2019年09月
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地酒→ワイン→焼酎→ウイスキー→日本酒とブームを繰り返す酒の世界。現在は「新政」や「獺祭」を中心とした日本酒ブームが訪れているようだが、その陰にあって日本ワインが面白い活躍を見せている。食の専門家たちの話では、ワインブームに似た動きをも見せており、その牽引役が日本に点在する中小のワイナリーだというのだ。日本ワインなるカテゴリーで知られる全国各地で産されるワインでも、やはり強弱はあるらしく、山梨・長野・山形・北海道の四大産地に、新潟を加えれば五大産地と称される。そんな中にあって青森県に属する「サンマモルワイナリー」がなかなかの健闘ぶりをみせつけているようだ。聞けば、リンゴすらできない厳寒の下北半島で無謀とも思われるブドウ栽培を行ったことから今があるらしい。今回は「サンマモルワイナリー」の北村良久社長にその躍進ぶりを取材した。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
果樹不毛の地でブドウ栽培をスタートさせた
下北のワイナリー。
意外性のある動きで、
メジャーをも脅かす存在に。

国産ピノノワールで初の金賞獲得

 

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日本ワインが現在脚光を浴びている。ワインブームというと、これまで計7回日本で起きているそうで、その初めは1972年。大阪万博を経て欧州の食文化が一般に広まり、それとともに外国産ワインの輸入が自由化されて第一回のワインブームが起こった。当時は「金曜日はワインを買って…」のサントリーのCMもあって一般家庭へ普及して行った。その後、地ワインブーム(低価格で大容量の一升瓶ワインが流行)やバブル期の高級ワインやボジョレヌーヴォーブーム、健康を背景にした赤ワインブームと色んな変遷を経て今日に至るわけだが、近頃は日本国内産ワインが見直されて来たのか、全国に点在する中小のワイナリーに目が向けられているように思う。その中でも山梨、山形、北海道、長野、新潟は古くからのワイン王国。この上位5道県で日本の約6割を占めている。
そんな有名どころに対して健闘しているのが青森県だ。同県には「ファットリア・ダ・サスィーノ」と「サンマモルワイナリー」があるのだが、このうち「サンマモルワイナリー」がこのところジャパンワインコンペティションに出品し、金賞を獲得するなど小さなワイナリーのわりに健闘ぶりを見せつけている。
そもそも「サンマモルワイナリー」誕生にはバブル経済崩壊という社会的背景が強く関わっている。本州の北の果て、下北半島は厳寒の地として知られている。青森県下北郡川内町(現在のむつ市)_、ここは過疎化が進んでいた。若者の雇用場所も少なく、いかにしたらいいだろうと当時の町長は頭を悩ませていたという。そんな川内町に一大リゾート計画が持ち上がる。町が誘致してゴルフ場とスキー場、リゾートホテルを造ろうというのだ。事業計画が着々と進むも1990年3月27日に日銀が総量規制を発してしまう。これによってバブル経済が崩壊し、リゾート計画は頓挫してしまうのだ。菊池繁安町長と事業を計画していた北村守さんは、次なる一手を打ち出す。それがワインづくりだった。

