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全国各地で町興しが花咲かりだ。各々が色んな取り組みを行っているが、発表しても全てが話題になるわけではない。昨春、姫路・夢前町から声をかけられた私は、半年以上かけてマスコミの俎上にのぼるようなプランを町の人達といっしょに作って来た。訴求するのは、地の農作物であるが、それがいかに良くとも話題性は作りづらいのだ。今回は歴史と食をテーマに、姫路の夢前町をPRすべくネタ作りを行った。農家の人も酒蔵も旅館もいっしょになって一つのテーマを追求し、今春マスコミ発表会を開いた。姫路城から車で20~30分走った所にある、小さな町の大きな希望をリポートしたい。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
歴史と食で町興しを行う、夢前町の人々の
実現までの道のり。
狸食に、百年前の清酒と、歴史ネタがいっぱい
"狸食"と書いて何と読むか、「たぬくい」かもしれないし、「たぬじき」と表現するのかも…。戦国時代の赤松氏の文献「播州置塩夜話」には料理説明は出て来ても悲しいかなルビまでは振っていない。姫路市夢前町の人達で作る夢前ゆめ街道づくり実行委員会では、「狸食」なる料理を「たぬくい」と読んで平成最後の月に再現することを試みた。
夢前の町興しは、平成27年に中国自動車道に夢前ICなるスマートインターができたことを機に始まった。日本では唯一"夢"の字がつく町で、その中央を通る県道67号線沿いを"夢街道"と称し、町中の農業従事者や旅館・観光業者・食品加工業者などが集って、インターチェンジができて便利になった夢前町に来てもらおうと町興しを企画したのだ。
町興しといっても何をPRすべきか?そこで産される農作物が主になるのであろうが、なかなか新鮮さだけでは人は集まって来ない。そこで私も入って企画することになった。当初は塩田温泉の各旅館の料理長が集まってオリジナル料理を披露し、それで売り出そうと思っていたようだが、その内容ではPR要素が薄い。そこで白羽の矢が立ったのが、「播州置塩夜話」上巻「六花亭物語」や下巻「屋形物語」に登場する「狸食」なる料理であった。弘治元年(1555年)今の夢前町に位置する置塩城で、城主・赤松義佑が彼の弟で葛西郡の領主だった才伊三郎を招いて宴会を開いている。その時の本膳料理としてまず最初に出たのが「狸食」であった。
「播州置塩夜話」には、「本膳の真ん中には白飯、右に澄ましのかけ汁が入った汁椀、左には葱、柚子、大根、唐辛子などを刻んだ香頭(こうとう)が入った盃。但し食椀の底には鴨、鯛、スルメ、椎茸、麩、干瓢、キクラゲ、ゴボウ、人参、こんにゃく、高野豆腐、昆布などが隠されている」(口語訳)と記されている。一見、白ご飯のように思える碗が底を探れば具材が出てくることから狸に化かされた気分になる。昔の人は洒落たネーミングをするので、この料理を「狸食」と表現したのだ。
この話を見つけて来たのは、夢前町・塩田温泉元湯「上山旅館」の上山洋一郎社長だった。上山さんからこの話を聞くなり、「面白いじゃないか!平成の世に『狸食』を再現しましょう」と話がまとまった。かくして夢前町の町興しは、歴史と食をテーマにすることになったのである。
歴史テーマには下地があった。それは町内にある日本酒蔵「壺坂酒造」が百年前の日本酒を今に蘇らせようと動いていたからだ。同蔵は文化2年(江戸期)創業の日本酒メーカーで、現在の酒蔵も210年以上経過したものを使っている。この蔵の梁・壁・柱・桶など12カ所に棲みついている酵母菌を採取した。綿棒でなぞって精製水入りの容器に保存して吉備国際大学で検査したのである。すると戦前に使っていた桶から菌が見つかったらしい。培養を繰り返して不純物を除きながらアルコール発酵に適した酵母菌にし、それをもとに酒米を合わせて百年前の清酒を完成させようとしていた。「戦後は確実に使用していなかった道具だったので、百年前の名酒復活をと意気込みました」とは壺坂酒造のオーナー杜氏・壺坂良昭専務。百年前というと、大正期にあたる。大正~昭和初期にかけては「辨慶」なる酒米が頻繁に用いられていた。この米は兵庫県が育成した品種で、大粒で心白の発現性に優れていたことから大正13年から昭和31年まで県の酒米奨励品種になっている。当時、県内で酒づくりに最も使われていたそうだが、その後、品種特性が優れた山田錦が現れたために、いつしか使用されなくなってしまった。壺坂酒造の「醪仕入経過表」を見ると、昭和初期には"ベンケイ"と書かれており、この酒米が使われているではないか。それなら今回採用して培養した酵母菌に「辨慶」を合わせて仕込むことで百年前の酒が蘇えると盛り上がった。たまたま兵庫県立農林水産技術総合センターに「辨慶」の種が約700g残っていたことから、それをもらい受け、夢前町のファームハウス(農家)で栽培し、こちらも歴史と食をテーマにしたプロジェクトがうまく運んで行った。
一反の田んぼでファームハウスの飯塚佑樹さんが「辨慶」を植えて酒米づくりに挑戦したのだが、不運にも2018年の台風上陸ラッシュで、その影響が大きかった。稲穂が傷つき、その後曇天が続いたせいで病気が出てしまうなど思ったほど収穫ができなかった。「それでも今年は種が採れたので、2019年は6~7反まで栽培を広げたい」と飯塚さんが熱く語っており、他にない酒米なのでこの地域の売りになるはずと思っている様子であった。不運にも収穫が少なかったせいで、今回のプロジェクトでは500ml瓶がたった400本のみの販売になっている。それでも町興しの肝になると踏んで、3月末のマスコミ発表会では希少品を記者達に試飲してもらっていた。「本プロジェクトで誕生した百年前の名酒を『呼應100年』と名づけました。"呼應"とは話しかけるの意味で、シンクロすることも表します。まさに百年前と今がシンクロして出来た清酒なのです」と壷坂さんはそのネーミングを説明してくれた。販売はたった400本なので全国へ出荷すると秒殺するように売れてしまう。なので夢前町の壷坂酒造に来ないと買えないようにした。不便なようにも思えてしまうが、実はこれこそ町興しの本来の姿なのかもしれない。
歴史的料理再現は調味の仕方が難しい
ところで「狸食」の方だが、室町期の料理を再現するとなると、醤油やみりんは使えない(醤油は鎌倉期に湯浅で誕生したが、まだこの時代は全国的に伝わっていない)。その開発にみかしほ学園日本調理製菓専門学校の帽田陽先生や後藤和彦先生らの力を借りて、昔の作り方を踏襲しながら今様にレシピを作ってもらった。「乾物を使って味を出し、藻塩で調味しました。当時、白米は贅沢品だったので、この料理には米の美味しさを味わえるようにしています」(前出上山社長)。ご飯を味わい、次は具材といっしょに、そして薬味を加えてだしをかけて食す。このひつまぶし的な食し方が現代の「狸食」には合っているのだろう。夢前町では「狸食」を商業料理として復活させて4月1日から「上山旅館」「夢やかた」「且緩々」の三つの施設でメニュー化している。
もう一つ、歴史と食をテーマに生まれたのが「玉子ふわふわ」だ。これも「播州置塩夜話」の中に登場するようだ。同料理は、徳川家光が後水尾天皇をもてなした時に出て来たもので、「東海道中膝栗毛」でも弥次さんが袋井宿の茶店で食べたと記している。家光は1636年に二条城の饗応料理でそれを出しているので赤松義佑が宴会に出していれば、それより古い記録となる。
この料理に挑戦したのが藤橋商店の藤橋拓志社長。彼は過去の文献から検証し、独自解釈を加えた上で商品化した。昆布・鰹・干し椎茸で基本のだしを作り、塩少々と醤油、みりんで調味した。土鍋の底に鶏団子と白葱、干し椎茸の千切りを忍ばせてその上からメレンゲした卵の白身と黄身でふんわり作っている。「一口味わえば、メレンゲすることで泡化させた玉子を食す印象を持つはずです。全国でも珍しい養卵業者が再現した昔の玉子料理ですよ」と藤橋さんは胸を張って説明してくれた。歴史的逸品だけに姫路城の城門前にある「たまごや」で4月からメニュー化するにはぴったり。なぜこれだけが姫路市街地なのかというと、彼が玉子かけご飯の店を城門前で営んでいるから。藤橋さんは夢前町で養卵場を営んでおり、今回の町興しに参加している。「村上ポートリー」の夢前の養卵場では一日に16~18万個の卵を産するらしく、その新鮮な自家の卵を使ってこの歴史的料理「玉子ふわふわ」を再現したことになる。「玉子ふわふわ」は、その形状から茶碗蒸しの元祖とも呼ばれており、日本最古の玉子料理ではないかとの説もあるようだ。
今回は私も加わって意見を出し合いながら"夢前テロワール"と呼ばれる歴史と食のプロジェクトを行った。3月19日にグランフロントのキッチンスタジオで記者発表会を開催したが、参加者からの評判は上々のようだった。この取り組みが今後続くことは必至で、夢前の人達はそれなりの手応えをつかんだはずだ。町興しをと色んな町が取り組んでいるが、このようにキャッチーなネタがなければなかなか話題になりにくく、取材の俎上にはのぼらない。