2019年11月
80

寿司といえば、にぎり寿司_、そんな風潮に一石を投じたい。私は常々そう思っていた。例えば箱寿司は、会席料理のような美しさを放つのに、なぜか今では穴子やエビの箱のような庶民的なものしか知られなくなってしまった。かつて隆盛を極めたこけら寿司なんてもっとひどく、今では出す店もなくなっているようだ。私は淡路島でベラのこけら寿司を食べていたからこそ、こけら寿司は身近な存在だが、世間ではそうではない。この歴史の中で埋もれてしまったこけら寿司を世に出そう!そんな思いに有馬温泉が狼煙をあげてくれたのだ。春から晩秋まで極秘に行って来た有馬温泉のこけら寿司復活プロジェクトを今回は記すことにしたい。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
忘れ去られていたこけら寿司が
有馬温泉で復活した。
江戸時代の隆盛を再びと、
令和版こけら寿司に
温泉街と料理人がチャレンジ

 

江戸時代に大坂で流行した寿司

20160617_有馬005

近年いずこの観光地も外国人で溢れ返っている。数年前は流行語となった爆買いが目立ったが、今は体験型が主らしい。日本の名湯の一つとされる有馬温泉でも芸妓によるお座敷体験があったり、前回このコーナーでも紹介した普茶料理を味わうものがあったり、写仏に座禅と色んなプログラムができあがっている。11月に記者発表をした"こけら寿司"復活プロジェクトもそんなインバウンド対策の一つから世に出たものだ。今春、有馬温泉観光協会の会長・金井啓修さんより相談を受けた。相談の主旨は、生を食べない外国人にいかにして寿司を提供したらいいだろうとの話だった。外国人にとって日本のグルメといえば、寿司になるらしい。有馬温泉ではそんなニーズを満たすべく、北区で寿司屋を任されていた辻村昭紀さんを誘う形で寺町付近に店を設けた。辻村さんは、北新地の「や満祢」で修業した大阪寿司の職人だったので、一般的な寿司屋(握りを主にした店)とは違う色が出せると期待したのだろう。有馬温泉観光協会ではそんな新店も盛り上げなければならないし、生を全く食せない外国人観光客にも寿司の魅力を伝えたいしと、色々と頭を悩ませていたようだ。

191115_こけら寿司_有馬温泉_御所坊02

ここで私は「ならばこけら寿司を復活させては…」と提案したのである。
こけら寿司といった所で、まずピンと来る人は少ない。和食の職人ですら「知らない」と言うのだから大衆には尚更未知の存在であろう。そもそもこけら寿司の"こけら"とは、こけら落としやこけら葺き屋根の"こけら"と同じものを指す。その意味は、材木を削る時に出る細片のことで、新しい劇場の初興行は、その木くずを払うことで、こけら落としの名がついた。あとは銀閣寺の屋根のように幾重にも重ねた様をこけら葺きと呼んでいる。こけら寿司は、それらのこけらの如く、最上部にそぼろやおぼろを敷き詰めた寿司、もしくはスライスしたネタを載せた寿司を指す。この寿司は、実は歴史があって握り寿司より前に世に出ているのだ。寿司はホンナレから始まり、ナマナレから早ずしへとその系譜が受け継がれていく。握り寿司なんて1800年代前半まで誕生していないのだが、こけら寿司はすでにナマナレの時代にあったとされ、室町時代の文献に登場している。今でこそ握り寿司一辺倒になってしまったが、その前には箱寿司の文化があり、それが隆盛を極めていた。こけら寿司とは、箱寿司や押し寿司に類する、いわゆる大阪寿司の一種。1643年の「料理物語」に"生成(ナマナレ)のこけら寿司"が記載されていることから考えてもかなり古くからその存在が認知されていたことがわかる。
このこけら寿司が江戸時代に大坂で爆発的ヒットを飛ばした。天保8年(1837)ごろ、大阪より江戸へ下った喜多川守貞がその風俗の違いを書き記した「守貞謾稿」に、心斎橋南にあった福本鮓で従来の三倍の厚みがあるネタでこけら寿司を作ったら、飛ぶように売れ、入手困難になったと書かれている。長谷川貞信も浮世絵にこけら寿司を描いているし、その流行は遠く江戸まで伝播したとある。それくらい隆盛を極めたこけら寿司がいつしか世の中から消えてしまった。淡路島北淡地区や高知県東洋町で郷土料理のように残るぐらいでほぼ見られなくなっている。ましてやプロが作るなんてほとんどなかったのではなかろうか。

有馬で復活プロジェクトがスタート

191115_こけら寿司_有馬温泉_御所坊01190829_禅寿司_有馬温泉_310

忘れ去られたこけら寿司を、あえて有馬の地で蘇らせるのは面白かろうと思って私は金井会長に提案したのである。考えてみれば、兵庫県には名物寿司が存在しない。大阪のバッテラや箱寿司、京都の鯖寿司、滋賀のフナ寿司、奈良の柿の葉寿司、和歌山の目張り寿司といった具合に関西二府三県には名物寿司があるのに兵庫県にはなぜかそれがない。ならばこけら寿司を再び世に出し、それを兵庫県名物に仕立てるのが面白いと私と金井会長は考えたわけだ。
偶然、私と金井会長は、旧北淡町(現淡路市)のベラのこけら寿司を食べてことがあり、こけら寿司のことは知っていた。ただ歴史を発掘するのだからそのくらいの知識では心もとなく思っていた。そこで相談したのがお酢の大手メーカー・ミツカンの大阪支店だった。幸いにもミツカン大阪支店では、一昨年より奥村彪夫先生をまじえてこけら寿司の検証を始めていた。ならば文献などもあるだろうと、タイアップする話を持ちかけたのである。大阪支店の企画担当者よりミツカンの本社にいる赤野裕文さんを紹介してもらい、古い文献などからこけら寿司の話を拾ってもらった。お酢博士の異名を取る赤野さんは、かなりの博識者で、郷土寿司の研究家・日比野光敏先生ともつながりがあったことからこけら寿司復活プロジェクトがスムーズに進行したのである。

190829_禅寿司_有馬温泉_230 191115_こけら寿司_有馬温泉_047 学生のこけらずし

我々は、令和の世にこけら寿司を復活するにあたって定義を作った。①江戸時代の箱寿司に端を発す②こけらの如く最上部をそぼろ、おぼろを敷き詰めるか、もしくはスライスしたネタを載せる③こけらの屋根を表現するかのように必ず二層以上の層を作る④純酒粕酢の「三ツ判山吹」を使うの四つである。このうち④は、関西にはほとんど流通していないミツカンの酢だったが、江戸時代のレシピを基に再現して製品化しているため、歴史的なテーマからも意義があると使用を決めたのだ。ちなみに酒粕で造る赤酢は、ミツカンの初代・中野又左衛門が江戸の寿司屋に提案したもので、「米酢を赤酢に替えたら美味しく手軽になる」と江戸の町で評判になったそうだ。これによって握り寿司が大流行する。そのきっかけになった酢ともいえる。
定義も決まり、文献も揃ったので具現化を。その大役を担ったのが「有馬禅寿司」の辻村昭紀さんと、老舗旅館「御所坊」の勝田英治料理長である。辻村さんは、特殊な押し型を用い、タチウオとカマスのこけら寿司を考案した。型にタチウオ→米酢で作った黄色いシャリ→椎茸をつぶしたもの→「三ツ判山吹」を用いた赤酢のシャリと順に入れ、間に板を挟んで、再び同じような順でカマスのこけら寿司を作っていく。そして箱を回しながら押してこけら寿司にする。淡泊なタチウオには奈良漬を載せて味のアクセントにし、金箔を載せて見栄えよくする。味のあるカマスはイクラとオクラを載せて見ためのきれいさを出している。この二種を一つの型で作るため、注文すると二つの魚のこけら寿司が味わえることになる。「有馬禅寿司」では、要予約にて一本2500円で販売するとのことで、一本につき、タチウオが6貫、カマスが6貫食せることになる。
一方、「御所坊」の勝田料理長は、明石の魚をテーマにこけら寿司を具現化した。上には昆布締めした明石鯛、照り焼きの穴子、酒と塩でボイルした足赤海老を。そして彩りに錦糸玉子を加えている。「三ツ判山吹」で作った赤酢のシャリの間にはでんぶを挟み、二層を作っていた。初めはでんぶを上に載せることも考えたそうだが、層を作るのにうまくはまると考え、それをシャリとシャリの間に挟んだそう。「御所坊」ではまず手初めに宿泊者の12月の献立の中にそれを入れて提供。さらにこけら寿司を蒸し寿司にして進化型を出してみたいと話している。
こうして令和の時代に忘れ去られていたこけら寿司が有馬温泉で復活した。今回のプロジェクトの主旨説明を兼ねて11月15日に「御所坊」でマスコミ向け発表会が催された。その時、試食してもらった評判は上々で、「層を作っているだけに口内で複雑な味がからみ合い、実に面白い味になっている」と話す声が多く聞かれたのである。発表会ではプロに負けじと、女子大生達もアーティスティックなこけら寿司を披露した。11cm角の枡を72個使い、巨大こけら寿司を演出。その寿司には、瑞宝寺公園の紅葉、鼓ケ滝、金泉と有馬らしい絵が具材で描かれていた。大阪樟蔭女子大学で、私の持つ授業「フードメディア研究」を三回生時に学んでいた現四回生の女の子四名と、この夏、うちの事務所にインターンシップで来ていた梅花女子大学の三回生二名が巨大寿司制作に携わっている。有馬を歩いてスケッチを起こし、それを基に食材を考えて設計した六名には今更ながら頭が下がる思いだ。「私達、女子大生ならこのようにして復活劇を盛り上げる」とばかりに発表会に花を添えてくれた。最後に素晴らしい観賞用こけら寿司を創作した彼女らの名を列挙しておく。井上芽依さん、岡野絢子さん、本間美里さん、中谷愛美さん(以上大阪樟蔭女子大)、萩原佑紀さん、本田美奈さん(以上梅花女子大)。ホントにご苦労様でした…。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい