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夏になると、鱧の食文化論を聞かれるケースが増えて来る。その時、話すのは、鱧の旬は本来晩秋であることと、そして大物鱧がいかに脂が乗って旨いかということ。一般的に料理屋では、800g〜1kgぐらいが良しとされ、好んでそれくらいのものを仕入れる。でも漁場で話を聞くと、2kg以上の大きなものの方が旨いという。実際、私も好んで大物鱧を食べてはいるが、漁場の人の話はご尤(もっと)もで、骨切りがやっかいだから職人は求めないのだろうと思ってしまう。ところが今夏、由良漁港で水揚げされたものは、なんと15kg!さすがにここまで来ると骨切りは大変で流通には向かない。今回はそんなエピソードも交えながら漁場での最新ニュースを報じてみたい。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
15kgの大物鱧の行方は・・・
「すわっ、15kgの鱧が水揚げされた!?」。この報は、7月初めに淡路島由良漁港よりもたらされた。ちなみに「すわ」とは、人が驚いた時に発する声を指す、感動詞である。
「さぁ」とか「あっ」に似たもので、突然の出来事や、注意を喚起するために発したりする。それくらい15kgの鱧は、珍しい水揚げであった。連絡して来たのは、由良漁協に属する仲卸しの橋本一彦さん(海幸丸水産)。漁師が水揚げした魚に浜値をつける人物の一人だ。橋本さんによると、某漁師がその大ぶり鱧を持ち込んで来たのは7月2日。これだけ大きいと誰もが敬遠し、セリ値がつかない。釣れたは売れないでは、どう処分したらいいかわからないと漁師が困って持ち込んで来たという。漁協では扱い切れない15kgもの大ぶり鱧を橋本さんは仕方なしに引き取ることにした。目的は商品としてではなく、「珍しいので孫に見せてやりたいがため」。めったにお目にかかれない15kgの鱧を子供の学習目的で買ったらしい。
私は、普段から大ぶり鱧が旨いと書いている。それは800gを一般的とするのに対して2〜4kgを大ぶりと表現し、そちらの方が脂が乗っていいと考えるからだ。実はこの知恵も橋本さんから学んだもの。通説として大きなものは、大味というのがまっ赤な嘘であったことを漁場で体験した。では、なぜそんな通説が真(まこと)しやかに囁かれるようになったのか。料理人は大きいと骨切りが大変だから「大物は大味」と嘯(うそぶ)いて800gを良しとする。縦組織が徹底している和食の世界では、親方が「大きな鱧は大味」と言うと、下は疑うことなく、そう思って調理素材を選ぶ傾向が強い。だから大きな鱧は流通しにくくなる。約20年前に私が漁場を訪れた時に「街の人は、本当の旨い魚を知らない」と指摘を受けた。それが大物鱧の例であった。以来、私は好んで大物鱧を食して来た。料理人が敬遠するように大きな鱧は、確かに骨が太い。たとえ鱧切り包丁を使うとしても切りにくいのはわかる。かと言って「大物鱧は大味」と決めつけてしまうのもいかがなものかと思う。普段800gのものを仕入れているという料理人に「3〜4kgのものを味わったことがあるか?」と尋ねてみると、「そんな大きな鱧は入荷して来ない」と決まって言う。ならば、なぜ大味と決めつけられるのだろうか。
以前にも書いたことはあるが、鱧の本当の旬は夏ではなく、晩秋だ。その理由は、鱧は冬眠する魚だから。ひと冬を寝て過ごすには、それだけ保たせる栄養が必要。なので秋口にせっせと餌を喰う。食べて太った鱧は、脂も乗っていて旨い。だから一般的に〝落ち鱧″と呼ばれる11月半ばから12月中にかけてが鱧の旬とされる所以であろう。冬眠中も動かないので旨いのだが、活動しない分、めったに釣れない。時に大きな音や地震でびっくりし、起きてくるものがあってそれを漁師が釣り上げる。私はその時たまになぜかよく出合う。だから好んで味わうが、冬の鱧も美味。逆に最も旨くないのは、9月頃だ。鱧は9月に産卵する。子を離してしまうと、痩せ細り、あった栄養は全て子に持って行かれカスカスになっている。私がよく鱧の旬は秋であるとコラムに書いているのを、通ぶった人が読んで「9月の鱧は旨い」なんてメディアで発したりしている。そんな人を目にすると、「通ぶるのはいいが、記事をちゃんと読んでおけ」と言いたくなる。同じ秋でも産卵後の初秋は、遠敬すべきで、旨いのを喰いたければ、晩秋を待つべし。私が橋本さんと知り合ったのは、かれこれ20年前ぐらいだ。JR西日本フードサービスネットの直営店をプロデュースするにあたり、いい素材を仕入れられないかと同社の人達と生産地を訪ね歩いた。その一つが由良漁港だったのである。私は、由良の港で鱧の本当の旬を知り、面白がって雑誌にも掲載して紹介したし、コラムにも度々書いて来た。幸か、不幸か、その話が噂として流れ出した。ある漁師の町の法事に呼ばれた折りに、そこに出席していた漁師達が「鱧は秋が旨いらしいぞ」と話していたのを耳にしたことがあった。鱧漁の本場でなければ、本職の漁師といえど、そんな知識なのだろう。私に晩秋の鱧の旨さを教えた橋本さんは、「曽我さんが、そんな話を書くから困る」と言っている。なぜなら、かつては世間でいう旬(夏)を過ぎて値が下がっていた鱧が、最近秋になっても値下がらなくなくなったからだ。橋本さんは、その現象を私のコラムの影響と踏んでいる。「そんな影響力はない!」と打ち消すものの、彼はそう信じ込んでいるのだから仕方がない。そういえば、夏場によくマスコミ陣から鱧の話を聞きに連絡が来る。これもネット社会の影響か。鱧の事を度々書いていると、どうやら鱧の食文化論に関しては、専門家のような立場に映るのだろう。
ところで前述の15kgの鱧だが、あまりに大きいために流通には向かない。本来なら大物は、蒲鉾工場へ直行なのだそう。そこで機械で砕き、練り物にする。当の橋本さんは、孫に見せる目的で買ったものの、「多分、私は腹身を食べると思う」とその時は話していた。腹辺りは骨がないので骨切りは必要ないということか。実は先日、「海幸丸水産」に別件でお邪魔していた時に、たまたまホテルのシェフから橋本さんに電話がかかって来ていた。代わってもらうと、笑いながら「15kgの鱧のクレームだ」という。シェフの話では、その大物ぶりに驚いたと同時に、旨さにもびっくりしたそうだ。かなり脂が乗って味がよかったとか。皮目をしっかり焼くと、パリッとしてさらに味が乗ったと話していた。そこで「骨切りはどうしたの?」と尋ねると、「流石にあれだけ大きいと骨も太く、通常の骨切りレベルでは処理できません。普通の魚のように骨を抜いてから食べたんですよ」と笑っていた。そうか、太すぎると逆に骨を取ることができるのかと、感心した次第である。15kgというと、人の背丈ほどある大きさ。さぞ珍しかろうと橋本さんに振ると、「昔は漁も多かったので、時たま揚がったのだ」そう。今まで最も大きかったのは、その倍くらいあったらしい。そこまではないにせよ、15kgの鱧は由良漁港では珍品で、周りの漁師や仲卸し達も目を白黒させて見ていたようだ。
新しい冷凍技術が漁場の供給を変えるのか
話は変わるが、橋本さんは、今、新しいことに挑戦しようとしている。それは凍眠冷凍の機械を導入したことだ。技術が進化して冷凍も進んだ。従来の冷凍では、凍結時に細胞が破壊されて旨みや栄養がドリップとして流れてしまう。聞くところでは、凍眠冷凍は−30度の液体で圧倒的に速く凍らせることができるらしい。細胞を壊すのを抑え、ドリップを限りなく出さずに冷凍できるため生の時のような美味しさを保たせるのだという。橋本さんは「従来の冷凍なら3時間ほどかけて凍結するのが、この機械だとたった15分ほどで凍る」と話していた。試しに私もそれを食べてみたが、旧来の冷凍と違って味もよかった。一緒に連れて行った料理人も「生のような弾力感がある」とか、「刺身でも出せるが、焼物や煮物に使うと冷凍ものとは分からない」などと感想を述べていた。
魚は当然の如くセリで値が決まる。多く獲れれば安いし、需要があれば値が上がる。いくら大漁で安く値づけしても使う側に需要がなければ、その価値はさらに下がる。仮に凍眠冷凍機が程よく機能すれば、大漁時に安く買っておいて保存し、需要先が欲しい時に出荷すればメリットが出る。そう考えて橋本さんも導入したのだろう。町場の飲食店などと取り引きを始めると、彼らの必要数と水揚げ数の間で摩擦が生じる。それを凍眠冷凍で補えばいいと考える。大雨や嵐で漁に出ない日もあるので、その時は凍眠冷凍の魚を回せば、お互いにメリットが出て来るように思える。ただ、私は漁場で食べるなら、焼物や煮物には向いているが、刺身には少し不向きだと思ってしまった。なぜなら漁場では鮮度を求めているが故にどうしてもコリコリしたものを欲してしまうからだ。凍眠冷凍した魚は少しぬめっとした感じがあった。それがコリコリ感とは相反するものなのだ。これが街へ行くと、輸送時間がかかる分、コリコリ感は自ずと失われる。だから漁場でなければ、凍眠冷凍のものとて十分刺身で使われるわけだ。味はいいのだから。ここを誤解してほしくないと思い、しつこめに記したが、わかってもらえたであろうか。町場へ行くなら生のものと何ら変わらないように思える。それに私のように漁場で食すことなんてあまりないケースだから。それほどこの機械は仲卸しなどの人には」使えるものとなろう。一般的に町場の料理屋で食べるケースは99%ぐらいあるのだから革新的に使えそうだ。そう思ってこの新しい機械を見学させてもらった。