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東京オリンピックがあと一年と迫って来ている。このところの訪日観光客を見ていると、体験するために来ている人が多いようで、和食料理教室なんていうのも各所で開かれている。ひと頃は、中国人が多く、韓国や台湾などからの観光客がそれに次いだ。考えてみればアジアはかなりの市場規模で、これからは東南アジアや中東からの観光客が増えていくのではなかろうか。彼らを受け入れるためには、イスラム教を理解して、それに伴う整備をしていかねばならない。そんな動きをいち早く察知してハラール和食なる定義を作ったのが大阪府日本調理技能士会の室田大祐会長である。彼の取り組みについては、これまでこのコーナーで何度が記して来た。今回は6月の福岡での講習会を受けて、ハラール対応調理の急務を訴えることにする。ハラールとは何か?まずそれを学ぶことからハラール和食は始まるのだ。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
各地で行われつつある、ハラール対応調理講習会とは…
まずは、ハラールか、非ハラールかを知っておくべし
東京オリンピック・パラリンピックが近づいているからだろう、ハラール調理の必要性が各地で叫ばれるようになった。昨年は9月26日に静岡でハラール対応調理講習会が行われ(食の現場第68回参照)、今年は1月22日に大阪で、6月12日に福岡でも催されている。秋には東京でも行われる予定だし、沖縄も名乗りを挙げていると聞く。ハラール問題は度々、このコーナーで論じて来た。世界の全人口の約1/4にあたる20憶人がイスラム教徒で、彼らを観光客として受け入れるには、調理対応の整備が必要なのだ。イスラム教は、その教えからアルコールや豚を口に入れることを禁じている。単にそれらを出さなくていいなら問題は大きくない。一般的な味噌や醤油はアルコールで発酵を止めているために使えない。酢も酢酸以外はアルコールを用いるのでダメ。みりんは尚更で、日本料理でいう煮切り酒なる手法も使えないのだ。豚に至っては色んなものに使われている。肉そのものでなくてもゼラチンもショートニングも、ラードだって豚由来のものだし、上白糖も白く色をつけるために豚骨粉を使っているから調理に用いることができない。袋の裏に食品表示されていれば、それもすぐ確認できるのだが、味噌のアルコール添加だったり、上白糖の豚骨粉だったりは、表示されておらず、故意ではなく、料理人もわからずに使用してしまうケースも見られる。塩やバターから作っていく西洋料理とは違って和食は調味料が占める割合が大きい。言いかえれば、調味料が主となる料理ともいえるのだ。我々日本人は、外国の人と比べると、宗教色が薄い。なので宗教上禁じられるといわれてもピンと来ないだろう。でも彼らはそれを気にしているのだから使用してしまったでは済まされないわけで、それが問題に発展してしまうこともある。先日、マレーシアのキーフ・ウォンワイキットさん(日本アジアクロス代表取締役)に話を聞いたが、ハラーム(禁忌)の論理的根拠はかくの如きだそう。①死肉は、腐敗過程で人に有害な化学物質が形成されるため適さない②動物から出る血には有害な細菌や代謝産物・毒素が含まれている③中毒性物質のアルコールは神経系に害を及ぼし判断力に影響を与える。諸々の問題を引き起すばかりか、死さえも招く恐れがある④豚は病原性寄生虫を体内に運ぶベクターとなるの4点らしい。ハラールでない動物として長く鋭い牙のあるものや、かぎ爪のある鳥、ねずみ・むかで・サソリなどの有害生物、宗教上殺すことが禁じられているミツバチやキツツキ、シャリーア法で殺すことを禁じているロバやラバ、ワニ・カエル・カメなどの水生動物などが挙げられる。疑わしいの意となるシュブハも非ハラールとして摂取できない。例えはゼラチン、グリセド、酵素、アルコールなどがそれにあたる。キーフさんの話では、毒がある・中毒があるものを禁じるものの、フグは大丈夫とのことだった。フグは、加工処理の段階で毒物を除去されているのでハラールだというのである。
海鮮や野菜は総じて大丈夫と見なしていいのだが、牛肉や鶏肉はハラール屠殺を施したものでないと使えないとしているし、野菜は遺伝子組み換えのものはNGと思ってもらえればいい。ムスリム(イスラム教徒)を受け入れるためには、非ハラールの食材や調味料を排除して行うべきだし、何がOKで、何がNGか、まず料理する側が覚えなくてはならない。全国日本調理技能士会連合会が主催するハラール対応調理講習会は、そんな目的のために実施している。
九州各地から調理人が集った福岡の講習会
静岡で行った講習会も熱気を帯びていたが、福岡のそれもたがわぬぐらい熱心な調理師が参加していたように思われた。講習としては、私がまず一般論としてなぜハラール対応調理が必要なのかを短く説明する。そして第一部としてキーフ・ウォンワイキットさんのイスラム教についての説明がある。ここでは、ハラールとは何かを説き、どんなものが非ハラールなのかを解説していく。マレーシア人で自身もイスラム教徒のキーフさんの話はわかりやすく、全く知識を持たなかった調理師でもある程度理解できる線まで行けるだろう。昼からの第二部は、大阪府日本調理技能士会・室田大祐会長のハラール和食調理講習である。「食の現場から」の過去記事を読めばわかるが(第29回にも関連記事を掲載)、室田さんは、今ほどハラール問題が露出していなかった時からその研究を行っていた。その真摯な姿勢が認められ、日本政府の有識者会議にも名を連ねるほどスペシャリストに成長している。今やハラール調理の第一人者なのだ。
室田さんは、自身の研究と、マレーシアの報道クルーなどに出した料理の経験に沿ってわかりやすくハラール調理の工夫を紹介していく。その例としてこの日も作ったのは、座付き二品と前菜、椀物二品に造り二品、野菜焚物と油もの(海老の天ぷら)、そして主菜としてのすき焼きであった(味噌汁やデザートも紹介している)。受講しているのは、ほとんどが料理長クラスのベテランなので細かい調理法を教えるわけではなく、工夫点やハラール調味料を用いた調味について述べている。全ての料理は、試食としてふるまわれる。耳と目で理解したものを口で味わうわけだから、まさにわかりやすい。ハラール調味料や食材に関しては、壇上に置かれており、参加者が自由に手に取れる。室田さんは、以前ハラール調味料を集めてテストしたことがあった。その当時は今のように進化していなかったために醤油や味噌は、かなりレベルが下だったように思う。みりんに至っては水飴のような類いだったと記憶している。前述したように和食は、調味料を駆使した料理である。肝心の調味料が悪ければ、いい味は出来っこない。室田さんがその必要性を新古敏朗さんに語った時、私も同席していたが、それくらい当時のハラール調味料は美味しくなかったのだ。新古さんは、室田さんら調理師の期待に応えるべく2017年に湯浅醤油で「ハラル醤油」を造った。同品は、ムスリムの人が安心して美味しく日本料理を楽しんでもらえるように設計したもので、ハラールに合わせた原材料を用い、通常品と区別してハラール専用の設備の中で造られている。ムスリムフレンドリーの認証を受けており、自社HPでも「大阪府日本調理技能士会会長・室田大祐様より、ハラールのための醤油を造って欲しいと要望を受けて造ることにした」と述べているくらいだ。福岡会場でも壇上に飾られた「ハラル醤油」を彼らは手にしながら味見をし、一般商品と比較しての質問を室田さんに投げかけていた。事例と材料_、それを一つずつ見せていくことで彼らはハラール和食を理解していく。会場では試食とは別に室田さんが作ったチリソースやマヨネーズ、胡麻ソースなども味わってもらいながら調理上の注意点と工夫を細かく解説していたのだ。参加者の声を拾ってみたが、多くの調理人が「わかりやすかった」「今まで雲をつかむような感じだったが、その方向性がはっきりわかった」などと話していた。
同講習会は、九州調理士会連合会と西日本佐藤調理師会の声がけで行われたものだが、実はハラール対応調理講習会を立ち上げたはいいが、どれくらい反響のあるものだかわからなかったのが本音である。でもインバウンド対策としてやるべき案件で、全調技連にも働きかけて会場(西部ガス食文化スタジオ)を押さえた。アナウンスしてみると、当初の不安をよそに申し込み者が殺到。福岡県のみならず鹿児島や長崎といった遠方からも参加していた。九州調理士会連合会の佐藤敏由樹会長も「嬉しい悲鳴で、いかに皆が勉強したがっていたかわかりました」と語っている。50席しかない会場なのに70席くらい設け、満席どころか、スペースに余裕がないくらい参加者が集っていた。この状況を見ると、いかにハラール和食の整備が急務かわかる。ニュースよりも話題性よりも何より現場が欲しているのだ。