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日本、いや世界中には記念日がゴロゴロと存在する。我が国でそれを認定しているのが日本記念日協会で、色んな所から意味のある、なしに関わらず申請が来て、きちんとしたものにはその決定を与えている。家庭での関西だしの復権を掲げる「だし蔵」(太鼓亭)も印南町(和歌山)の協力を得て同協会に「おだしの日」を申請。それが昨年決定されて10月28日が「おだしの日」になったわけである。だしは料理の基本であるし、西洋料理ではフォンが、中華料理では湯(タン)がそれに当たる。第二回目の「おだしの日」を前にして、その記念日を周知させようと、太鼓亭と神戸市東灘区の岡本商店街がユニークな企画を打ち出した。テーマは、食事の締めにはだしを。献立の初めではなく、締めにと言い出した理由とは…。まだ企画中の現時点で早くもレポートしておく。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
なぜ10月28日が「おだしの日」なのか
10月28日がだしの日になったというのは知っているだろうか。これは昨年、太鼓亭が鰹節発祥の印南町(和歌山)と連携して日本記念日協会に申請して認められたものである。太鼓亭は一昨年に家庭での関西だしの復権を掲げて新ブランド「だし蔵」を立ち上げている。その詳細については、すでにこのコーナーで紹介した(食の現場からvol.34参照)。太鼓亭では、その周知を目指すべく「おだしの日」制定に乗り出したというわけだ。
では、なぜ10月28日が「おだしの日」なのか?日本記念日協会にはこれまで数多くのアニバーサリーデーが登録されている。例えば、11月22日はいい夫婦の日だし、2月9日はふぐの日、1月5日は苺の日となっている。その大半が語呂合わせなのに対して「おだしの日」は決してそんな安易な決め方ではない。そもそも10月28日は、今から310年前に南海トラフを震源とした宝永南海地震が起きている。江戸期の宝永4年10月4日(1707年10月28日)に発生した地震は、当然津波を呼び起こし、印南浦に大きな被害を与えた。鰹節は、印南浦の角屋甚太郎が燻して水分を抜く、いわゆる燻製法を見つけ出して完成したのだが、その技術は、それまで紀州と土佐で門外不出とされていた。土佐で行われるようになったのも二代目の甚太郎が遭難し、土佐へ流れついてその技法を伝えたからである。
角屋甚太郎が考えた鰹節の製造法は、印南浦ではすでに一般的になっており、それを造る人も多かったそうだが、地震による津波は何もかもぶち壊し、鰹節を造っていた人をも路頭に迷わせた。蛇足ながら言っておくと、この地震の前に二代目甚太郎も紀州に帰っている。悲しいかな、彼も津波の被害に遭い、一命を落とした。壊滅的な打撃を受けた印南浦の人々は、鰹節製造どころではなくなってしまい、全国へ散る。そのうちの職人が薩摩へ鰹節製造技術をもたらしたために鹿児島がその産地になってしまった。今では約7割が鹿児島県で製造されている。
こういった理由から10月28日が「おだしの日」に制定された。皮肉にも鰹節の技術は、宝永南海地震を機に広まったのである。太鼓亭が「おだしの日」を日本記念日協会に申請した時に「語呂合わせではなく、きちんとした理由から決めるのであれば」と喜んだと聞き及んでいる。
だしで酒を飲むという新たなスタイル
かくして2016年10月28日は、日本初の「おだしの日」となり、「だし蔵」を中心にそのイベントが行われた。第二回目を迎える今年はどうしようかと頭を悩ませていたところへ、岡本商店街振興組合の松田朗理事長が参戦の意思を示したくれたのだ。神戸・岡本商店街のユニークさは、このコーナーではおなじみで論じる必要はない。岡本商店街が目をつけたのは、“だしをアテに一杯飲る”というスタイル。本来、だしとは、料理の初めに見せる(味わう)もので、力のある板前は献立の初め辺りに椀物を持って来る。会席料理は仏料理や伊料理に比べ、メインディッシュがないとよく言われるが、実は椀物がそれにあたる。吸い物はだしの良し悪しで決まるので、料理人にとって格好の品。自分の腕を表現するのに椀物を用いたいと考えてもおかしくはないからだ。
この流れを松田理事長らは逆手に取った。つまり食事の最後にだしを用いた一品を持って来ようと考えたのだ。一番だしの変化を楽しむのが和食のあり方だが、近年は食事の後にデザートを食べたり、香りや味のきついコーヒーを飲んだりするのが当たり前になっている。これでは後口はスイーツやコーヒーになってしまい、せっかくのだしの味を残すことができなくなってしまう。そこで「だし蔵」のだし茶漬けもそうだが、だしで一杯飲るスタイルが普及すれば、後味にもだしの味を残せると考えた次第である。
酒のアテにだしを用いるには、それなりの事情があった。だしといえば、昆布に鰹節、そしてその二つの合わせだしと相場は決まっている。ところが世の中にはいろんな節(煮干)が存在する。鯛もあれば、鰺もあり、烏賊、秋刀魚なんていうのもある。この頃では飛魚(あごだし)が一般的になったが、これとて九州のメーカーが流行らせたことによる。宗田鰹、うるめ鰯、鯖などは、うどんだしなどを作る際に用いられて来た。色んな節が出て来たのは、ラーメン店の魚介スープがきっかけで、その味の特徴を出すために業務用として流通している。
太鼓亭の稲田敦士さん(商品部長で「だし蔵」の担当)が松田理事長の所へ持って行った鰺、烏賊の煮干は、巷では売られていないものだった。煮干した鰺を粉砕しただしは、かなりの旨みを有しており、青背魚らしい個性的な味がする。スルメ烏賊を粉にしただしは、飲んでみると、炙った烏賊の味がして何となく日本酒に合いそうだった。鯛だしもあったが、こちらは上品な味で、淡い風味が何ともよかった。ところが鯛だしは、料理に用いるならいいが、酒のアテには個性が薄ろうと省いてしまい、その代わりにスタンダードな「関西だし」(合わせだし)を加えて、鰺、烏賊、関西だしの三つで酒のアテを表現しようと企画したという。かくして水もの(酒)の肴(アテ)には水もの(だし)という異様なスタイルができあがったのである。これを異風ととらえずに、新たな食文化の創出と考えたところが岡本商店街らしい。
私がこの原稿を書いている時点で、7つの店舗が手を挙げており、第二回目の「おだしの日」をユニークなメニューで盛り上げようとしてくれている。稲田さんの話では、ここに「だし蔵」の三店舗(せんちゅうパル店・阪急三番街店・ハーバーランドumie店)が入ることになるようだ。「だし蔵」は、だし茶漬けの店なので、流石にだしで一杯とはいかないが、件(くだん)の鰺だしや烏賊だし、「関西おだし」を使用しただし茶漬けのセットを考案中だそうで、うまく整えば10月28日を皮切りに11月末まで販売する予定らしい。岡本商店街も「だし蔵」に合わせて「お出しの日」フェアを計画中で、参加店や内容はこの時点ではまだ出ていないが、10月28日から11月末までだしにフューチャーしたメニューで彩られる予定なのだ。何はともあれ、日本料理の基本の「き」はだしにある。そのことを忘れぬためにも我々も10月28日は、だしが利いた一品を味わいたいものである。