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下北は厳寒の地で青森名産のリンゴすらもできない。そんな地にブドウの木を植えようというのだから一見無謀にも映っただろう。実際、試しに植えた11品種の苗木のうちほとんどが病気にやられ、実ったものも熟さずに腐ってしまったそうだ。そんな中でもピノノワール、メルロー、ライヒェンシュタイナー、シュロンブルガーだけが生き残った。この4種のブドウは、土が合ったのか、厳しい気候にも堪えて実っている。土壌が良かったのもあるし、やませや霧から下北連山が守ってくれて厳しい気候の中でもブドウができたのである。「サンマモルワイナリー」では、この4つの品種からワインを造ることにしたという。当初は自社ワイナリーがなかったので山梨へブドウを持ち込んで造ってもらったが、弱々しいワインで、正直商売になる代物ではなかったと北村良久社長は当時を振り返っている。
だが、飽くなき探求を続け、ブドウ栽培とワインづくりを続けていると次第にいいモノができるようになって行った。ブドウ畑も7ヘクタールを超え、そのそばにはワイナリーも完成。栽培から醸造まで一貫して行える体制が整った。そこで「サンマモルワイナリー」は、自社製造のワインの評価を聞こうと、権威あるジャパンワインコンペティションにピノノワールで造った赤ワインを初めて出品する。評価してもらうことを目的に出したのではあるが、あろうことかその初出品で銅賞を獲得してしまう。大手メーカーや有名ワイナリーが多数出品する中での快挙であった。「果樹不毛の地で造ったワインが権威あるコンペティションで賞を獲ったことは、すぐに地元の話題になりました。そのニュースにあおられるように県内の消費者が下北ワインを求めたんです」と北村社長。瞬く間に35000本が完売してしまったそう。さらに2016年には「ミディアムボディRyo Classic2015」が国産ピノノワールとして初の金賞を獲得。これまでいずこのワイナリーも成し得なかった国産ピノノワールでの金賞受賞を青森の小さなワイナリーがやってのけたのだ。「北海道や山梨は有名ワイン産地で取材も多く受けるためにワイン愛飲家からは常に知られた存在で、多くの人がそこのワインを求める傾向にあります。ところが青森はマイナーな存在なので、問い合わせも多くありませんでした。でも、金賞を受賞してからは問い合わせが殺到し、完売になったのです」。北村社長がそう語るようにワインづくりの気運も一気に上昇したようだ。

青森ヌーヴォーなる次の一手

 

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「サンマモルワイナリー」は、色んな手を打ちながら青森のワインをステージ上に乗せている。その一つが青森ヌーヴォーなる取り組みであろう。青森県産ピノノワールやスチューベンを用いたワインで名を馳せた「サンマモルワイナリー」は、県内産ナイアガラでワインを造ろうとした。きっかけは、ある消費者の一言から。某スーパーに来ていた女性が「ナイアガラを用いたワインは甘くて美味しい」と話していたのだ。ナイアガラでワインを造ると甘口の白ワインができあがる。ただ同ワイナリーでは大量生産が望めないために安価で売り出せず苦労するだろうと思われた。そこで思いついたのがボジョレヌーヴォーと同じ時に売り出すプラン。これなら相乗効果が出て、消費者から注目してもらえると考えたわけだ。ところが県南のナイアガラが収穫できるのは9月末~10月上旬になってしまう。これでは11月第三木曜日には間に合わない恐れが生じる。だが、この突貫作業が思わぬ結果をもたらすのだ。「ボジョレヌーヴォーと同じ時に売ろうと思い、短い期間で造ったのが功を奏し、生のブドウの持っている香りや味がそのままワインに伝わるようになったのです。まるで生のブドウの粒を丸かじりしたかのようでした。味も爽やかさを持った甘口で瑞々しさが残ったのです」と北村社長は言っている。「これはいける!」と北村社長はひらめき、青森ヌーヴォーのキャッチコピーでそれを売り出した。

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11月第三木曜に合わせて「サンマモルワイナリー・青森ヌーヴォー」を青森県内で売り出すと、県民からの反応がすこぶるよく、完売してしまう。8年たった現在でもこの動きは止まっていないらしく、発売するやすぐに売り切れてしまう現象にある。青森県内の酒販店も積極的に後押ししてくれているようで、今や同商品は県内の大ヒット商品にまで成長しているようだ。「入荷しました」の看板が出ると、瞬く間に売り切れてしまうから入手困難な状況に。酒販店も争奪戦を繰り広げるくらい加熱しているので「県外の人はまず買えないのでは…」とまで青森県民が伝えている。
日本ワインが注目を集め、地方のワイナリーを訪れる愛飲家が多くなっている。人はありきたりのニュースに飛びつかなくなる。下北の奇跡と報じられた「サンマモルワイナリー」は、今やそんな人達が欲する場所かもしれない。高品質な日本ワインを製造するワイナリーを世に伝えようと設けられた日本ワイナリーアワードでも「サンマモルワイナリー」は、三ツ星ランクに選出されている。山梨・長野・山形・北海道の四大産地に肩を並べるくらい成長しつつある青森のワイン。それをこの小さなワイナリーが牽引しているのだから話は痛快である。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい