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豊岡鞄とコウノトリで知られる豊岡市が新たな観光基軸を打ち出し、町興しをしようとしている。菓祖を祀る中嶋神社が同市内にあることから現代の田道間守(たじまもり)さながら、全国から名だたるお菓子を街の中心地に集めようと企画した。その施設となるのが「豊岡1925」。昭和4年に建てられた旧銀行跡を歴史的景観を残しながらも宿泊できる施設として蘇らせた。このスイーツショップ兼ホテル・レストランは、ポルトガルのポザーダにヒントを得たもの。もしこれが成功すれば地方に眠る文化遺産に新たな光が射し込むかもしれない。
- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
宝の持ち腐れに光明を見出すかもしれない。
近代文化遺産が蘇った!
兵庫県豊岡市に「豊岡1925」なる施設がオープンした。豊岡市役所前にあるこの施設は、かつての兵庫農工銀行豊岡支店の建物を利用したもの。登録文化財に指定されている旧来の建物の趣を残しながら、今様の商業施設として蘇らせている。こういった手法(歴史的建造物を改装し、ホテルとして使う動き)は、ポルトガルで発案されたもの。ポザーダと呼ばれ、オルドビスの古城やエヴォラの旧市街の建物はこの手法によって国営の宿泊施設となり、成功している。「豊岡1925」は、ポルトガルで好評を博すポザーダを日本に取り入れており、今後の文化遺産存続に新たな活路を見い出そうとしている。
そもそも豊岡の市街地は、1925年(大正14)の北但大震災で壊滅し、多くの建物が潰れてしまった。だが、施設名となった1925年は地震の年であるとともに、豊岡が復興へと一歩踏み出した年でもあるのだ。1934年(昭和4)に建てられた旧兵庫農工銀行豊岡支店は、その復興時に建てられたもので、古き良き時代の建築物として今も街に残っていた。それを豊岡市がランドマーク的な施設にしようと、ポザーダ化に踏み切ったわけである。近年、日本では街を広げることばかりに力を入れてきたように思う。郊外にベッドタウンができ、大型ショッピングセンターが続々とオープンしたものの、街の中心地はいつしかその魅力を失い、シャッター街になってしまった。同市は、それでは街自体が衰退してしまうと考え、市街地にランドマークになるような施設を造ろうと考えたのだろう。
城崎温泉や出石のそばと、豊岡市には観光の目玉となるものが揃っている。加えて全国の80%のシェアを誇る鞄産業も盛んで、近年はコウノトリの保護と増殖にも取り組んできた。そんな豊岡市が、次なる観光基軸に据えようとしているのがお菓子なのだ。全国的にはあまりなじみがないかもしれないが、豊岡は菓祖の町とされている。遥か昔、垂仁天皇の時代に田道間守(たじまもり)が天皇の命を受け、不老長寿の珍品・非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を探す旅に出た。
波濤を越え、常世の国(今の済州島ではないかと言われている)から持ち帰った非時香菓(橘のこと)こそ、今のお菓子のルーツと考えられているのだ。苦難の末に持ち帰ったものの、その時には垂仁天皇は崩御しており、田道間守は悲しみのあまり殉死したと伝えられている。そんな田道間守を祀った中嶋神社が豊岡市内にある。同神社では氏をお菓子の神様として祀り、毎年4月の第3日曜には菓子祭を行っている。この時には全国から菓子業者が参拝に訪れ、招福と家業発展を祈願するらしい。
お菓子と1925年の旅をテーマにした新施設
「豊岡1925」は、そんな菓祖の町にちなみ、全国から名だたるお菓子を集めて販売する。そこには橘から造ったオリジナルのコンフィチュールあり、マカロンあり、クッキーありと色とりどりで、煎餅や餅菓子もラインナップされている。まさに現代の田道間守が非時香菓を持ち帰ったかのようだ。さらにレストランでは、1925年周辺をテーマにしたクラシカルな洋食を提供する。くしくも1925年は、長崎でミルクセーキが誕生したり、「北極星」の前身であった店で北橋さんがオムライスを考案(誕生年には諸説あるようだが)したり、横浜で和風カツレツが供されたりした年でもある。
そんな時代背景も含みながら「豊岡1925」のレストランでは、「1925のミルクセーキ」「1925のオムライス」「1925のカツレツ」などその当時食べられていたであろう料理をメニューの中心に置いているのだ。豊岡といえばやはり蟹とばかりに、同レストランでは蟹のブイヤベースやタジン鍋も用意している。城崎温泉がそばにある、和の蟹料理では差別化できないであろうことと、レストランのコンセプトも兼ね合わせ、そこは洋食で勝負しているのだ。
ところで「豊岡1925」の最大の価値は、文化財に泊まることにある。そのためには当然ホテル機能を持たせているわけだが、これが一般的によくありがちなホテル形態ではない。むしろフランスのオーベルジュ的要素が強いかもしれない。部屋はたった5室。文化財を改装して使うわけだから無闇やたらと手を入れるわけにはいかない。なので同じツインでも広い部屋と狭い部屋が存在する。元銀行の事務所に使用していた頃の間取りをいかしているとかで、そうなってしまったのだ。この部屋をサントリー山梨ワイナリーなどの作品で知られる中崎宣弘さんがうまくデザインし、いかにもレトロ感漂う客室に仕上げている。そのデザインをもとに設計したのは才本謙二さん。篠山・丸山集落にある農村体験型宿泊施設などを手がけてきた人物だ。彼らの思いは、いかに1925年にタイムスリップできるか。だから部屋にはあえてテレビは置いておらず、読書をしたり、音楽を聴いたりしてゆっくり流れる時間を楽しんでもらうのが狙いである。「豊岡1925」は、建物自体は豊岡市が管理しているが、運営は一般社団法人のノオトが担当するという公民連携スタイルを取っている。この点がいかにも今風である。
さて、このポザーダジャパンとも呼べる形態は、地方が抱えている歴史的建造物活用法に一石を投じることができるだろうか。もしできるならば、これまで宝の持ち腐れのようにみられていた観光資源が、一気に浮上してくるような気がする。