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前々回のこのコーナーでは、震災から2年以上経った気仙沼の現状を記したが、そこで取材した気仙沼水産関係者の声をもとに神戸の有志が新たな復興支援を企画した。2月28日に記者発表されたTUMUGUプロジェクトは、これまでのように寄付するだけという単純な行為ではなく、力を合わせて共に仕事をしてゆこうとの発想から生まれたものだ。気仙沼産の素材を神戸・湯浅の食ブランドと岡本商店街があの手この手を用いて魅力ある食品に作り上げている。現地で、もしくはネットで買って消費し、復興に一役買いたいと思った消費者の皆さんは、なぜこの企画ができたのかを知ってもらいたい。その上で行動に移しても遅くはないのでは…。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
岡本商店街と神戸の食ブランドが立ち上げた
TUMUGUプロジェクトとは…
友人が困ってたら助けたい。それが支援の根本になる
東北を襲った大地震から丸三年が経った。3年も歳月が流れたというのに復興は思うように進んでいない。しかし世間の関心は徐々に薄れていくようで、東日本大震災時の出来事を取り入れたドラマはちらほら見られるものの、人々の会話からは消えかけ、すでに過去の出来事になっているかのような印象を受ける。そんな震災後丸三年に神戸ではTUMUGUプロジェクトと題した気仙沼復興企画がスタートした。
この企画の話は、前々回のこのコーナーでも少し触れておいたので覚えている人もいるだろう。19年前の阪神淡路大震災で神戸は二度と立ち上がれないのではないかと思うほどの大打撃を受けた。しかし全国の人たちは、一日でも早い復興をと、金銭面、人的面で応援してくれたので意外にも早期に以前の姿を取り戻すことができたのである。神戸市東灘区にある岡本商店街もそんな街のひとつ。三宮や六甲道、長田ほどの被害は受けなかったものの、やはり損害は被っており、義援金などを活用して石畳のきれいな町へと変貌している。元気になった岡本の町では、お世話になった人達へ何らかの形でお礼をしたいとの思いを強く持っており、どこかで行動に移したいと考えていた。その結果が東日本大震災で傷ついた気仙沼の復興支援だったわけである。
神戸・岡本と宮城県気仙沼は、あの地震までは何の縁りもない土地同士だった。だが、岡本商店街では過去の経験をもとに何らかの力になりたいと思い、東北を支援する意思を打ち出したのである。たまたまその旨を伝え聞いた兵庫県の職員が気仙沼へ応援に行っていた経験から縁りのなかった港町をその候補地として選ぶようになったわけだ。岡本商店街の面々は、バスをチャーターして気仙沼へ直行し、復興への手伝いを始めた。「友人が困っていれば、何とかしてやりたい。そう思うのが人情ですよね。私達は現地へ赴き、気仙沼の人達と顔を合わすこと知己が得られ、やがてそれは友情となっていく。友人が困っていれば手を差し伸べる。その思いの強さこそが復興支援の根底にあるものじゃないでしょうか」と岡本商店街振興組合の松田朗副理事長は話している。岡本商店街ではこれまでソフト面やハード面で復興の手伝いをしてきた。そんな中でふと考えたのは、永く支援し続けるには寄付ではなく、いっしょに仕事をして何か新たなものを作り上げていくことではないかという結論だった。そこで兵庫県中小企業団体中央会に支援を仰ぎ、TUMUGUプロジェクトなる気仙沼支援の新たなプランを打ち出したのである。
TUMUGUプロジェクトとは、紡ぐという言葉に由来して名づけられた。紡ぐを辞書で調べると、綿・繭から繊維を引き出し、撚りをかけて糸にすると記されている。そしてその意味から派生して「とぎれなく」とか「創造する」といった含みを持つ。19年前の大地震から立ち直った神戸が3年前の大地震から復興をとげたい気仙沼へコラボレーションと形でエールを贈るのが同プロジェクトの主旨。気仙沼の素材が神戸の創意工夫によって魅力ある商品へと作り上げられ、消費者がそれを買って食べる。このループこそが復興支援につながるはずで、消費者は寄付という形ではなく、美味しいものを食べるだけで支援し続けられる仕組みになっている。もし気仙沼が復興なった暁には、台風や竜巻、地震、大雪などで苦しんでいる地へ今度は気仙沼が力を貸していく。これこそが「紡ぐ」の言葉が持っている「とぎれなく」に該当していくのだろうと思われる。そんな広い意味もこめてのTUMUGUなのだ。
有名食ブランドが協力に次々と名乗りを
消費地・岡本と生産地の気仙沼だけではこのTUMUGUプロジェクトは稼働していかない。そこにはソフト面を担う有名料理人や加工を担当する食ブランドが必要なのだ。TUMUGUプロジェクトの社会的意義に賛同し、協力しようと言って来てくれたのは、有馬温泉の老舗旅館「御所坊」、三宮で洋風総菜を扱う「トアロードデリカテッセン」、「クワムラ食品」、「福寿」でおなじみの灘の日本酒メーカー「神戸酒心館」、北野町の人気フレンチ「ジェンティ・オジェ」、そして「湯浅醤油」の面々。「湯浅醤油」を除いては全て神戸の食ブランドで、19年前の震災で何らかの痛手を負った経験を持っている。なぜ和歌山の湯浅醤油が入っているかというと、湯浅町は江戸期の安政南海地震や昭和の東南海地震、南海地震で津波の被害に遭った場所。特に安政の地震では濱口梧陵が稲むらに火を灯して多くの住民を避難させたとの話が残っており、その時の経験をいかして造られた広村堤防が約90年後の昭和の地震で発生した津波から地域を守った。少なからずとも湯浅も地震とは関係深い町で、震災から立ち直った町という意味からも「TUMUGUプロジェクトにはぜひ加えてほしい」と「湯浅醤油」の新古敏朗さんが申し出ていた。
神戸と湯浅の食ブランドが加わることでTUMUGUプロジェクトは魅力ある商品群が出揃った。ここにその商品を列記しておこう。まず3月17日発売予定は3品。ひとつめは「御所坊」の河上総料理長が気仙沼のさんまを素材にして作った「さんまフレーク」。これは50g瓶に入った珍味扱いのものだが、有馬をイメージして実山椒を用いたものや、梅風味のもの(かつて岡本が梅林で有名だった)、金ゴマ(丹波篠山が金ゴマの産地である)の3つの味がセットになっている。実山椒、梅、金ゴマの風味異なるさんまフレークをご飯の友に、酒のアテに楽しんでもらおうと名料理人が作っている。
気仙沼・大島はカキの養殖が盛んな地として知られている。そこで獲れたカキを気仙沼で一次加工し、それを具材にして造ったのが「カキカレー」である。この商品にはクワムラ食品が協力している。一方、一次加工した時に摂れたカキの煮汁をエキスとして醤油に加えたのが湯浅醤油の「オイスター醤油」だ。カキ醤油というと広島が有名だが、個人的に味わった印象を書くと、広島のものはカツオが勝ちすぎてどちらかというとカツオのだし醤油的な味。それに比べて今回のものはカツオや昆布は入っているものの、カキのエキスが強いために本当のカキ醤油と呼べる風味になっている。
3月に続いて4月17日には4品がラインナップされている。ひとつめは「いかみそ」。これは気仙沼のいかの加工業者でいかの腑の使い方を相談されたことにより誕生した。気仙沼から送られたいかの腑(内臓)を、「神戸酒心館」蔵内にある和食店「さかばやし」の加賀爪料理長がかにみそのように仕上げた珍味だ。加賀爪さんは「いかみそ」の他にもいかの腑を醤油、みりん、酒で漬けて固め、その外側にスライスしたいかの身を巻いた「いかのルイベ風」も作っている。流石に日本酒蔵の飲食店が作っただけに日本酒に合いそうな逸品である。
神戸観光の時に訪れたいと全国的にもその名を知られている「トアロードデリカテッセン」が協力したのは「さんまスモーク」と「さんま酢漬け」の2品。燻製化したさんまや酢漬けしたさんまをバーで出したとしても絵になりそうな品で、気仙沼産のさんまに神戸らしい洋のエッセンスが上手く施されている。
「だし醤油セット」は、これまでのように完成した品ではなく、気仙沼産の乾物と湯浅醤油を家庭でうまく合わせてだし醤油を作ってもらうという企画もの。山長商店(気仙沼)の乾物を醤油に入れて美味しく仕上がるようにと新古さんのレシピが使用例として添えられている。
少し時季が飛んで秋に発売しようとしているのが「さんま鍋」と「さんまのクリーム煮」。ともに「ジャンティ・オジェ」の鈴木シェフがレシピ化したもので、前者はマルトヨ食品(気仙沼)で骨まで食せるように加工したさんまをブイヤベース風味のスープに入れて煮込むと出来上がるという品。これはマルトヨ食品のさんまと鈴木シェフが作ったスープ(気仙沼で加工する予定)をセットにして販売する予定になっている。後者は読んで字の如くさんまを用いたクリーム煮。骨まで食せるマルトヨ食品のさんまをクリーム煮にしたレトルト食品だ。両方とも北野町のフランス料理店が考案しただけにハイレベルな食品に仕上がっている。
以上10種がTUMUGUプロジェクトの商品。これらは岡本商店街振興組合に加盟しているショップや飲食店で販売もしくは使われる予定。その他、「神戸酒心館」にある東明蔵でも売ることにもなっており、それだけではなく「気仙沼のショップでも販売していきたい」と関係者は語っている。
さてあの惨劇から丸三年経ち、一般の人達はいかにこれらの商品に接してくれるのだろうか。もしこれがある程度の成功を遂げれば、これからの復興支援としてひとつの形が出来上がることになる。(文/曽我和弘)