23 2014年12月乳酸菌を与えて育てたプロテサン牛。脂がしつこくなく、味わいもいいと評判の肉である。神戸牛、松阪牛などのブランド牛とは一線を画したこの肉にいい醤油や味噌を使って調味すると面白いものになるのでは…。そんな思いを秘めながら阿波座(大阪)にある「セルフステーキARITA」に、またまた我がままを言ってしまった。日本料理の職人として技術を学んで来て、セルフステーキの料理長のポストに転身した市川善郎さんは、いかに私のリクエストに応えたのだろうか。彼が私だけのために創作してくれたシンプルかつ複雑な肉料理について語ってみたい。
セルフステーキARITA
(大阪・立売堀店) 料理人/市川善郎
(セルフステーキARITA)
「醤油を味わって思ったのは、
濃いという印象。でも濃厚なのに
すきっとしている。濃い味付けを
するためには、たまりを使うので
すが、これはたまりなしで十分濃
さが表現できます」
脂が胃の中に落ちて来ない(⁉)。そんな衝撃を体験
このコラムと同様に色んなところに連載を持っている。長年やっているものの中に「ゴルフ&ゴルフ」なる関西のゴルフ雑誌があり、その中で19番ホール的読み物としてグルメ紹介を書いている。ある時、同誌を発刊するカントリーライフ社の石橋社長から電話があって「ARITAというセルフステーキの店があるから取材して書いてもらえないか」と言ってきたのだ。「ARITA」自身は純然たる飲食店だが、親会社があり、それがデイリー社である。同社は青森ロイヤルホテルや京阪カントリー倶楽部、吉川ロイヤルゴルフクラブなど多くのゴルフ場を経営しており、そんなつながりから石橋社長が取材を依頼してきたのだと思われる。そのデイリー社のグループ会社にニチニチ製薬があり、この会社は業界では名の知れた乳酸菌のメーカー。伊藤園とチチヤスが共同開発した「朝のYoo」がニチニチ製薬のフェカリス菌を使っている。
ニチニチ製薬のメディア担当顧問で、ゴルフライターとして第一線で活躍している泉武さん(私も若い頃は週・月刊「アサヒゴルフ」に籍を置いていたので泉さんとは面識があった)と連絡を取り、ニチニチ製薬の安本昌吉社長を紹介してもらって、某日取材に出かけた。「ARITA」の最大の特徴は、デイリー社が経営していることから牛に乳酸菌を与えて肥育できる点で、その捌いた肉(プロテサン牛)を焼肉スタイルで提供している。本来、グルメな素材はフォアグラしかり、松阪牛しかりで健康とは正反対の飼育方法を取っており、いわば不健康なものの方が美味しいとされてきた。それが「ARITA」の肉はその逆で、乳酸菌を惜しまず与えて健康体に育てていき、それを捌いている。失礼ながら私は安本社長と会うまでは、乳酸菌を与えているといってもその旨さがストレートに肉に出るものかと疑ってかかっていた。なぜならこんな仕事(グルメ評論家)をしていると、年がら年中○○を食べさせているので美味しくなったと説明される素材に出合うからだ。そしてたとえそれがバームクーヘンを食べさせていたり、お茶やオリーブ、スダチなどを与えたところで劇的に味が変わることなんてあまりないことが身をもって分かっていたのだ。なので説明を聞いたとて「本当なの?」と疑ってしまった次第である。
安本社長に連れられ、「ARITA立売堀店」へ行き、初めてプロテサン牛なる乳酸菌を与えて肥育した牛の肉を食べさせてもらった。その驚きたるや、昨日のことのように思い出される。刺しが十分入っている肉なのに全くしつこさがなかったのだ。いくら食べてもまるで胃の中に脂が落ちて行かないような錯覚を覚えた。乳酸菌ということで腸内環境が良くなっているだろうと思い、ホルモンを注文すると、これまた旨く、一般店で出しているものより色もきれいだった。市川善郎料理長が「ホルモンが苦手という人でもうちのなら大丈夫。この店のホルモンなら食べられますという声をよく耳にします」と言う通り、肉独特の臭みもなく、内臓肉であれ、赤身肉であれ、脂がさらっとしていて胃にもたれないという感じだった。初めに疑ってかかった分、余計に旨さの印象が強く、この後、私はことあるごとにプロテサン牛の話をするようになってしまった。安本社長や市川料理長にかなり深く取材をしたので、フェカリス菌(乳酸菌)とプロテサン牛のことを書くと枚数がたりなくなってしまいそうだ。もっと知りたい人は、「フードジャーナリスト・食の現場からvol.4 乳酸菌で腸内環境を整えた牛を味わうと…」に載せているので一度読んでほしい。
前段が長くなった。ここで本論に入りたい。前文でもわかるように今回は「ARITA」の市川善郎料理長が「名料理、かく語りき」を飾ってくれる。いつもの如く湯浅醤油の醤油と丸新本家の味噌を送りつけ、「私だけのためのスペシャリテをお願いします」と頼んでおいた。「ARITA」は、セルフステーキとあるが、焼肉スタイルの店である。プロテサン牛の脂がいいものだからこれを落としてしまうのは勿体ないと網ではなく、厚さ9mmの鉄板で焼くところに他店との違いがある。厚さ9mmというとステーキハウスと同じで料理人が焼くのではなく、焼肉のように客自らが焼くので、あえて‟セルフステーキ”と名乗っている。
いつか日の目を見させたい一夜干し的牛肉
頼むだけ頼んでおいて12月の初旬に「ARITA立売堀店」を訪れると、市川料理長は自店のスタイルの中で面白いメニューを披露してくれた。こちらから「ARITA」にあらかじめ送っておいたのは、湯浅醤油の「生一本黒豆」「ゆずぽん酢」、丸新本家の「金山寺味噌」「オリーブ金山寺」「白みそ」「赤みそ」の6商品。その中から市川料理長は「生一本黒豆」と「白みそ」を選択して創作している。
市川料理長は、自店の特性をいかしながら料理開発に挑んでいる。プロテサン牛の脂がすっきりしていることから、これを醤油や味噌を用いることでさらに特徴づけたいと考えたようだ。「味噌、醤油をダイレクトに用いるならこの三品が一番いいのでは…と思ったんです。まず味のバランスを考え、醤油と肉の掛け引きをうまく表現したかったのです」と話している。その掛け引きがうまく出たのが一品目の肉の角煮だろう。これは豚の角煮を牛肉(プロテサン牛)に替えたもの。一般的に豚の角煮は、柔らかくするためにおからで蒸して脂を取ってから煮る。それが今回は蒸さずに、脂も落とさずにそのまま牛バラ肉を「生一本黒豆」醤油で煮ている。こうして調理できるのもプロテサン牛の特質があるからで、市川料理長も「普通の牛肉なら臭みがどうしても出てしまうので、豚の角煮の時のような一工程を加えないといけません」と説明している。「一般的な醤油でやったんですが、どうしても どてっ とした炊き上がりになっていまうんです。でも『生一本黒豆』だと、仕上がった時にすきっとした味になりました」。市川料理長は「生一本黒豆」に濃厚だが、味がすっきりしているとの印象を持っている。普通ならたまり醤油を用いるのだが、この醤油だとそれなしでも濃く味つけできると評していた。
一品目が醤油と肉の掛け引きを楽しむものなら二品目は味噌との掛け引きとでも表現しようか。丸新醤油の「白みそ」を用いてプロテサン牛のモモとロースを漬けており、それを鉄板で焼いて味わうという、いわば焼肉スタイルの一品であった。素人が焼く際に難しいのは焦がさないようにすること。どうしても味噌がついているので焼きすぎると、焦げてしまう。焼くというより、炙ったぐらいの方がいいかもしれない。これは味噌漬けなのでタレを漬けずともよく、噛むと味噌の甘みがしていい具合に調味されている。私がさらに感心したのは、これをジャーキーっぽく表現したもの(三品目)だ。これはスライスしたモモとカルビを「白みそ」に一日漬けておく。その後、冷蔵庫の中で3~4日寝かせる。そうすれば、カリカリに干し上るのだ。「まさに一夜干しのようになっていると思います。これは以前から商品化したいと考えていたもので、この際、試してみようかと思って作ってみました。この『白みそ』は、西京味噌のように甘さが強くないために調味するには適していました。不純物がないとでも表現しましょうか。本当に素直な味なんです。だからストレートに味が出るんですよ」。干しているのでそのまま食べてもいい。でも鉄板でほんのちょっと炙るだけで風味が増して旨くなるようだ。
一般的な焼肉屋に今回のような注文は難しい。焼肉屋は素材を食べさせる店なのでそこまでの調理技術を要さない。けれど市川料理長がこのように創作できるのは、彼がこれまで培ってきたキャリアにある。かつて市川料理長は日本料理の板前だった。三重の高校を卒業し、名張にあったホテルに修行に入った。近鉄グループのホテルで28歳まで勤め、都会的な調理の仕事を経験したくてホテルニューオータニ大阪へ移っている。当時、同ホテルにあった「城見」で5年勤めてから独立している。そして今の「ARITA立売堀店」がある場所で和食居酒屋「いってん」をスタートさせたのである。当初は順風満帆な船出だったが、7年も過ごしていると、街は変貌し、会社がなくなり、住宅地の要素が強くなった。常連だったサラリーマンが街から消え、店と街とが少し分離し出した頃、このビルのオーナーでもあり、デイリー社グループの会長である北村守さんから「いっしょに飲食店をやらないか」と声がかかったのである。聞けば、フェカリス菌(乳酸菌)で育てた牛肉を焼き肉スタイルで出す店とのことだった。せっかく和食の道で精進してきたのに自身の技術を使いにくい店に初めは躊躇したらしい。でも新しい分野に挑戦してみるのもいいかもしれないと思い直して心よく承諾し、北村オーナーの元で今の「ARITA」を立ち上げから行った。
日本料理の職人は、魚捌きはうまくても肉扱いはあまりうまくはない。それに肉屋と和食では包丁捌きも違ってくる。その技術を習得するために市川料理長は1カ月間肉屋で捌き方を学んでいる。「元来、和食の世界では長い包丁の全体を使って切るという手法を用います。包丁も切れるものを使うんです。それに対して肉屋では全く違った手法で包丁を使います。簡単に表現すると、包丁の先で切って行くんです。切るというよりすべらす感じですかね。そうして筋を取っていく。だから和食のように切れすぎる包丁では、筋も切れてしまう恐れがある。同じ包丁使いでも全く異なるんですよ」と話してくれた。
「ARITA」は今のセルフステーキスタイルではなく、初めは他の焼肉屋と同じように網目のある鉄板(油が下に落ちる形のもの)でスタートしている。ある時、日航ホテルでプロテサン牛のフェアを行うことになり、ホテル内の鉄板焼の店で肉を焼いて提供した。この時、脂の良さを再認識したといってもいいだろう。「鉄板で焼くと、味が遥かに旨くなっていたんです。柔らかく美味しく焼けることを実感し、そこで9mmの厚さの鉄板でやろうと決めたんですよ」。冒頭に記したようにプロテサン牛は脂が旨く、さらっとしている。市川料理長はその特性がわかってはいたものの、日航ホテルのフェアを通じて脂の旨さを改めて理解した。そして一気に今のスタイルに変更し、セルフステーキを打ち出している。初めは1フロアだった店も拡大し、2階に個室を造った。徐々にではあるが、ファンが拡大していった証しであろう。
「先日、店の前に立っていると、家族連れが通りがかり、小学生の子供が『ここの店、美味しかったね。食べに来た時は楽しかったね』とお母さんに語りかけていたんです。それを聞くと、嬉しくなって『ARITA』で仕事をしていてよかったなって思いましたよ」と市川料理長はしみじみと語っていた。いつかは商品化したいと話していたジャーキーっぽく干した肉もいずれは日の目を見る日が来るかもしれない。そうなれば、私が市川料理長に投げかけたリクエストも無駄ではなかったことになる。そんなことを思いながら残ったジャーキーっぽい肉を炙って噛みしめた。
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<取材協力>
セルフステーキARITA
(大阪・立売堀店)
住所/大阪府大阪市西区立売堀3-6-17
TEL/06-4391-1129
HP/ 公式HPはこちら
営業時間/11:30~14:30(LO14:00)
17:00~23:00(LO22:00)
休み/無休
メニューor料金/
極セット 4104円
極セレクション 3456円
特選サーロインセット 8640円
特選ロースセット 5400円
しゃぶしゃぶ鍋 4320円
すき焼き鍋 4320円
特選ヒウチ 2160円
特上カルビ 1944円
厚切りレバー 1080円
上ホルモン 648円
上テッチャン 886円
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。