2015年09月
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ラーメンは誰もが薀蓄を語ることができるというくらい、個々でなじみの店を持っている。おまけに地方ごとの特色も異なり、それで町興しを目論む人もいるくらいだ。今回はラーメン好きとされる徳島県へ旅をした。茶系があたり前と思いきや、行ってみると茶系と白系の勢力図があるようだ。徳島ラーメンの名店「三八(さんぱ)」で支那そばを食べながら徳島ラーメンの話を聞いて来た。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
ご当地ラーメンにも色んな歴史あり!
徳島ラーメンに関西の風を見た

地方ラーメンは札幌から始まった

genba032_photo01 カレーと並んで今や国民食とまでいわれるラーメン。当然、中国の料理だが、日本文化の中で独自に育ち、色んなスタイルが派生したためか、日本のものとして海外に紹介されることも多いと聞く。ひと頃のラーメンブームは、今では静かなもの。あらゆる味が出、ある程度出つくした感があるからだろう、ブームとしては収まったようである。それでも地方ごとの色は年々強くなっており、町興しにラーメンを用いるところも少なくはない。
ラーメンが地方色を出したのは、札幌が最初だろう。「竹家食堂」が1922年に始めた肉絲(ロースー)麺(ミェン)が日本のラーメンの元祖といわれるだけに地方色云々(うんぬん)を語る自体がおかしいかもしれないが、とりあえず札幌ラーメンについては述べておくことにしよう。高度成長期を前にして札幌で日本独自のラーメンが生まれている。味噌ラーメンがそれで、「味の三平」の大宮守人が豚汁の中に麺を入れたのがきっかけで誕生したとの説がある。大宮は屋台から始め、店を持った札幌ラーメン草創期の職人で、初めはつぶ貝うどんを出していたらしい。それが「龍鳳」の松田勘七の薦めもあってラーメン修業をすることになり、すすきので「味の三平」を始めたのだ。ある時、マギー社(スイス)の社長が「日本人は味噌の効用を評価して料理にもっと用いた方がいい」と書いたものを雑誌で目にし、味噌ラーメン開発を思いつく。味噌ラーメンを世に出したのは、「暮らしの手帖」の花森安治編集長で、彼が記事を載せたことにより、一気に全国で広まり、味噌ラーメンという新しいジャンルが確立されるまでに至っている。「味の三平」の味噌ラーメンは昭和30年(1955)生まれ(同店でメニュー化された)だそうだが、それから10年以上たってサンヨー食品がインスタントラーメン「サッポロ一番みそラーメン」を発売した。これによってラーメンに味噌を使うというのが当たり前のようになったと思われる。
genba032_photo02 湯浅醤油のある和歌山県もラーメンでは有名だ。和歌山駅では‟中華そばとラーメン食べ歩きマップ”が置かれていたり、有名店を巡るラーメンタクシーなども走っている。和歌山市では戦前からラーメンが食されていたようで屋台のラーメン屋が何軒も連なってあった。昔は路面電車が走っており、その拠点だった堀止辺りには屋台が並んでいたのだ。
そんな和歌山ラーメンをメジャーにしたのは、皮肉にも毒入りカレー事件。劇場型のように報道されたこの事件では、メディアが和歌山市へ取材に押し寄せ、彼らが連日のようにラーメンを食べたことで一気にクローズアップされてしまう。特に代表的である「井出商店」は、警察署からも近く、こぞって取材記者が行ったことでその名前が広まった。和歌山には醤油発祥地があるからそこの醤油が使われていると、ものの資料には書かれているが、それほど湯浅の醤油は使っていない。この件に関しては、次回の「名料理、かく語りき」で触れることにしよう。

茶系と白系の勢力図著しい徳島ラーメン

genba032_photo03 先日、徳島の出版社の案内で新古敏朗さんと徳島ラーメンを食べに出かけた。和歌山と対岸の徳島もラーメンで町興しを行っている地方都市だ。1999年に新横浜ラーメン博物館に期間限定で「いのたに」が出店して話題を呼び、一気に知名度がアップした。「いのたに」があまりにも有名なので、徳島ラーメンというと、豚骨スープに濃口醤油やたまり醤油で味付けし、豚のバラ肉が入り、生卵を載せたものを想像する(茶系)が、それが全てではない。どうやら茶系と白系の二つに大別されるようだ(厳密には茶・白・黄の三つに分かれるらしいが…)。
私が行ったのは、俗に白系と呼ばれる「三八(さんぱ)」。同店三代目となる岡田元一さんが営んでおり、徳島市内の田宮店、つけ麺を販売する「三八製麺所はじめ」、鳴門市内の斎田店、黒崎店の4つの店舗を持っている。岡田さんに徳島ラーメンの話を聞くと面白いことがわかった。香川がうどん好きなのと同じで、徳島の人はラーメン好きなのだそう。ピーク時には390店のラーメン屋があったらしい(人口比では全国五番目に多い)。一般的に茶系と思われている徳島ラーメンは、地方雑誌の「あわわ」などが関与して広めていった。豚骨醤油が主流なのは、県内に徳島ハム(今はニッポンハムになっている)の工場があり、そこから大量の豚骨が出たので、それを使うようになったのが始まりのようだ。茶系が内陸側の特色なら白系は海側。豚骨に白醤油や薄口醤油を使う白系は、茶系と全く異なるジャンルで、どちらかというと和歌山ラーメンに近いように思えた。
genba032_photo04 岡田さんの「三八」は、白系ラーメン。徳島でラーメンというと、小松島の港で屋台を曳いていた「岡本中華」が有名で、岡田さんはそれが白系の元祖ではないかと考えている。岡田さんの祖父は、そこでラーメンの作り方を教えてもらったのだという。「岡本中華は、今でこそ店舗を持っていますが、昔は屋台で、小松島と和歌山を結ぶ連絡船の待ち合いのような形でラーメンを売っていたんですよ。だから白系は、和歌山ラーメンのエッセンスが入っていても何らおかしくはないのです」と話す。祖父がそこで教えてもらい、関西との玄関口でもある鳴門で「三八」を始めたのなら、どこかしら関西の風を感じても不思議ではないのだ。
「三八」のラーメンは、豚骨と鶏ガラを用いている。徳島で鶏ガラが使われているのはほとんどないらしい。肉入りの「支那そば」(大840円)を頼み、味わっていると、甘みがあってあっさりしているのが特徴のように思えたが、鶏ガラを用いていると聞いて納得がいった。「今日は黄が強く出てしまっています。豚骨が少し強すぎたかな」と岡田さんは隠さず話すが、客側には全くわからないだろう。こんな言葉が出てくるところがいかにも職人然としていて好感が持てる。
「三八」は、今秋で47年目を迎える、いわば徳島ラーメンの老舗店だ。メニューは「支那そば」(530円、580円、680円)一本で、そこに肉入りが加わる。肉入りの豚肉はバラ肉ともも肉を選ぶシステムになっており、注文すると半々にしてくれるサービスもある。あと「肉飯」や「肉玉子飯」「辛ヌードル」とあるが、ほとんど「支那そば」一本で勝負している潔さがいい。「徳島ラーメンは、茶系VS白系なんて表現されますが、実は9対1で圧倒的に茶系が多いんですよ。でもルーツを考えると、『岡本中華』が古いといわれるくらいですから白系なのかもしれませんね」。岡田さんによると、この三年では様変わりして来たそうで、東京から新たなジャンルが入って来ていると言う。徳島は、海を隔てて、和歌山から文化が入って来ていてもおかしくはない場所。そう思うと、何か新しいラーメンができそうではないか。そんなことをふと思った徳島ラーメン紀行であった。<取材データ>
三八・田宮店
徳島市北田宮2-467
TEL088-633-8938
営業時間10:30~21:00(売り切れ次第終了)

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい