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またあの暑〜い夏がやって来た。地球温暖化の影響からか、このところの猛暑は耐え難い。昔は30度になるとニュースになっていたくらいだからいかに夏とはいえ涼しかったのだろうと思われる。クーラーもこれほど普及しておらず扇風機で過ごした子供時代が懐かしいのだ。体温に近い程ヒートアップすると、いささか食傷気味。こんな時は、素麺か、ざるそば、冷やしうどんをついつい頼んでしまう。寿司も食べやすい一つのメニューで、夏の魚も旨いのか、ついつい手が出る。夏の魚介類といえば、タコに穴子、鰻、鱧ではなかろうか。長いものは、厳密に夏が旬かと問われると、私は秋や冬がいいと解くのだが、でもこれらはパワーの源。作られた旬とはいえ夏も旨いのは間違いない。今回は、夏になると当たり前のように食指が伸びる、穴子とタコの話をしたい。この二つにまつわるエピソードを話すことにしよう。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
伝助穴子を求める理由とは・・・
夏まっ盛りだ。あの猛暑を2ヶ月程体験しなくてはならないかと思うと、昔のようにサマーシーズンを楽しみにはしにくい。体温に近いようなうだる暑さは、食欲まで落としてしまう。夏に食べたくなるものは、素麺と鱧。何故か絵づらが涼し気なので、暑いにも関わらず食指が動く。鱧も穴子も鰻も、実は晩秋の方が旨い。寒くなる前にせっせと餌を食すからだろう。肥えて脂も乗っている。ただ、これらの三つは、夏が旬のように伝わっている。鱧を夏の魚にしたのは、昔の京の料理人だし、鰻を土用の丑の日に食べようと広めたのは、平賀源内の策略だ。長いもの二つが無理矢理夏の魚にしたためか、同じような形の穴子もまた夏が旬と疑う余地がなくなっている。穴子については、焼きか蒸しが一般的なのだが、実はしゃぶしゃぶが旨い。鱧をしゃぶしゃぶで食しても穴子をそうしないのは、その大きさや太さに因があるのだ。
穴子は鰻と同様に蒲焼や煮穴子、天ぷらとして調理される。寿司ネタとしても上物で、昔は羽田沖で獲れたものを江戸前として持て囃し、握り寿司に用いた。穴子は瀬戸内でも名物で、関西の寿司ネタとして、広島では穴子飯にとよく使われる。こんなにポピュラーな魚介類なのに、しゃぶしゃぶで出すところは少ない。淡路島・由良にある「海幸旅館」へ行くと、店主・橋本一彦さんは、「穴子は、しゃぶしゃぶが旨い」とばかりにそれを出してくれるのだ。だが、穴子ならどんなものでもできるかといえばさにあらず。しゃぶしゃぶにするには、やはり大きさ、太さが必要。俗に伝助穴子と呼ばれるものが、それに向いている。明石では、300g以上の大きなものを伝助と呼ぶ。ところが由良では、ストレートに大穴子と称し、伝助は黒穴子を指すらしい。明石浦漁協のHPを見ると、「穴子は夏季、伝助は冬が旬」と書かれている。そして「伝助は鱧のように骨切りしてから料理する」とあり、「伝助の鍋は、鱧のそれとは違った脂の旨みが味わえ、浜ならではの隠れた逸品」と注釈が付けられているのだ。味は鱧と似ているが、穴子の方が脂っぽい。脂は味覚になるので、旨く感じるのだろう。ところが脂が多い分、鱧ほど量が喰えない。瀬戸内では、大きな穴子を伝助と呼んでいるが、その言葉の由来は兵庫県の昔話から来ているようだ。その話には、大きいだけでは役に立たない伝助なる人物が現れる。これに起因し、骨が太くて処理が大変で、捨てられていたことから伝助の名がついたと思われる。歌舞伎役者名、喜劇役者の大宮デンスケに由来するとの説もあるが、伝助自体は瀬戸内_、しかも兵庫県の呼び名なので、この昔話説の方が信憑性が高い。
伝助穴子のしゃぶしゃぶを「海幸旅館」で味あわせてくれる機会は実は少ない。橋本さんが由良漁協の仲卸しで、単に大きいだけでは素材に値しないと、なかなか出してくれないのだ。これはかなり大物で、脂が乗っているとなれば、生け越し、ドロを吐かせた上で鍋材料の遡上にのぼる。それほど橋本さんは、釣れた魚にこだわりがある。 兵庫県民は、鰻より穴子を身近かに感じるようで、寿司ネタでも鰻の蒲焼きを選ばずに焼き穴子か、煮穴子を注文する人が多いように思う。かつて明石の穴子屋の主人は、「鰻みたいな脂濃いものは、お江戸の人に食べてもろたらよろし」と言って、明石は穴子だ!と名産をアピールしていた。それくらい穴子に愛着があるのだろう。 近年、鰻不足にあえぎ、鰻の値段が高騰。そのあおりを喰ったのか、穴子も品不足になり、値段が高騰したばかりか、市場からその姿が消えつつある。淡路島の穴子屋は、あまりの不漁故に地の穴子の仕入れに四苦八苦していると聞く。かといって韓国産を求めては、本末転倒なので値を上げてでも地元の穴子で焼いているらしい。今年は聞くところによると、鰻があり余るほど獲れているようだ。一昨年の稚魚が豊富で、このところの鰻不足どこ吹く風とばかりに、市場に溢れている。ならば穴子はどうか?これは鰻のように行かないのだろう。
半夏生の日にタコを食べる!
