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先月に続いて今月も酒粕プロジェクト絡みの話をしたい。これまでに何度も報じているが、私は大阪樟蔭女子大学で「フードメディア演習」なる授業を行っており、そこに受講している生徒に酒粕プロジェクトの参加を促している。当然、授業なのでそれを拒否する学生はいないが、むしろ楽しみながら、苦しみながら(新しいものを生み出す苦労)を行っているのを見ていると、実践型授業を導入してよかったと思うのだ。授業での酒粕プロジェクトの参加は、2017年から行っている。これまで7年間、色んな子達が色んなアイデアを絞り出して来た。一度、その年ごとの優秀作を並べて「さかばやし」にて一挙再商品化して披露したいものだと思っている。今回は、「酒粕プロジェクト2024」の出品が決まった「酒粕稲荷と天ぷら」_、そして奇しくも選ばれなかった「白すき焼き」と「令和のきんぴら茶漬け」が生まれたいきさつについて言及しよう。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
酒粕文化復活に次代を担う若い子達が寄与
私が大阪樟蔭女子大学の教壇に立ってからかれこれ7年の歳月が経つ。主に3年生に「フードメディア演習」なる授業を教えており、毎年彼女らには、酒粕プロジェクトへの参加を促している。酒粕文化の復活は、2015年に私が狼煙をあげたもの(旗振り役を神戸酒心館が担っている)で、いつの間にかライフワーク的扱いになってしまった。先月報じたように酒粕プロジェクトが10年目を迎えており、今年は区切りの年と考えた記者が多いなか、10年での総括をよく取材されるのだ。先日も毎日新聞が私や神戸酒心館を取材して「酒かす料理復活手応え」と書いた記事を掲載してくれた。そこで私のコメントとして「10年近く発信を続けた結果、様々な料理や商品に利用されるようになった。復活の手応えを感じている」と結んでくれていた。
酒粕プロジェクトは、料理のプロ(料理人)と食関連メーカーや団体が作品を発表し、世に酒粕文化復活を問うものだが、そこになぜか女子大学生が交っている。私が大阪樟蔭女子大学で教え始めた折りに、単純な座学ではなく、実社会と結びつけた何かを取り入れたいと思い、始めたものだ。授業内で酒粕をテーマに、新たな使い方発掘や新酒粕料理誕生への道標を彼女らに求めている。それがプロに交って参加する酒粕プロジェクトなる舞台であったわけだ。流行を作る側にいる私にとって新たなムーブメントを起こすことは常に周囲から求められるもの。酒粕ブームだってそうだし、駅ナカブームもそう、こけら寿司の復活や有馬山椒の復活もその結果として世に出たものである。流行づくりは、何もプロばかりで仕掛けるべきではないと考えている。時には素人の参加が重要だし、次世代を担う若者の参加は尚更必要だ。そう思って私は、酒粕プロジェクトに現役女子大生を参加させて来た。新聞に載った「10年やって来てある程度の手応え」とは、よく言ったもので、近年授業を受ける学生のうち多くが酒粕の調理利用を実感して授業に臨むようになった。やり始めた2017年は、酒粕の説明を行った翌週に「先生、酒粕って何ですか?」と尋ねられたこともあったし、2018年は実習用に配った「福寿」酒粕の袋を見て「紙粘土ですか?」と言った子もいたくらい。つまり、薄れかけた酒粕文化が彼女らの発言からも実感できたわけだ。それに比べ近年は、授業スタート時に「酒粕を料理に使ったことがある、もしくは粕汁を家庭ですすった経験がある人」と聞くと、かなりの生徒達が手を挙げるようになった。これも偏(ひと)えに毎年毎年酒粕プロジェクトで新作料理を発表し、マスコミがそれを報じてくれるおかげで、徐々に酒粕文化復活が目に見えるようなムーブメントに成長しつつある証しである。
酒粕プロジェクトを立ち上げた頃は、「なんで今更、こんな古い物を訴求するの?」と不思議がられた。それでも1980年代後半から大手日本酒メーカーが、技術革新をし、米を超高温、短時間で液化する高温糖化法(高熱液仕込み)を導入したために世に流通する酒粕が少なくなり、それと共に多岐に亘る料理が家庭にも普及したために粕汁さえ作らなくなったと訴えて理解をしてもらったものだ。多くの料理人は、高温糖化法によって出る酒粕が食用には向かず、産業廃棄物への道を歩むしかない事実を知らなかった。料理人ばかりか、マスコミも知っていなかったので彼らはそれを危機と感じ、一緒に酒粕文化復活を声高に叫んでくれた。それが2016〜18ぐらいの出来事だ。初年度(2015年)に「さかばやし」(神戸酒心館)と「御所坊」(有馬温泉の老舗旅館)の酒粕鍋対決でスタートした酒粕プロジェクトも年を追うごとにその規模が拡大化。そんな中で、丁度、次代を担う女子大生の参加が功を奏したわけだ。
「酒粕稲荷と天ぷら」に決まった理由(わけ)は・・・
ところで私の授業「フードメディア演習」は、大阪樟蔭女子大学学芸学部ライフプランニング学科内で、主にフードスタディを専攻する学生が受講している。座学ではなく、ブレストを中心とした考える授業で、企画する力を身につけるべく教えている。その一環が酒粕プロジェクトの参加なのだ。編集的思考法を基に授業を進めており、授業自体は情報を集めて、話し合いながら一つの作品を作り出す。それを試作し、修正しながら一つのメニューに仕上げ、コンセプトと共に発表するのだ。プレゼンテーションの授業では、神戸酒心館の副社長や広報担当者に来てもらい、プレゼン結果から一つの作品を選出してもらう。選ばれた酒粕料理は、「さかばやし」で2〜3月にメニュー化するばかりか、プロが居並ぶ酒粕プロジェクト発表会にて料理人と同じ壇上に立って発表することができる。まさに実社会のマスコミ訴求を味わう経験ができるというわけだ。
7年間授業で色んな酒粕料理が生まれて来た。先輩達が発表したものと同じようでは、新鮮さに欠けるので昨年度や今年度の生徒は、より発想が大変になっているのかもしれない。そんな中で「酒粕プロジェクト2024」の参加作に選ばれたのは、瀬川佳奈美さん・植村文音さん・窪田歩香さん・高橋実来さんのグループが考えた「酒粕稲荷と天ぷら」であった。彼女らは、樟蔭学園のイメージカラーが緑色であることから、まず緑色の稲荷寿司をイメージしようと考えた。そして薄揚げを煮る時に酒粕と抹茶を加えることで、酒粕香のある緑の稲荷寿司を実現しようとした。奇しくも同学園の卒業生に田辺聖子がいることから彼女の著書「芋たこなんきん」にちなんで、タコの柔らか煮と里芋、カボチャを具材にして寿司飯を考案した。ところが彼女らの話によると、「カボチャを入れたが余り、寿司飯が甘すぎてそこに甘めの薄揚げが加わることだから甘〜い稲荷になりすぎた」そう。そこでカボチャを具材から外し、ガロニ的に添える一品に使うようにアドバイスした。酒粕をカボチャで挟み、天ぷらにした一品を酒粕稲荷に添えたわけだが、実にこれが酒のアテによく、酒粕の味がドンと来て、カボチャの甘みでまとまっている。味わった神戸酒心館側も「コレだけでメニュ化してもウケる」と評していた。彼女らは炊飯時に酒粕を入れたり、外したり、抹茶を薄揚げと煮たり、稲荷に直接振り掛けたりと試行錯誤しながら自分達のコンセプトに合わせた。これこそが考える授業の成果で、決まった答えに近づけるのではなく、新たなものを作り上げるのに話し合いながら導いて行く姿勢がいい。こうして彼女らの思考法は成長して行く。
実は、プレゼン大会では、恵由萌さん・布廣美月さん・矢野美乃里さん・米島楓さんのチームが考えた「白すき焼き」の方が当初優位とされた。ネーミングの妙(客の目を引くと判断)といい、味といい、商品の現実性といい、色んな意味で先の「酒粕稲荷と天ぷら」を上回っていた。彼女らのテーマは、酒粕が白いこともあって〝白色″に。茶色のイメージになりがちなすき焼きをどうにか白色にできないかと考えたらしい。そこで醤油味を白味噌味に変え、できるだけ白色の食材を集めて煮込んだのである。「酒粕は健康的によく、免疫力を高める働きもあると聞きました。そこで免疫力のあるキノコと、牛肉とで白いすき焼きを完成させました」と話していた。キノコは、マッシュルーム・エノキ茸・白舞茸・白しめじ・はなびら茸と白色のもので揃えたという。彼女らの苦心した点は、白いすき焼きの甘さ。従来のすき焼きのように割下(醤油・砂糖・みりん)を使えば、ベースが白味噌だけに甘くなってしまう。色を濁らせないために醤油も白醤油を使っていたので、そのメーカーのものがもう一つだったのが味にエグみが加わってしまった(湯浅醤油の「白搾り」を与えてやればよかったと今も後悔している)。それでも工夫しながら調味して何とかプレゼン大会に間に合った。ちなみに彼女らの調味料レシピは、白味噌250g、酒粕大さじ3、白だし50mℓ、水350mℓ、砂糖大さじ1、みりん大さじ1、醤油(白醤油ではない一般的な醤油)大さじ3となっていた。調味に苦心惨憺した余り、私もアイデア的なもののアドバイスを怠った。初めに面白みを出すために、「すき焼きを卵黄ではなく、メレンゲにした卵白に酒粕を加えて漬けダレを作ってみては…」とアドバイスしていたが、この点をもう少し推して考えさせるべきだったと思っている。なぜなら最終的に「白すき焼き」が選ばれなかったのは、ユニークさが欠けてありきたりに思えるものに映ったからだ。味はもとより、商品の実現性も上回っていたが、このあたりが少し「酒粕稲荷と天ぷら」に負けていた。
私は常々授業で、酒粕プロジェクト参加作品は、飲食店の新メニューづくりでは決してないと言っている。大事なのは、コンセプトワークで、いかに自分達がメーカーに必要だと思えるプランを出し、うまく説明できるかにかかっている。店でのメニューづくりとは、その点が異なるのだ。「白すき焼き」を考えたチームは、もう一品「令和のきんぴら茶漬け」も提案していた。こちらは、私が「平成のきんぴらは、マヨネーズを炒めて作る。ならば君らは、令和のきんぴらを考えてみたら」と言ったことに端を発している。彼女らが導き出したその答えは、「酒粕×きんぴら×だし茶漬け」で健康を意識した〝令和のきんぴら″料理を創出していた。きんぴらは、坂田金時の名にちなんだことや、江戸で明暦の大火後、奈良茶飯が流行したことなどを調べ上げ、酒粕を使っただし茶漬け(ご飯は奈良茶飯である)を作った。ただ「さかばやし」としては、締めの品にスポットが当たっても注文に繋がらないと考え、落としたようだった。それに酒粕の使い方に少し工夫も足らなかったのだろう。私の授業としては、結果はどうあれ、この「令和のきんぴら茶漬け」に努力賞をあげたい。
ともあれ、今年度も21歳の女子達が、考えに考えて新たな酒粕料理を世に出してくれた。企画すること、考えることが主題の授業であるため、彼女らの学びがこの後、社会に出た時に役立つことを願いたい。先日、卒業生が訪ねて来た際に「先生の授業で学んだことが会社で役立っています」と言ってくれた。まさに教師冥利に尽きる一言であった。結果は時の運だ。それよりも彼女らの頑張りにも感謝する。