2017年02月
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 寒い日が続いている。こんな時は、食べ物でも身体を暖めたい。冬にぴったりな料理が粕汁で、酒粕を用いたそれは日本酒の風味を漂わせながら身体を芯から暖めてくれる。今回はvol.24、vol.35に引き続き、私達が提唱している酒粕プロジェクトについて書きたい。賛同者も多く、酒粕文化衰退を危惧して東灘区(神戸)色んな店が酒粕を用いた料理をメニュー化してくれたためにマスコミでも放っておけなくなり、各メディアで取り挙げてくれた。そのおかげで、なんと粕汁が兵庫県の郷土料理になってしまいそうなのだ。今冬は、酒粕プロジェクトを行って三回目の冬になる。そこでこれまで書けなかった酒粕卸業者の仕組みについて言及したい。



  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
酒粕って独特の流通ルートがあるんです。
酒粕文化継承のためにも知っておいてほしい
そのシステム。

酒粕屋という特殊な流通システム

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私と神戸酒心館の久保田博信副社長が言い出してスタートした酒粕プロジェクトが三回目の冬を迎えた。「御所坊」と「さかばやし」(神戸酒心館蔵内の日本料理店)の酒粕鍋対決で始まったこの企画も賛同者が増えて来て年々広がりを見せている。特に神戸市東灘区にある岡本商店街の参戦が大きい。商店街内の17店舗が「福寿」の酒粕を使ってメニュー化してくれたために、スイーツやラーメン、ラテと用途に広がりも見えて来た。
この酒粕プロジェクトについては、その時々にこのコーナーでも触れている(vol.24とvol.35)のですでに読者諸氏も立ち上がりの理由や経緯を知ってくれているかもしれないが、要は日本酒メーカーの技術革新によって酒粕が巷に出なくなり、その文化存亡の危機たるや、どうするものぞと呼びかけたのがきっかけだ。一昨年は神戸酒心館で、昨年は岡本商店街で記者発表もしたので、多くのメディアが取り挙げてくれ、次第に酒粕や粕汁の言葉を色んな所で聞くようになった。
昨年、酒粕料理郷土料理化宣言と銘打った岡本商店街振興組合主催のフェアは、かなり好評だったそうで、酒粕を用いたメニューが売れに売れたと報告を受けている。これに気をよくした同商店街は、今年は1月15日~2月28日までと昨年より期間を延ばして酒粕フェアを開催してくれたのだ。今年のテーマは「酒粕で美味しく体の中からもっとキレイになる」。このフレーズをもとに甘酒や粕汁だけではなく、和洋中カフェの色んな店がオリジナルメニューを提供している。おまけに1月13日には、コスメコンシェルジュによる酒粕美容セミナーが開かれ、藤原孝子さん(日本化粧品検定一級資格を持つ講師)が一夜限りの酒粕美容セミナーとして話してくれたのである。

DSCF4894 これほどまでに巷で酒粕が持て囃されたとはびっくりで、今後面白い展開が望めるのではないだろうか。こちらも喜んでばかりはいられず、もう少し知識をつけねばと酒粕屋さんを訪ねて取材をして来たら、面白いことがわかった。
話を聞いたのは、阪神住吉駅から程近い「小林春吉商店」の小林大祐社長。そもそもは昭和8年に運送屋として創業し、日本酒を運ぶ仕事をしていたそうだ。その時、「世界長」の人から薦められて酒粕を扱う仕事も加えたという。「酒粕屋自体は江戸末期からあったようです。灘や知多半島辺りでは酢、みりん、焼酎の材料にそれを回したと記述があります」と小林社長は話している。
ここで少し説明しておかねばならぬのは、酒粕流通の仕組み。元来、酒粕はもろみを絞り、日本酒を抽出した残りもの。“かす”といっているが、なかなか優れたもので健康上にもいいし、調理素材にも向いている。ただ日本酒メーカーは、日本酒を造るのが本来の仕事なので酒粕に重きをおいていない。さらに絞った粕には不純物(ブラシの毛など)も含まれているために自分達でそれを取り除いたりせず、いわゆる酒粕屋と呼ばれる卸業者に回してその処理を頼んでいる。「小林春吉商店」のような酒粕屋は、絞った残りの粕を仕入れ、不純物を除き、それを板粕(板状にしたもの)にして商品用に製造。これを日本酒メーカーが再仕入れをして個々の蔵の酒粕として売っていくのだ。
新酒ができて春までは蔵元も商品として販売できるが、シーズンを過ぎてしまえば売れない。大半の蔵は今ではオールシーズン(夏の間だけ造っていない所が多い)酒を造っているので、その副産物である酒粕は自然と出てしまう。そんな時のためにも酒粕屋は必要で、彼らに漬物屋などに回してもらうことを期待してこんなシステムが採られているのである。「酒粕自体は冷凍保存すれば大丈夫で、常温でも茶色く変色はするが、物自体が悪くなるわけではなく、腐らないんですよ」と小林社長も話していた。
基本的に関西に住む人達は、粕汁を作ったりと調理に使用することが多いが、他地域は関西のように頻繁に用いないために漬物用になったり、動物のエサに回されたりしている。なので尚更酒粕屋のような専門卸業者が必要なのであろう。小林社長の話では、全国でその類の会社が14社ほどあるらしく、そのうち灘が5で、京都が3というからやはり関西特有のシステムといってもいいかもしれない。「小林春吉商店」も「菊正宗」「白鹿」「澤の鶴」「福寿」の灘と、伏見の「月桂冠」「富翁」、それに遠くの仙台の「一之蔵」が取引先というからあながち関西ばかりの蔵だけが必要としているのではないようだ。

 

 

 

 

「だし蔵」の酒粕鍋がヒットし、プロジェクトは新たな道へ

DSCF4891「酒粕を少し味噌汁に入れるだけでコクがアップするんですよ」と小林社長は、その用途を教えてくれた。彼の話では、甘酒は関西が麴で作る所が多いのに対し、関東は酒粕で作るのが主らしく、こんな所に他地域の酒粕の用途が見え隠れしている。山形を中心とした東北は風味づけとコクがアップするのを目的に鍋物に入れたりするし、中・四国も同様の使い方をするらしい。珍しいのは栃木のしもつかれ。これは同地域の郷土料理で酒粕を用い、鮭の頭と大豆、人参を煮込んだもの。初午の時に食べる習慣があるという。その他はというと、粕漬けや漬物の材料として用いる所が大半。中でも奈良漬作りには必要なものとして使用されている。

DSCF6124 酒粕は、大手の技術革新によって出なくなり、年々減少している。おまけに関西でも若い主婦は用いぬために粕汁をすすったことがないという人も増えている。2010年にNHKの「ためしてガッテン」が取り挙げて爆発的にヒットし、翌年発酵食品にスポットが当たったために塩麴ブームとともに売れたという。そのため全国のスーパーでも置き出したが、ブームの反動はきつく、短期的にはよかったが、長期スパーンではその煽りを喰ったともいえる。昔はどこの家庭でも火鉢の上で酒粕を焼いたもので、ざらめを載せて焼いた風味は今は懐かしの光景でしかない。酒粕プロジェクトがその文化を呼び起こす一石になればと思い、一昨年からこちらも熱心にその用途や効用を呼びかけているのだ。
その甲斐もあって今冬、「だし蔵」が酒粕鍋を商品化してくれた。「だし蔵」も湯浅醤油のHP内でも何度か報じている。「太鼓亭」の1ブランドで、湯浅醤油もコラボして「だし蔵」の名前で醤油や柚子梅だしなどを出している。今回は同社の稲田敦士さん(商品本部長)が尽力してくれ、神戸酒心館に何度も足を運び、見事な味に仕上げてくれた。「福寿」の酒粕と「だし蔵」の「関西おだし」の互いの個性を両立するのに苦労したそうだが、「さかばやし」で食べる酒粕鍋と少し違った風味のものができていたのが逆に面白い。「さかばやし」は蔵の料亭だけに上品な風味(ハレの日に合う)だが、こちらは家庭向きでケの日に合うような味で親しみやすい風味だ。稲田さんによると「福寿×だし蔵 酒粕鍋」(790円)は、なかなか好評で、ネットでの注文も多いそうだ。このように新しい一歩として酒粕を用い、商品化する所がでてくれば、酒粕文化は衰退することなく、続いて行くと思われる。さあ、次の冬はどんな展開になるやら、声掛け元としてはこれからじっくり企画を立ててみたい。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい