2024年11月
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少し前までニッポンは高齢化社会へ突入すると言っていたと思うのに、気がつけば「化」の字はなくなり、着実に高齢社会を邁進している。2025年には、全国の高齢者人口が3677万人にも達するそうで、総人口に占める65歳以上の割合が約30%にもなるといわれている。認知症の高齢者は2012年に約462万人だったのに、2025年には約675万人になるという。このまま高齢者を介護を強いられた生活に突入させてしまっていいものだろうか。そんな風潮を背景に管理栄養士の徳田泰子さんが、リハビリキッチンなる健康維持法を打ち出した。聞けば、調理が手指や腕、立つ事への鍛錬に繋がるというのだ。この話を聞いて早速、大阪市内でイベントを試みた。今回は、聞き慣れぬリハビリキッチンの展望をいち早くレポートしたい。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
調理でリハビリを!2025年問題を直前にして期待を寄せるリハビリキッチンとは…。

調理行為は老いを防止する

迫り来る超高齢化社会_、それを警告するかのように2025年問題が寸前まで来ている。2025年問題とは、第一次ベビーブーム(1947〜49年)で生まれた、いわゆる団塊の世代が75歳以上の後期高齢者に達する事で生じる様々な問題を指す。全国の高齢者は、2025年には総人口の約30%にも達するといわれている。そうなって来ると、雇用はもとより医療・福祉といった分野に深刻な影響を及ぼすのだ。特に国民医療費は年々増大しており、2025年には約60兆円に達すると予測されている。国も増大する医療費を少しでも抑えようと考えるので、医療から生活支援へシフトを切り替え、しかも自助努力と民間による地域支援の強化を図ろうと打ち出しているようだ。つまり、少しでも医療へかかる負担を少なくし、元気なお年寄りでいてもらおうと願っているのである。
こんな背景を機に一つのムーブメントを起こそうとしている人がいる。それは、「ヘルシーオフィスフー」を営んでいる管理栄養士の徳田泰子さんだ。徳田さんの介護現場への取り組みは、いつも積極的かつ斬新。2018年には、介護おやつなる工夫をグループホームなどに持ちかけて喉に詰まりにくいおやつを高齢者達と一緒に作ったりもしていた。またミキサーで粉砕して流動食にして食べさせたのでは弱ってしまうと考え、食べたい気持ち(食欲)が出るように流動食をもとの形に再整形して見ためから食欲が湧くような食事を提供してもらおうと介護の現場に働きかけていたのだ。彼女が2025年問題を前にしてさらなる進化形として提案するのが、「リハビリキッチン」なる老化予防システムである。

「リハビリキッチン」とは、なかなか耳にしないフレーズ。それもそのはずで、彼女が提唱する造語で、台所作業を通じて健康状態を保持してもらおうというものだ。調理作業は、単に料理を作るだけではなく、筋力や柔軟性をリハビリできる効果も得られるというのだ。例えば、立って調理する事で足の筋力を保持する結果が得られる。人が重力に逆らって立位姿勢などを保つ時に欠かせない抗重力筋を鍛えるばかりか、平衡感覚をも養えるという。「つかむ、握る、つまむ、ひっかける、掬う、抑えるといった行為は、全て手指の運動に繋がって来ます。混ぜる、切る、ねじる、押す、引くは手首の運動に。持ち上げる、押す、引くは腕の運動にもなるんです」と徳田さんは、わかりやすくその効果を教えてくれた。そういえば、前方に腕を上げる行為は、肩関節軽度屈曲といい、肩の運動に繋がって来る。徳田さんは、「日常生活の一部である調理を通して筋肉維持は勿論のこと、筋肉の向上にもなる」と訴えている。筋肉保持ばかりではない。調理をしようと試みる思考からすでにリハビリが始まっており、献立を考えるのに頭を使うし、買物だってどれを買おうかと迷う行為はある種の思考法でもある。これらを繰り返す事で認知症の防止にもなると考える。「認知症予防に食事を作る事が密接な役割を果たすのは事実。今までの人生で何気なくやってきた事ばかりですが、年が行くとどうしても面倒になって他人(ひと)任せにしてしまう。それが老化を招いてしまう原因になります。単なる調理ととらえるのではなく、それがリハビリになると考えてほしいのです」と徳田さんは、調理を再認識してもらいたいと訴えているのだ。

リハビリキッチンを鶴見区民センターでイベント化

そんな徳田泰子流リハビリキッチンを具現化しようとの動きがこの秋にあった。一緒に取り組んだのは、一般財団法人大阪市コミュニティ協会だ。ここは、大阪市内の区民センターの運営を行なっている。そこで大阪市立鶴見区民センターの調理実習室を使ってリハビリキッチンをイベント化する事になった。私もこの取り組みに企画から参加しており、その調理講師に「御所坊」の元総料理長だった河上和成さんを口説いて担当してもらったのだ。河上和成さんは、「名料理、かく語りき」にも幾度か登場してもらっている日本料理界の巨匠で、大阪府知事賞や自民党総裁賞を受賞した料理人。素材の味を引き出すのに長けており、飾らない料理をモットーに老舗旅館の味を確立させた。「御所坊」を定年引退後は、大阪府日本調理技能士会の常任理事に就任し、日本料理の発展に尽力している。講師を担当してもらうには、魅力的な人物であった。
10月8日に催されたリハビリキッチンは、徳田さんのヘルシーオフィスフーが主催で、共催として大阪市立鶴見区民センターが名を連ねていた。河上さんが当日の献立とレシピを考え、それに倣って参加者が作って行く_、一般の調理講習と何ら変わらないスタイルである。ただ異なるのは、前述したようにこの調理実習がリハビリ要素を兼ね備えている点。だから参加者は、高齢者に限っており、徳田さん始めスタッフは、その人達の立ち居振る舞いや手指の動きまで入念にチェックしながら調理指導を行なっていた。予め徳田さんから調理におけるリハビリポイントを挙げてもらっていたが、それは①立位の保持②手指③手首④腕⑤肩だった。「立って調理する事は、足腰の鍛錬になります。手も指先も使います。物を混ぜる行為は、身体をまっすぐにして体幹を保たなければできないんですよ。それは椅子に座っての作業とて同じで、リラックスしながら調理は行えませんものね」と徳田さんは説明していた。

そんなチェックポイントを踏まえて河上さんが考えた献立が①鶏つくねの焚き合わせ②洋風玉子焼き③ほうれん草のらっきょごまだれがけの三つであった。
鶏つくねを作る行為は、手や指の鍛錬に繋がる。老いると、どうしても手首が硬くなってしまう。若い時ならできていた行為も加齢と共にやりにくくなる。今回のように鶏挽き肉と豆腐を摺り鉢でゴリゴリやって作ると、その防止に繋がると徳田さん達は考えていた。だから河上さんは、ねばりを出して団子にする行程を組み入れたのだ。玉子を返す行為もそう。これはだし巻きを作るので若い人でもなかなか難しいが、あえて入れている。今回は年老いても昔から調理をしていた婦人方が参加するだろうと思っていたので、和のだし巻きにせず、あえて献立を洋風玉子焼きとした。牛乳やマヨネーズ、チーズを使って作るので、いつものだし巻きとは違って面白かろうと河上さんは工夫を施した。
徳田さんは、加齢と共に物を計る行為をしなくなり、ついつい目分量で計ってしまいがちになると言っている。それが若いと当たり前にできるのだが、老いて来ると均等に作るのができなくなるそう。「例えば、30gのあんを丸めなさいと言ってもそれがまばらにできてしまいます。手の平に物を載せる感覚がずれて来るのでしょう。今回のようにつみれをスプーンで掬うのでさえ大小でできてしまう。同じものを何個も作るのが難しくなって来るんですよ。だから計測してきちんと作るように促し、手指の感覚でそれを覚えさせて行くのです」。徳田さんは、今回の献立は、手指を動かせる事や物を計って同じ形のものを作る行為を主眼に置いたリハビリだと指摘していた。

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 調理実習室の規模もあったので10人ぐらいの参加だったが、徳田さんや河上さんは、単純な料理教室ではなく、リハビリ要素を兼ねるので多くても15人が限度と話していた。実際に参加したのは、70〜80歳の男女。女性は主婦経験があるのでわりと手際も良かったように見えたが、アンケートを取ってみると、テーマ(リハビリキッチン)に興味があったとの回答が大半で、やはり誰しも老いへの不安を抱いているのがわかった。少なかったが、男性に話を聞くと、奥さんが病気がちで台所に立つ事を余儀なくされている人や、普段は家人に任せてはいるものの、やはり覚えておくといいと考えての参加だったのがわかった。参加者全員が「楽しかった」とアンケートには答えており、調理継続への重要性が理解できたと話していた。これまでは、何気なくやっていた行為もリハビリに繋がると聞けば、事の大事さがわかってもらえただろうと思っている。
ところで今回のリハビリキッチンイベントは、あくまでも介護現場での必要性を問うものだ。高齢者達は、これまで介護保険などを活用し、手厚いサービスを受けてきた。だが、2025年問題が来て国もそこへ回すお金が増大するのがわかり、自立支援へ舵を切り出した。「健康で長寿に」がこれからのニッポンのテーマなのである。徳田さんは、調理でリハビリを行うやり方を推進しているが、まだまだその事に気づいていない関係者も多い。「急に舵は切れないだろうが、少しずつやって行くべき」と徳田さんは話している。高齢者になると、「危ないから火や包丁は使わないで」と言う家人が多い。「何もしないで」は、そのうち老いを招き、認知症を呼び起こす。いつまでも健康でいられるようにするには、やはり今まで通りがいいのだ。リハビリキッチンは、そんな当たり前の事を私達に再認識させる機会になっていた。

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