2016年10月
43

 先月「名料理、かく語りき」で「もみじ茶屋」のことを書いた。ラジオ番組制作をやっている同茶屋の藤田和宏さんに、話を聞けば聞くほど面白く、この一回だけでは伝えきれないとばかりに今月は「食の現場から」でもそれを取り挙げることにした。朝6時から約100人を集める十善寺のラジオ体操は、調べてみると神戸独特の文化で、市内広範囲に広がる毎日登山に繋がる。神戸は明治の開港以来、色んな海外文化を受け継いでいるが、この毎日登山もその一つ。在住の外国人が始め、やがて市民に広まったものである。朝から健康のために山に登り、茶屋で一服し、ノートに名を記す。こんな文化があることを市外の人にも知ってほしい。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
毎日登山は神戸独特の文化。一王山を始め、
色んな山の茶屋が早朝から賑わいを見せている。

健康のために毎日、山に登ろう!

DSCF4483

神戸には毎日登山なる習慣がある。これは街と山が近い環境であるという理由もさることながら、開港以降に外国人が住みつき、欧米の健康目的とした軽めの登山を習慣化させたのがきっかけで、神戸市民がその行動に倣って近場の山に登りだしたことによる。今でも一王山や再度山、高取山、旗振山など色んな所で行われており、約5000人もがやっていると聞くから驚く。
神戸にこの習慣が根づくきっかけは、どうやら明治38年(1905)のようだ。在住する外国人がハンター坂を上って善助茶屋まで行き、サインブックに署名する習慣をつけた。そしてこれに倣えとばかりに栄町や海岸通(元町)の商人達が登り始めた。善助茶屋のある再度山は約400mの標高。なので本格的山登りではなく、散歩の延長で登って行けるのがよかったのだろう。これが大正から昭和初期には再度山だけでなく、色んな所に広まった。その一つが先月の「名料理、かく語りき」に書いた一王山十善寺なのだ。
毎日登山縁りの善助茶屋は今はない。その跡には今では“毎日登山発祥の碑”が建っている。神戸には毎日登山を目的とした神戸ヒヨコ登山会というのがあるらしい。この会は大正11年(1922)に設立、再度山・大龍寺山門前の茶屋に集まる10人が作ったものだ。現在は7つの支部があり、旗振山、高取山、再度山、布引、一王山、保久良、唐櫃がそれにあたる。
ところで一王山十善寺であるが、この7つのコースの中でも最も低い山ではなかろうか。何せ山門の袂は住宅街。阪急六甲駅からでも歩いて20分、市バス・高羽町停留所からなら10分足らずで到着する。今でこそ周辺に神戸大学やマンションが建っているが、その昔は何もなく、多分に登山という趣があったのだろう。

DSCF4486

十善寺は由緒ある寺である。元喜5年(1057)に信覚大師によって創建され、一時は73の僧房と七堂伽藍の大きなものであった。それが織田信長の播磨攻略の一環で兵火にまみれ、寺は焼失。江戸期に高羽の楠本三左衛門高重の手によって再建され、呑海禅師が完成させている。本尊に十一面千手観音菩薩を安置しており、脇仏として弘法大師や諸天皇を祠っている。
先月の「名料理、かく語りき」で紹介したようにこの寺の境内にあるのが「もみじ茶屋」。意外にもラジオ制作会社の「デスカルガ」の運営である。同茶屋の担当・藤田和宏さんの話では、「もみじ茶屋」は古くからあり、かつては長年ここを運営していた人がいたらしい。その人が辞め、次の人がやっていたが長くは続かず、一時は閉めた状態が続いていた。「デスカルガ」の社長が飲食店を始めたいと物件を探していたところ、この話が飛び込んで来て寺の茶屋を始めることになったのだという。
それが今から約2年前のこと。高校・大学と喫茶店でアルバイトをやっていた経験を買われて社員の藤田さんがやることになった。寺のすぐ下は住宅地とはいえ、いささか不便。ましてや実家から通うとなると何時に出なければならないのか。茶屋のオープンは早朝5時半なのだから電車通勤は不可能とばかりに藤田さんは茶屋の二階に住み込んで運営することに決めた。夜の寺はまっ暗。おまけにこの辺りは猪が出る。そんな環境で寺の境内に住み込もうと考えるのだから常人離れ(⁈)しているのか。
十善寺では早朝6時と7時にラジオ体操が行われる。それをめがけて100人もの人が来るのだから凄い。藤田さんの話では、寒さを感じ始めると開始時間が遅くなるとのことで、10月には6時15分、冬になると6時30分スタートとなる。その時間に合わせて茶屋もオープンを遅らせるという。
「もみじ茶屋」の横には一王山登山会の会館がある。毎日登山が盛んといわれていても、この手のものがあるのは珍しいそうだ。ここでは色んなサークル活動が行われており、山岳部はもとよりコーラス部、輪投げ部なんていうのがある。ちなみに輪投げは、船員達が長い航海の中で暇を持て余して行った遊び。こんなものがあるのもいかにも神戸らしい。「ここでは詩吟やコーラス、パソコン教室なんかが開かれており、登山者と周辺市民の憩いの場所といったところでしょうか」と藤田さんも話している。

