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色んな場所で取材していると、生産者との繋がりが生じて来る。彼らは、常に純粋でいい農作物や魚介類ができるだけいい状態で消費者のもとへ届けられることを願っている。その伝手を利用して私も食事会イベントを企画するのだが、いい食材が届けられる分、いい料理ができるとあって参加者からはいつも好評だ。ただ、悲しいことに地球環境が徐々に変化し、生産作業に支障を来たしている。特に漁業は、海温の上昇やら海の栄養不足やらで深刻化して来た。この夏、私が漁港関係者とふれあう中で、聞いて来たことを今回は述べたい。特に明石浦漁協が取り組んでいる海の恵み保全プロジェクトは、一般の人にも知ってもらいたい話なのだ。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
淡路島で大物鮃に遭遇
先月「名料理、かく語りき」で北新地にリニューアルオープンした「北新地ふじもと」の話を書いた。同店のオーナーシェフ・藤本直久さんが、新店のコンセプトに掲げているのが、顔の見える生産者からの直仕入れだ。彼は、魚介類は淡路島由良漁港の「海幸丸水産」から仕入れることにし、新店準備中に同漁港を訪れた。そこでまず最初に出合った大きな鮃(ヒラメ)に感動を覚えたようだ。漁協の仲卸しを務める橋本一彦さん(海幸丸水産)に聞くと、「この手の大物鮃は冬場にはよく水揚げされる」そう。大物は大味と誤解を持たれがちだが、「肉厚があって脂乗りがよく味は絶品」と漁場で評価されていた。藤本さんが「この大物鮃をどう調理したら一番美味しく食せますか?」と橋本さんに質問すると、「そら、生やで。刺身にすると旨みもわかる」と答えたそうだ。藤本さんは、元来フレンチのシェフ。旧来の店もあえて「北新地西洋料理店ふじもと」と名乗っており、西洋料理に固執していたが、「それでは新店の料理が広がらない」とばかりにあえて〝西洋料理店″の冠を外したと語っていた。鮃は太平洋西部に分布している魚で、日本では寿司ネタとしても人気が高い。最大で全長1m、体重10kgにもなるようだ。この日、藤本さんが目にした鮃は、そこまで大物ではなかったが、冬場に由良漁港で揚がったという大物鮃の写真を橋本さんに見せてもらうと、彼の孫がすっぽり収まりそうな大きさで、いかに大物鮃がこの港で水揚げされたかわかる代物であった。
鮃は、沿岸の砂泥地を好み、夜に活動するらしい。それを漁師が底曳き網で獲るのだろう(一本釣りや延縄、定置網、刺し網でも捕獲する)。よく似た魚に鰈(カレイ)がいるが、日本では「左鮃に右鰈」と言って目のある位置で区別している。ただ、昔は鮃と鰈は区別されておらず魚体が大きいものを鮃と称したようだ。ある文献にも「鮃は東京近郊のみでの呼び名」と書いてある。分類的にはカレイ目カレイ亜目の魚。新潟では真鰈を鮃と呼び、鮃を大鰈と呼ぶ逆転現象が起きている。
藤本さんの専門である西洋料理_、殊フレンチの世界では舌鮃をよく活用する。有名なのはドーバー海峡で獲れるドーバーソール。それをムニエルにして出すのが定番であろう。この日、藤本さんが大物鮃を見た時に「ドーバーソールを思い出した」と言っていた。やがて「北新地ふじもと」では、冬場の大物が入荷され、鮃をムニエルにして提供する姿が想像されそうだ。ちなみに橋本さんは、由良漁港で水揚げされた舌鮃も一夜干しにして出荷している。これまた一般的なものより肉厚ある舌鮃で「だから一夜干しにできる」と言う。流石に藤本さんの店では、一夜干しとは行かないだろうが、大物鮃の刺身はあり得るし、肉厚ある舌鮃のムニエルも出るだろう。ドーバーソールならぬ、由良ソールが今から楽しみだ。我々はたまに揚がった大物に目を白黒するが、漁場では珍しいことではないらしい。それでも橋本さんは「昔のような水揚げ量があった頃は、よく大物が揚がったが、今では少なくなった」と語っていた。
かつての海を取り戻したいと漁協が活動