穴子と同様に、最近獲れなくなったものとしてタコが挙げられる。スーパーを見ても料理屋を見てもタコが並んでいるので、不漁感はないだろうが、多くは北アフリカ産などの外国もの。だから市場に影響を及ぼさない。ところが、タコを名産にしている明石は困ったもの。それが不漁ならば、明石ダコの流通量が少なくなってしまう。明石ダコとは、明石海峡や明石沖で獲れるマダコのことで、弾力があって旨みがあるのが特徴。足が太短くて陸で立って歩くほど力がある。6~8月ごろが旬で、夏場に獲れるものは、“麦わらダコ”と称される。これは夏場に漁師が麦わら帽をかぶって漁に行くことから名付けられたのだ。
明石海峡では、弥生時代のタコ壺が発見されている。それによると、古代も今もあまり変わらぬ獲り方なのだろう(とはいえ、近年はタコ壺漁は減り、大半は底曳き網による漁となっているのだが…)。先程、日本で流通されているタコは、大半が北アフリカ産と書いたが、モロッコではマダコ漁が盛んになりすぎて漁獲量減少が問題になっているそうだ。一方、モーリタニアでは1990年代以降から日本向け輸出が盛んになっている。その因は、日本企業が経済援助して港湾を整備。以降、タコ壺漁の技術を伝えたために、日本への輸出向け品としても成立し出した。いくらタコ漁が盛んになろうとも、彼らはあくまで日本へ送るものとして漁をする。なぜならモーリタニアにはタコを食べる文化がないからだ。我々は当たり前のようにタコを食材として見ているが、海外ではその向きは少ない。1970年代に伊映画で「テンタクルズ」なるパニックものがあった。巨大タコが人を襲う内容だったが、タコを食さない海外では恐怖を与えたものの、日本はタコ好きなのであまり怖がらず、映画は不入りとなった。調べたわけではないが、関東より関西の方がかなりの不人気作として早めに打ち切られたのではなかろうか。
全国的に見て関西人は、タコ好きである。地元に名産がある兵庫県民はなおさらだろう。関西の農家では、昔から半夏生の日にタコを食べる習慣が根づいていた。半夏生は七十二候の一つ。いわば雑節で、かつては夏至から数えて11日目をそう呼んだ。今は天球上の黄径百度の点を太陽が通過する日となっており、7月2日ごろが半夏生にあたる。関西の農家では、この日までに田植えを終えなければならないといわれ続けた。半夏生の日には、天から毒が降るとされ、井戸に蓋をして農作業を休んで過ごしたそうだ。タコをその日に食べるのは、稲が大地にタコ足の如く根付くことを祈って。この習慣が今でも密かに伝えられており、半夏生=タコが当たり前となっている。とはいっても大半の関西人は、半夏生の日にタコを食べることは知らないのではないか。ところが最近は明石がその習慣を盛り上げたり、かくいう私も半夏生にタコを食べましょうとイベントを企画したりするものだからマスコミも取り挙げることが多くなっているのだ。半夏生の日のタコを半夏蛸というそうだ。ともあれ、タコ好き関西人ならその習わしがなくとも、夏には旬のタコを食したはずである。タコはタウリンを多く含む。夏の暑さにへばった身体には、そのタウリンが必要なのだ。夏になると、タコを欲するには、きちんとした理由がある。そして夏にも関わらず私はタコのしゃぶしゃぶを欲す。クーラーの効いた部屋で鍋物を食べるとは、なんたる贅沢だろう。生のタコをだしに潜らせ、しゃぶしゃぶして、少し火が入った所で口に放り込む。これが幸せな関西の食文化である。