しいと嘆くのか、それとも「サンライズ」と呼んでいたことすら忘れてしまったのか。「神戸の給食レシピ」なる本(京阪神エルマガジン社刊)を編集した時に給食のパンの取材で長田神社近くにある「原田パン」にお邪魔した。その時、ラグビーボール状の「メロンパン」が売られており、懐かしく思ったものだ。店主によると、神戸でラグビーワールドカップの試合があったのでその時に、さらに「神戸のメロンパン」としてアピールしたのだと話していた。こうでなくちゃいけない。流石は神戸の老舗パン屋の心意気だと感じた次第である。
「助六」とは、花魁の恋人の名前
ネーミングの妙といえば、「助六寿司」がそれに当たる。我々は、巻き寿司と稲荷寿司がセットになった弁当を何の不思議もなく「助六」呼んでいる。実は、このネーミングは江戸時代の歌舞伎演目に由来している。一時期、江戸では贅沢を禁ず倹約令が出ており、魚を使ったものより、安価な稲荷寿司や巻き寿司を好む傾向にあったという。二つの寿司をセットにして売ったところ好評だったのだろう。人々は「揚げ巻きがある」と喜んだとか。当時、上演されていた演目に「助六由縁江戸桜(すけろくゆえんえどざくら)」があった。助六の恋人は、吉原の花魁・揚巻(あげまき)だったので、巻き寿司と稲荷寿司の弁当を見て、人々は花魁・揚巻をイメージした。つまり、揚げ(稲荷寿司)と巻き(巻き寿司)が一緒というわけである。江戸の人の粋なところは、この詰め合わせをストレートに「揚巻」とせずに、仲のいい恋人が一緒にいる様を表現するかの如く、彼女の愛する「助六」と名付けたことにある。「助六由縁江戸桜」は、曽我もの(曽我兄弟を描いた演目)と呼ばれ、市川團十郎の十八番(おはこ)であった。時の人気役者のイメージも合わさって「助六寿司」が世に広まった。以来、私達は何の不思議もなく、巻き寿司と稲荷寿司の弁当を「助六」と呼んでいる。
日本料理屋に行くと、昼に手頃な価格からか、「松花堂弁当」を食すことがよくある。「松花堂弁当」の箱には、十字型の仕切りがあって、その四分割に各々異なる料理が入っている。「松花堂」のルーツを調べると、江戸初期に石清水八幡宮の社僧であった松花堂昭乗が考案したものと、よく出ている。だが、昭乗はこの形の器を考えただけで和食の弁当とは程遠い存在だ。松花堂昭乗は、天正12年(1584)から寛永16年(1639)まで生きた人。彼は農家の種入れとして使っていたものをヒントにこの十字型仕切りの箱を考案し、絵具箱や煙草盆として使ったにすぎない。それを和食の器にし、料理を入れて弁当スタイルにしたのは、かの料亭「吉兆」の創業者・湯木貞一さんである。湯木貞一さんが松花堂昭乗の旧跡で催された茶会に行き、この器を見つけた。この四ツ折り箱を料理用に使えないかと考え、器の寸法をやや縮め、縁を高くして料理が美味しそうに盛り付けるように工夫したのだとか。桜宮にあった貴志彌右衛門邸内の茶屋で茶事が催された折りに湯木貞一さんが初めてこの松花堂の箱を用いて弁当を作った_、それが「松花堂弁当」のルーツなのだ。そもそもは松花堂昭乗の煙草盆(絵具箱)であったが、料理とは無縁のもの。それを最初とするならば、それ以前にあった農家の種入れをルーツとせねばおかしい。やはりルーツをいうのなら、むしろ湯木貞一さんが考案したことを挙げるのが本来の筋であろう。
「助六寿司」や「松花堂弁当」のように疑うことなく使われてしまえば、そのネーミング由来は成功したと思っていい。「助六」を考えた人などは、これほどまでに自分が考えた名が続くとは思ってもみなかったろう。私もそれにあやかりたいと、昨年「オルタナティブアルコール」なるジャンルのネーミングをぶち挙げた。別にこれは私が考案したものではなく、外国では当たり前のように呼ばれているものだ。昨今は飲酒運転の罰則の強化や、アルコール離れからノンアルコール飲料が持て囃されている。私もミツカンと一緒にお酢を使ったノンアルコールカクテルを流行させようと、昨年大阪で記者発表を行った(食の現場から第88回を参照)。その時、単に「ノンアル」では、これまでのものと一線を画せないと思ったので、あえてお酢を使ったノンアルコールカクテルを「オルタナティブアルコール」と呼ぼうと立案した。外国ではお酢を用いたノンアル飲料に「シュラブ」があるし、擬似を表すmockとカクテルを指すcocktailから成る造語「モクテル」も使用されているが、それでは面白くなかろうと、「オルタナティブアルコール」を選択したのだ。オルタナティブとは、既存のものに取って代わる新しいものの意味で、ここではアルコールに取って代わるものとしてお酢を挙げている。これまでもノンアルカクテルはあるにはあったが、それらは味を重ねただけにすぎず、我々が提案するお酢がアルコールの代用を果たしたカクテルのように融合性やキック力に欠けていた。だからそれまでのノンアルと区別するためにあえて「オルタナティブアルコール」とそのジャンルを名付けたのである。ところが、いざ記者発表をしてみると、マスコミ陣は「オルタナティブではわかりにくい」と言い、「ノンアル」でくくってしまった。新聞などは文字数の制限もあるため、オルタナティブの意味に文字をさげながったのもその一因と思われる。けれど、私はまだこのネーミングの広がりに限界を感じたわけではないので、これからも「オルタナティブアルコール」と称し、お酢を用いたノンアル飲料を差別化して行きたい。このネーミング由来が、「サンライズ」みたいにならず、「助六」のようになってほしいとの願いを込めて…。