日本一朝早い(⁈)落語会

DSCF4495

藤田さんは、この寺の茶屋に遊び心を加えている。その一例が数々の催し。2カ月に一度の割りで開かれる「もみじ寄席」は、笑福亭枝鶴さんを中心に桂かい枝さんや林家愛染さんらプロの噺家が噺を聴かせる。落語会は朝7時10分と8時10分の二回開催で、ラジオ体操終わりに聴きに来る。藤田さん曰く「日本で一番早い落語会」だそうで、噺家も早朝ここまで来るのは大変とばかりに「もみじ茶屋」に泊まり込んで準備する。噺を聴くのは無料だが、謝礼の形で聴衆は投げ銭をして彼らを労うのだ。こんな所にも古き日本が見え隠れしている。「落語会が終わると、噺家を交えて飲み会が始まるんです。ビールや酒が朝からどんどん出るために『もみじ茶屋』では飲み放題セットを作って酒とアテを提供しているんですよ」。「もみじ茶屋」のHPを開けてみると、「貸切での宴会も気がねなくお楽しみください」と書いてある。用途は色んな会合、茶話会、お誕生日会、子供会、慶事、同窓会、歓送迎会、宴会、打ち上げなどなど。プロジェクターを使用し、上映会やテレビ観戦も可としているので、まさかパブリックビューイングでもやっているのではなかろうか…?二階のフリースペースでは、“三人寄ればもみじヨガ”と題されたヨガ教室が行われている。教えるのは、花隈でハーシーダットン(タイのヨガ)をやっている「さくら美和」の桜子先生。1セッションが1万円だそうで、3人寄れば一人3333円になる。但し、スペースの関係上か最大4人までとなっている。
HP内には藤田さんのブログがあり、8月28日を見てみると、山の祭りのことが記されている。「祭りと言いながら、開始時間は朝6時半。ちょっと考えられないですが、それが一王山登山会!もう慣れました」とは、なかなか洒落がきいて面白いメッセージである。

DSCF4497

先日、この十善寺の話を神戸に古くから住む50代の男性にした。彼が言うには、子供の頃、高取山に祖父に連れられ登ったことがあるらしい。働き始めた頃にもう一度登ったが、そこで毎日登山を行う会社の大先輩に会い、ヒヨコ登山会の入会を薦められたことがあったそうだ。彼は、その名を子供の頃に聞いた記憶があり、今回私も話したので、その健在ぶりが懐かしいやら、嬉しいやらで、昭和のいい時代を思い起こしたと話していた。高取山にも一王山と同じく茶屋があり、朝から盛況ぶりを見せている。なんと9時頃には食べるものがなくなってしまうと聞く。やはり神戸の文化たるや、恐るべきものがある。朝からこれほど客が入る店が街中にあるだろうか。
藤田さんが、今年初めて祝日に制定された山の日に目をつけぬわけはないと、8月11日のブログを覗いてみた。この日は加藤先生によるサイエンスショーがあり、11時からは流し素麺。その後はヨーヨー釣りにスーパーボウルすくい、店長(藤田さん)との腕相撲大会。こんなイベントをさらっとこなしながらかき氷や料理を作っている。どれだけ段取りがいいのだろうと感心することしきり。何せ、彼の本業はラジオ番組制作なのだから…。
先月の「名料理、かく語りき」に続いて今月も「食の現場から」で十善寺「もみじ茶屋」のことを書いた。連続して書いたのは、先月書き切れなかった話があったのと、はやりこの茶屋のユニークさがあってのことだ。このコーナーで興味を抱いたなら一度行ってほしい。車なら高羽の交差点を入ったY字路(寿司店前)を斜め左へ。しばらくすると石碑が現れるから右方向へ(徒歩の場合はここを斜め左方向)走ると、十善寺のパーキングの案内が見えてくる。勿論、毎日登山が目的の場所なので不謹慎にも車で行く人はいないと思われるが…。

●十善寺 もみじ茶屋
住所/神戸市灘区一王山町12-48
TEL/078-202-7241
営業時間/5:30~14:00(月曜は~11:00)
休み/水曜日
※店主がラジオ番組の仕事をしているため、急な休みや営業時間変更がある。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい