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先日、「神戸元気サーモン」の今年の出荷分を味わった。「神戸元気サーモン」は、東須磨の漁師達が養殖するもので、餌に酒粕を混ぜている。酒粕プロジェクトの発表会は、1月下旬だから発表会時点では昨秋から育てたものは味わえない。ようやく3月から旬を迎え大きくなったので4月にそれを使った食事会を企画したわけだ。食事会では、生があったり燻したものがあったりと、調理法は様々。メインディッシュは、「神戸元気サーモン」のレモン鍋しゃぶしゃぶであった。参加者は、サーモンのしゃぶしゃぶなんて初体験と口々に言うが、それもそうだろう。元来、鮭は焼物が主で生で食すなんてあり得ない事だったのだから。今回は、そんな生の話を展開したい。なぜサーモンが生で食せるようになったのか?そこには仕掛人が存在する。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
酒粕を餌に育てると、マスが変わった!
神戸・東須磨の海で養殖している「神戸元気サーモン」が今年の出荷を終えようとしている。「神戸元気サーモン」は、神戸市漁業協同組合に属する東須磨の漁師達(東須磨底曳会)が東須磨サーモン部会を立ち上げ、ニジマスの稚魚を放流して養殖を行っているものだが、そのメンバー・奥谷知生さんに聞くと、「水温が18℃以上になると病気が出てしまいがちになって養殖できない」そう。なので彼らは、水温が18℃以下に下がる11月を待って生け簀を組み立てて養殖を開始する。養殖は11月からGW明けぐらいまで。5月になると、水温も20℃に達してしまうので、その年の養殖を終えて秋を待つのである。800gぐらいのニジマスを生け簀に放ち、餌をやって大きくする。出荷できるサイズになるのが3月くらいで、3〜5月初めに飲食店や市場に出荷をするのだ。なので旬は短い。奥谷さんによると、「短期間で出荷を終えてしまう魚なので、スーパーなどでは長期間扱えるものを求める傾向にあり、それがネックとなって広まる幅を狭めている」との話。それと加工を求める所も多く、その手の要望に対応できるかが今後の鍵となって来るのだそう。
神戸元気サーモンは、「第117回食の現場から」でも報じたように神戸らしさを醸し出すようにと、「福寿」(灘の日本酒)の酒粕を餌に加えている。そのため私が企画する酒粕プロジェクトにもエントリー作として発表してくれており、少しは縁のある海産物になっている。酒粕を餌に加えるようになったのは、数年前。当初は神戸らしさを出すためにパンくずを用いようと思ったようだが、パンにはバターが含まれているのでニジマスが糖尿病にかかる恐れがあるとアドバイスを受けて断念。ならば灘の酒蔵から出る酒粕をと思い、神戸酒心館に願い出たところ、酒粕プロジェクトの一環にもなると快く了承してくれたという。東須磨サーモン部会では、いつも与える餌に酒粕を混ぜてみたところ、その喰いもよく、思った以上に成果を得られた。酒粕を与えると身が鮮やかなオレンジ色に輝き、締まっていた。マス独特の匂いも消えたので生食(刺身)でも美味しく食せるものになったようだ。私も味わったが、その身の美しさは酒粕を餌に与えていないものを遥かに凌いでいる。造りにしてもよく、しゃぶしゃぶにしてもいい。今年も「さかばやし」にて神戸元気サーモンの食事会を催したが、参加者から「これは旨い!」との声が挙がり、「来年もやって欲しい」との要望が多く寄せられた。食事会にも参加した漁師の奥谷さんは「日本のスーパーフードと称される酒粕を餌に混ぜた甲斐があった。これからも自信を持って養殖を行い、いずれは神戸の名産品に名乗りを挙げたい」と前向き姿勢を前面に押し出していた。
いつからサーモンが寿司ネタになった?
ところで今回の神戸元気サーモンの食事会では、メインディッシュが「神戸元気サーモンと淡路産レモン鍋」と題した鍋物。いわゆるサーモンのしゃぶしゃぶであった。これは輪切りのレモンをだしの張った鍋で温め、柑橘の酸味がついた鍋の中で生の「神戸元気サーモン」をしゃぶしゃぶして食べる。奥谷さんに言わせると、「生の身をだしに潜らせたぐらいが美味しい」らしく、ちょっとしか熱が通らない半生状態で味わうのがいいようだ。参加者の多くがレモン鍋も初体験なら、サーモンのしゃぶしゃぶも初体験らしく、「これは素材が新鮮ではないと食せない代物」とご満悦気味だった。
いくらグルメであろうが、「サーモンのしゃぶしゃぶは初体験」と答えるのも無理のない話であろう。今でこそ寿司屋へ行けば、サーモンの握り寿司なんて当たり前に出て来るが、30年前までは鮭の寿司なんてありえない話だった。当時、鮭といえば塩鮭が一般的で、昔は魚屋ではなく、乾物屋で売られていた。鮭は、朝食のおかずとしてなじみはあるものの、焼き魚が一般的。寄生虫がいるので生食なんてもってのほかだったのだ。それを寿司ネタとして普及させたのは、在日ノルウェー大使館で、当時そこに勤務していたビョーン・エイリク・オルセンさんこそが、サーモン寿司の生みの親である。
’90年代初めにノルウェーでは、サーモン増産に伴う不良在庫があったようだ。サーモン不況とまでいわれており、問題は深刻化。そんな事情を背景にノルウェー大使館では、日本にノルウェーサーモンを売り込もうと考えた。日本は魚の需要が大きい。おまけにシシャモなどの売り込みもうまく行っていた。
ところが、いざ売り込もうとしても鮭は塩干物的扱いだから値が安い。これまでのように焼き鮭需要では買い叩かれてしまう恐れが生じる。そこでオルセンさんは、生食用_、寿司ネタとしてアッピールする事を思いついたという。日本では、鮭は生食しないという考え方が根付いている。それは寄生虫のアニサキスが怖いからだ。ノルウェーのサーモンは、寄生虫のアニサキスがおらず生でも安心して食せる。しかも年中生産できる利点もある。大西洋で獲れるものをサーモンと呼び、太平洋産の鮭と区別する事で寿司ネタにと売り込んだのである。折りしもその頃は回転寿司ブーム。頑固な寿司職人が握る寿司ではなく、アルバイト程度の技術者や機械が握るものがあって敷居は低かった。ならば導入も可能とばかりに回転寿司チェーンに売り込んだのである。
回転寿司は、一般の寿司屋と比べると安価。そこに集まる層も若い。ましてやファミリー層は「鮭は生ではダメ」との考えを持たない子供を連れてやって来る。オレンジ色が鮮やかなノルウェーサーモンの寿司ダネは、子供の目に止まり、いつしか人気が出て行った。今では、回転寿司ではマグロを抑え、サーモンが人気一位に陣取っている。
こういったノルウェー的発想が、日本でもサーモンの養殖に繋がっている。「サーモンが生で食べられるようになった理由は何ですか?」との問いの答えは、「サーモンを海で養殖できるようになったから」である。鮭は淡水の魚で、海へ下って再び川を遡上する。寄生虫が存在するのはそんな環境下にあるからで、自然の餌も影響している。海水のみで養殖するサーモンは淡水を知らないので寄生虫がいない。ましてや養殖は、人間が餌を与えるのでいらぬものは食べない。回転寿司の寿司ネタなど生で食せるものを鮭と呼ばずにサーモンと名づけて区別しているのもそんな理由があるからかもしれない。時にオルセンさんが“切り身”としてノルウェーサーモンを売り込んでいたら、安価で取引されて今頃は日本から撤退していたかもしれない。そうなれば、今の寿司ネタにサーモンが入って来る事はなかったろう。そう考えると、日本の食文化を彼が変えてと言っても言い過ぎではない。
御当地サーモンは、全国に80近くあるらしい。多くはマスを育てて○○サーモンと名づけて出荷している。本来、マスと鮭に明確な区別はないらしい。和訳するとサーモンは鮭になり、トラウトはマスになる。鮭もマスも元来は川で育ったり、海で育ったりする種があるので大雑把な分け方になっている。ヤマメのように川に留まる(陸封型)のは、魚体が小さい。一方、マスのように海へ下る海降型は危険も増える代わりに餌が豊富で大きく育つ。環境が異なれば、それだけ差が生じるという事だ。神戸・東須磨の海で育てられたニジマス(神戸元気サーモン)は、日本のスーパーフードである酒粕が餌に使われている。それだけに他の御当地サーモンと環境も異なると表現してもおかしくはない。2025年版の「神戸元気サーモン」の養殖は2024年11月から始まるという。奥谷さんらも餌のやり方など色んな事を検証しながら育てていると話ている。2023年出荷分が2kgぐらいだったのに、2024年のは愛知ではなく宮城から稚魚が来た事もあって4kg近くまで大きくなったという。さて2025年は、どんな変化が見られるやら、今から楽しみにしている。