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前回報じた姫路夢前町の町興しが話題を呼んでいる。3月19日のマスコミ発表会では、参加者から上々の評価を得、それによってラジオや新聞、テレビなどでそのニュースが度々報じられた。夢前テロワールと題された同事業の目玉は二つ。一つは歴史的料理の再現で、赤松氏の文献から「狸食」や「玉子ふわふわ」が現代の夢前で蘇っている。もう一つは、百年ロマンを讃えた日本酒。壺坂酒造で産された「呼應100年」がそれで、この一つの日本酒が誕生するまでに数々のストーリーが存在している。今回は先月に引き続き、夢前町の町興し_、中でも「呼應100年」誕生までの経緯を振り返えりたい。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
100年前のコンビが平成最後に「呼應100年」を誕生させた。
百年前の名コンビ復活には下地があった
前回夢前町の町興しを書いたが、今回もそれについて触れたい。そもそも今回の取り組みは、兵庫県の後押しで始まっている。平成27年に中国自動車道に夢前IC(スマートインター)が開通した。これまでは福崎で降りるか、姫路市街から地道で走って行ったのだが、この開通によって一挙に便利になった。それによって町民達が結集し、町の魅力を訴求しようと企画を立てたのである。そんな中に「夢前ゆめ泥リンピック」もあれば、「播磨日本酒プロジェクト」もあった。特に後者では、播磨地区が日本酒造りの最古の文献が残ることから日本酒にまつわる町で呑みたい酒を仲間で造ろうと、農家や酒蔵が一体となって日本酒造りを行っている。その中心が壺坂酒造の壺酒良昭さんであり、ファームハウスの飯塚祐樹さんである。ここでは山田錦から作られた愛山(希少品種)を栽培して酒を仕込んでいた。そしてできたのが「純米吟醸雪彦山 播磨古今」や「純米吟醸雪彦山 愛山1801」だった。
こんな前触れがあって「食と農で結ぶ夢街道づくり事業」は、年々進化を遂げていく。そして幻の酒米「辨慶」と壺坂酒造の蔵付き酵母菌が出合うに至るのだ。
酒米「辨慶」は、兵庫県立農事試験場が在来種の辨慶1045から選抜育種した品種で、大粒であったり、心白の発現性が優れたりしている点から大正から戦前までは広く栽培されていたようだ。昭和7年が最盛期で、約13000haと兵庫県内で最も栽培されたとの記録が残っている。ところが山田錦が出ると、品種特性がさらに優れていたこともあってそれに取って替わられ、昭和30年頃には姿を消してしまった。
近年、酒米は山田錦や五百万石が中心となり、いずこの蔵でもそれらを用いて仕込むのが当たり前になっている。だが、地方の蔵元が個性化を図ろうと、復刻米による醸造に取り組む動きも目立って来ている。殊、「辨慶」に関していえば、2012年に山形の酒田酒造(上喜元)が復活させているし、青森の西田酒造店(田酒)でも2013年から使い始めているのだ。蛇足ながら兵庫県でいえば、神力も復活させた米の一つ。神力は揖保郡御津町の丸尾重次郎が明治10年頃に在来品種より選抜育種したもので明治期には流行し、愛国や亀の尾と並んで三大品種の一つにまで挙げられ、全国の2割を占めたといわれている。ところがこれも肥料に硫安が普及したことでいもち病や白葉枯病に弱いことが露見し、昭和10年頃に姿を消してしまった。神力を復活米として使用したのが姫路の本田商店らの蔵元で、特に「龍力」で知られる本田商店は発祥の地・御津で栽培し、龍力ブランドの中で「神力」を誕生させている。
偶然ではない酒米と酵母菌の出合い
さて、夢前町の町興し企画では、復活米「辨慶」のストーリー化を図ろうと、百年前の名酒づくりを一つのテーマに据えている。210年以上の歴史を有す壺坂酒造の酒蔵から蔵付き酵母菌を採取し、「辨慶」と合わせて仕込もうと考えた。蔵の梁・壁・柱・桶など12カ所から棲みついている酵母菌を取ろうとしたのだ。菌が付着しそうなものを綿棒でなぞって精製水入りの容器に保存し、分離培養することで使えるものにする。たまたま分離培養できたのが昔の桶で、壺坂良昭さんによると「確実に戦後は使用していない道具」らしい。これで昭和初期のマッチングが成立し、日本酒の百年ロマン(百年前の名酒が復活)に目途が立った。
本プロジェクトをずっと追いかけていたのは神戸新聞姫路支社の宮本万里子記者である。県立農林水産技術センターに「辨慶」の種籾が700gほど残っていたことを知り、兵庫県中播磨県民センター姫路農林水産振興事務所の協力でそれを購入してすぐさま飯塚祐樹さんの田んぼに植えた。そんな所から宮本記者はこの取り組みを報じていたのだ。私も初夏には飯塚さんの田んぼを見せてもらったが、まだ植えて間もないので青々した田が広がるばかりだった。そのように期待されたものが2018年は台風上陸ラッシュで狂いが生じる。その被害がもろに「辨慶」に現れた。飯塚さんによると、「台風で稲穂が傷ついた上に、その後曇天続きで病気も出てしまって思った程収穫できなかった」そうである。それでも神戸新聞には、稲刈体験に40人が集まったと書かれている。来年用の種に回す150束を刈り取った後にコンバインで刈った。これほどまでに一般人が集まり、稲刈りを行ったのも百年前の日本酒復活への思いが多くの人にあったからだろう。参加者は口々に「酒ができるのが待ち遠しい」と話していたようだ。
夢前テロワールと題した事業の発表会は、3月19日にグランフロントのキッチン「C terrace」で行われた。なぜ3月中旬になったかといえば、百年ロマンを目指して作った日本酒がそれまでできなかったからだ。酒蔵では当然の如く売りのブランドを先に造り、順次出荷していく。壺坂酒造でも新たに企画したこの酒は、それらの後に仕込むために3月をまたざるをえない。仕込みに22~23日かけて瓶詰を一週間行う。そしてようやく日の目を見たのが3月中旬でマスコミ発表会にぎりぎり間に合ったことになる。前述したように酒米の収穫が思うようにいかなかったためにこの酒は500ml瓶たった400本の発売にとどまった。一般的な銘柄から考えるとかなりの希少品である。全国発売してしまうと秒殺で売り切れてしまいそうなので、求めたいならば夢前町まで出向いてほしいと伝えた。一見、不便さを感じるが、本来は夢前町へ観光などに来て欲しいと企画したのだから、その呼びかけが町興しの本来の姿のように思えてならない。壺坂酒造のオーナー杜氏である壺坂良昭さんは、百年ロマンを有すこの酒に「呼應100年」と名づけている。呼応とは呼びかけるの意であるが、過去と現在がシンクロするとの意味もあるそうだ。百年前の酒への熱き思いで町の人達が結集し、できあがった「呼應100年」_、まさに昔の造りを尊び、今にその良さを伝える酒になったに違いない。