2018年04月
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 雑誌やテレビで大隅半島のスポットをよく見るようになった。「西郷どん」などのロケでも使用され、鹿児島県もPRに勤しんでいるからだろうが、単にそれだけではここまで広まっていかないのかもしれない。桜島の南、錦江湾に面する鹿屋市は、我々関西人にとってなじみが薄い地。そんな地方都市に地域の魅力を発信すべく活躍している女性がいる。彼女は松竹芸能所属の芸人なのになぜか市役所に籍を置き、企画づくりから行っている広報官なのだ。今回は鹿児島取材で出会った芸人と鹿屋市が行った広報の成功事例について書いてみる。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
半田あかり的広報のススメ。
鹿屋に住んだ芸人が作った、
地方広報という奇跡!

大阪の芸人がなぜ地方の市役所に?!

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近年、広報戦略の重要性が語られるようになった。以前は企業広報というと、企業をよく見せるIRとか、製品を紹介する活動が主だったのに、今の時代はここに戦略的なことが加わったのだという。今後、いかに訴求していくかで売上にも影響を及ぼすし、イメージだって変わって来る。これからの時代は、物凄く広報活動が重要になって来ると某書では滔々と述べていた。広報分野で最近の成功事例といえば、鹿児島の鹿屋市ではないだろうか。同市では、ふるさとPR課に半田あかりさんの席を設け、地域おこし協力隊として彼女を活用。オフィシャルレポーターの仕事をしながら鹿屋の魅力を発信している。なので県内外で鹿屋の観光スポットなどがこの二年間で多く見られるようになっている。

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半田あかりさんを私が初めて知ったのは、TBS系「NEWS23」で。かつて雨宮塔子さんと仕事をしたことがあり、彼女に神戸のエッセイを書いてもらった関係上、パリから帰国後キャスターを務めるようになった同番組を観るクセがついた。その番組内で鹿屋市の広報活動として半田あかりさんを紹介していたのだ。半田あかりさんは、松竹芸能のタレントで、関西で活躍していた。一時は、「まんまる小動物」という漫才コンビを組んでいたこともある。芸人としての仕事ぶりはなかなかのもので、鹿屋に来るまでは、NHK「あほやねん!すきやねん!」などレギュラー出演を5本も持っていたという。
そんな彼女が鹿屋市の広報官を務めるようになったのは、以前同市の副市長をしていた福井逸人さんの発案から。福井前副市長は、鹿屋の魅力を訴求させるには、テレビ出演経験豊かで、レポーターも司会もできるタレントが必要だと考えた。そこで松竹芸能にその狙いを説明すると、半田あかりさんがいいとなったのだとか。彼女は天王寺の街中で育ち、鹿児島とは縁もない。福井前副市長は、想いを熱心に語りながら「鹿屋は日本のフロリダだよ」と誘ったそうだ。半田さんは、知識ゼロの状態で鹿屋まで来たのだが、初めて鹿屋の地に降り立って思ったのは「フロリダというより、単に道が広くて人がいない田舎」という感想。でも、他に例のない仕事だからと、カルチャーギャップを押しのけ広報活動に勤しんだ。

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半田さんは、市役所のふるさとPR課に籍がある。鹿屋に住んで一年中、市役所に出社して広報の仕事をやるのだが、まさに前例なしの仕事パターン。一時よく耳にした地域おこし隊とは異なり、こちらは一般人ではなくタレントが行っている。それに吉本興業が地方に芸人を派遣した“住みます芸人”とも違って半田さんは市の職員としてPR活動を行っているのだ。
この福井前副市長の目論見は見事に当たる。2016年春に赴任して10カ月間で、なんとテレビ26本、ラジオ17本に出演。瞬く間に鹿児島の有名人になってしまった。半田さんの仕事は、メディアに出て市のPRを行う、いわゆるタレント活動だけではない。企画を立案し、それを通してもらい具現化する、まさに八面六臂の活躍ぶり。それが県外にも伝わり、Yahooニュースに載るは、「NEWS23」で取り挙げられるはで、まさに行政広報の成功事例にまでなってしまった。かくいう訳で私も目にし、フェリー「さんふらわあ」の船内誌を書く際に「取材したい」と願い出たのである。

鹿屋はカンパチの養殖が凄い

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私が大隅半島取材で鹿屋を訪ねたのは昨年の秋。この時点でもあまりの売れっ子ぶりに取材時間が夕方の一時間半と限られたくらいだった。でも半田さんも久しぶりの関西弁に接したことで郷愁を覚えたのか、何となく意気投合。夕食に行くのにオススメの店を教えてくれたばかりか、仕事が終わってから合流して一献つきあってくれたのだ。そのおかげで当方は、たっぷり鹿屋の魅力を取材することができ、「さんふらわあ」の船内誌もいい出来のものになった。
半田さんの話では、鹿屋は牛・豚・鶏・魚・野菜・お茶と色んなものが高レベルなのだそう。牛肉は、和牛のオリンピックといわれる「全国和牛能力共進会」で総合優勝しているくらいだし、豚も「ふくどめ小牧場」で育てているものがよく、幸福豚やサルドバックはすでに有名。それを使った加工品(ハム・ソーセージ)も評判がいい。中でも有名なのは、カンパチの養殖。垂水が第一位なのだが、鹿屋もそれに次ぐレベル。市では、「かのやカンパチロウ」なるキャラクターを作ってPRし、今では幼稚園児から社会人までカンパチダンスを踊ることができるというから凄い。確かにその日に取材した鹿屋市漁協でも「養殖しやすい環境にあることから沖に生簀を430台も造り、一つの生簀で3000~5000匹育てるのだ」と話していた。古江町の漁港には、そのカンパチが水揚げされて全国へ出荷されていく。ただ関西人は、鰤の嗜好が強いせいでカンパチをそんなに口にしない。その多くは鹿児島を含む九州は勿論、首都圏を目指して旅立っていく。同漁協では、せっかくの新鮮素材を味わってもらおうと、「みなと食堂」を併設し、カンパチの料理を提供している。ちなみにカンパチの漬け丼が700円、炙り丼が800円、刺身荒煮、小海老100%のかき揚げなどが付いた定食は1200円とリーズナブル。評判を聞きつけたのか、昼は常に満席状態だという。鹿屋カンパチの特徴は、餌の中にバラの花びらエキスを混ぜているところ。同市がバラで売っていること(観光名所に「かのやばら園」がある)からしてさもありなんである。

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半田さんは、こういった細かな点を取材して自分の言葉でPRしていく。単に丸ごとメディアに投げて「あとは自分達で料理して」ではなく、企画や取材から行っていく_、そこがいいのだろう。「服装がノースリーブだと派手すぎると言われたり、書類を出さないと外出できなかったりと窮屈な面はあったのは事実。行政と芸能界では、正反対の位置にいるから仕方ないのですが、初めはなかなかなじめませんでした。けれど市をPRするのにどうしたらいいかを常に考えて企画を立案し、それを実践していく。到底芸人ではやれなかった範囲の仕事ができるのが面白かったですね。絵に描いたような田舎でしたが、いっぱい美味しいものがあって手つかずの自然も残っている。今では鹿屋が魅力的な地だと自信を持って語ることができます」と話していた。
はっきり言って大隅半島は、鹿児島市や指宿がある薩摩半島よりマイナーで、なかなか取り挙げられにくい。だが、県では大隅半島の自然を訴求しだしており、その影響もあって雑誌などが特集を組むようになった。そこへ来て半田あかりさんがその土地に暮らしてまで魅力を語るようになり、大隅半島は徐々にメジャーな観光地へ近づきつつある。彼女の二年間の奮闘が実になろうとしている。半田さんは、市役所での仕事を今年の3月いっぱいで辞めて出身地の大阪へ活動拠点を移す。先日、かかって来た電話では「でも、地域おこし協力隊の名を残して帰阪するんです」と話していた。せっかくの成功事例だけに彼女も市と離れたくないのかもしれない。広報が重要なアイテムになろうとしている昨今、他の地方行政や企業も彼女から学ぶべきものは沢山ある。大隅半島を歩き、取材して私はふとそんな感想を持った。

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