ところでこうして漁場に行って取材する度に耳にするのは水揚げ量の少なさである。年々減って来ているようで、そのうち天然魚は高級日本料理店か、高級寿司店に行かないと食べられぬのではないかとさえ思ってしまう。真鯛に至っては、すでに養殖が81%を占めており、養殖なくてはその存在すら危ぶまれている。車海老はもっと多く、86%が養殖ものである。
私は夏場になると、明石蛸(タコ)の食事会を「さかばやし」と一緒に企画する。勿論、使用するのは、明石浦漁港で獲れた正真正銘の明石蛸である。今年も半夏生を目前に控えた6月27日に開催したのだが、この「さかばやし」主催のイベントには、明石浦漁協がコラボしてくれており、明石浦漁業協同組合でセリを担当する宮﨑鉄平さんがゲストとして参加してくれていた。宮﨑さんの話によれば、流石に蛸の産地とされる明石でもその漁獲量が減って困っているようだ。TVのニュースでは今では最盛期の1割ほどしか獲れないと報じていた。ならば尚更問題は深刻であろう。その原因には色んな事が挙げられるのだが、海の中の栄養不足が一因ともいわれている。かつては工業排水の問題等で海の汚染が叫ばれた時期もあったが、漁業関係者に聞くと、「今はきれい」らしい。ただ水質が改善した反面、きれいになりすぎたせいでプランクトンの餌となる栄養塩が一気に減少し、それが原因で蛸が餌とする小海老や小蟹がいなくなったと囁かれているのだ。蛸だけではない、海の栄養不足は様々な魚介類の生息に危機をもたらしている。
明石浦漁協では、現在、海底耕耘(こううん)なる活動を行って海の栄養を取り戻そうとしている。海底耕耘とは、海に投入した耕耘桁(けた)をロープに結んで船で引き、文字通り海の底を耕す作業をいう。こうすることで堆積物をかき混ぜて硬くなった泥や砂を掘り起こすのだ。砂泥中にある窒素やリンといった海底塩をまきあげて海に放出することで恵みのある海にしようとの試み。兵庫県では2004年から瀬戸内の漁協で試験的に取り組み、2008年から本格導入した。明石でも10年前ぐらいから海底耕耘を実施するようになったそう。こうすることで海の中の生物が生息しやすい環境を作ろうとしている。明石浦漁協は「すぐには効果が出ないだろうが、やった方がいい」と考えており、2030年までには何らかの結果を出したいと目論んでいる。
加えて栽培漁業の取り組みも実施。海の中には当然、生物の強弱が存在する。その弱い部分を人の手で助けようとの考えで栽培漁業が行われる。これは卵や稚魚を外敵から守って大きくなるまで人の手を介して育て、やがて海へと放流する作業を指す。そして大きくなってから漁を行うのだ。兵庫県では2021年に真鯛を244000尾、鮃を514500尾など十数種の魚の稚魚の放流を行っている。また、蛸の産地らしく子持ち蛸の再放流事業にも力を入れている。卵を抱いた母蛸が入った蛸壺が揚がった際にそれを漁協が漁師から買い取って海へ戻すのだ。これは明石市漁業組合連合会が2010年から始めており、2021年までに約4300個の蛸壺を海に戻している。
こういった根本的な取り組みの他にもタコ釣りルールを定めて一般釣り人の蛸釣りを規制したり、タコマイレージを設け、遊漁船の利用者(一般の釣り人)が釣った真蛸を放流用に提供すると、その匹数に応じてポイントが付き、それを貯めるとオリジナルステッカーが進呈されたり、サービス特典が受けられるような取り組みも行っている。ちなみにタコマイレージの導入初年度(2023年)は、延べ2655人の協力者があって7513匹の真蛸が海へ戻ったという。
6月25日の明石蛸の食事会では、ただ単に新鮮な蛸を食べるだけではなく、こんな話を明石浦漁協の宮﨑さんから聞いた。参加者は今まで知らない取り組みなので感心することしきり。海の保全の大切さも学んだ次第である。海底耕耘や子持ち蛸再放流事業の話を聞いた後で、「さかばやし」の大谷直也料理長が宮﨑さんの持って来た当日の食材を客に見せようとしたところ、活きがいいのか、身の危機を察したのかわからないが、蛸が袋から逃げ出しそうになり、料理長が器に載せようとしても嫌がって吸盤が机に張りついて取れない有り様。その光景に驚くばかりか、素材の新鮮さを目の当たりに実感した。大谷料理長と蛸の格闘劇は、一つのいい余興になったのではなかろうか。