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知って欲しい考え方

  • 2013年8月15日日本一みそ汁を飲む、長野県は日本一長寿な訳

    湯浅醤油(有)、丸新本家の新古敏朗です。

    以前からお世話になっている広島大学の渡邊先生から、案内いただいた内容を掲載させていただきます。

    何回か紹介させていただいている味噌の話ですが、改めて大事な事ですので考え直していただきたいため

    日本人に適した食生活 ご飯と味噌汁」に戻ろう!   広島大学名誉教授 渡邊敦光

    まさかと思われるだろうが、1900年代のアメリカで一番多かった湿は胃癌であった。その後、冷蔵庫が
    普及して、生野菜を度べ始めるようになリ、食塩の摂取量が減少したことで胃癌が減少した、と考え
    られている。 我が国でも、食塩の摂取が減少したことで胃癌は減少しているが、一方では大腸癌のほか、前立腺癌や乳癌のような西欧的な癌や生活習慣病が増加し続けている。 その原因の一つとして、1954年に成立したアメリカの余剰農産物処理法案によリ、「米(米食)」から「小麦(バン食)」へと、日本人の食生活が国を挙げて変更されたために、肉や油の消費が増加したことが挙げられろ。その結果、減反政策が取られ、米穀の生産量や自給率は激減し、日本人に適した「ご飯と味噌汁」が長く忘れられてきた。 沖縄は長年長寿県であったが、2000年頃から大きく順位を落とし、今や男性は30位まで転落した。女性に関しては1位から3位へ落ち、肥満率は全国一である。主にアメリカ式の食生活が広がって来たからだと考えられている。 一方、長野県は昭和40年(1965年)代のワースト県から、平成22年(2010年)に発表された寿命ランキングでは全国でトップクラスへと変わった食生活の改善で、癌や生活習慣病による死亡率が低下したことを示している。 長野県のある中学校では、非行や不登校の生徒が多くいて大変荒れていたが、学校給食の食材に地元の低農薬の米、野菜や小魚を使い、公立学校で完全米飯給食にすると非行が減リ、公衆トイレを含めて公共施設も壊されなくなった。結果として生徒の成績も向上したと、本誌5月号にも掲載されτいる。 最近、朝型の人は米飯の摂取率が高く、夜型の人は麺類の摂取が多いことがわかってきたが、朝食は 「ご飯と味噌汁」を食べるよう推奨したい。ご飯と味噌汁にすると、お互いに足リないア三ノ醸を補え、出汁も煮千しや鰹節を粉末にしたものを用いることによって動物性のアミノ酸も摂ることが出来、さらに具沢山の味噌汁であればミネラルの補給に適している。 もっと言うならば、学校給食においても、 「パンとスープ」から早く卒業し、米食と味噌汁に変えることで、子供の現在並びに未来への健康増進につながるのではと考えている。併せて命を「いただきます」
    という礼儀を含めて、食べ物を大切にする心も育まれる。
    ところが、「味噌は塩分が多く含まれていることが問題だ」という俗説がある。しかし味噌汁1杯の塩分は、
    1,2g程度で、それほど多くない。
    さらに、塩分に対する感受性の高いラットを使った実験では、ラットに食塩(Nacl)を
    食べさせると血圧は上昇するが、同じ塩分量が入っているにもかかわらず味噌では血圧が上がらなかったという結果を、我々は最近発表した。 共立女子大の上原教授の研究室でも追試が行われ、疫学調査では味噌汁を1日2杯食べている人では血圧は上昇しないと報告されている。長寿日本一の長野県は、味噌の消費量も日本一である。以上のことから、味噌の中の塩分はNaclと異なると私は考えている.それでも塩分が気になる人は。徳川家康が常食していた具沢山の味噌汁を食べれば良いと思う。 「小麦」から「米」へと速やかに日本型の食生活に改善することは、米の自給率を上げることになリ、生活習慣病の予防につながって医療費が軽減され、字校給食を米食に変えることで、子供が成人になったときの病気が減少するのではと考えている。 以前に国を挙げて食生活を米から小麦へと変更したように、真に国民の健康を考えて、今後は「ご飯と味噌汁」へと戻す時期であろう。

    2013年9月号 むすび

    できれば、味噌は、赤系の味噌がお薦めです。
    これらの効果は、長期熟成のお味噌の方が効果か有るそうです。

    ここで、ちょっと宣伝です。
    丸新本家の味噌では、合わせ味噌、赤味噌、赤だし味噌、丹波黒豆味噌がお薦め
    天然醸造の米味噌(大豆より米の方が多いみそ)です。
    当社の味噌は、もちろん国産原料100%です。
    (ちなみに味噌には、原産国表示が無いので表示していない味噌は、基本海外原料だと考えて下さい)
    赤味噌、丹波黒豆味噌1~2年 赤だし味噌 3年以上 熟成させています。
    赤だしは、通常豆主体の八丁味噌が代表的ですが、丸新本家の赤だしは、
    米味噌の赤だし味噌ですので、八丁味噌に見られる酸味が無く癖の少ない赤だし味噌で希少品
    当社味噌は、こだわり味噌に分類されるので金山寺味噌を全面に押し出している
    丸新本家では、余り紹介してませんが隠れた逸品なのですよ。

    お客さんの声でも、昔食べた味噌に近いと言う声をいただいています。

    関連記事です。

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  • 2013年1月5日プロジェクトS(醤油) 2005年の最初の子供達との再会

    湯浅醤油(有)、丸新本家の新古敏朗です。

    2005年に始まった、マイ醤油プロジェクト (プロジェクトS(醤油))

    今年2013年1月5日に当時の発足メンバーが山田公民館に集まって、

    当時4年生5年生の生徒さんに声かけして

    その後のプロジェクトSをしました。 約8年の歳月が経っています。

    記念写真の1枚です

    その時の大西校長先生と子供達 久しぶりの再会に笑顔

     

    当時のエピソードを語りました。

    初めは、農水省の方が、私の所にゼロエミッションをしているから訪ねて来てくれ、話をして私と一緒に何かできると

    思ってくれ、小学校での醤油造りをしたいと提案しました。

    その理由は、子供の頃、この地区は、日本一のみかんの産地の教育で、湯浅醤油や金山寺味噌の教育がほとんど

    無かったこと、私の場合親からも教育を受けていなかった事。

    そのまま、大阪に2年間出た時に、大阪の人に和歌山の良さ、美味しいものの事を教えてもらい、初めて良さを知りました。

    この経験から、大人が子供に教えていないと言う反省から、学校でしょう油造りをやりたいと言うことにつながりました。

    農水省の人は、県庁の合鴨農法の水田を手がけていた人に話をして、そこから役場に声かけし、役場の人が学校をまわって

    山田小学校の大西校長先生に話をし 承諾を頂いたと言う経緯です。

    ただでさえ、忙しいカリキュラムの中に取り込んでくれた凄い校長先生です。

    教育委員会も動き、何も無いところからでしたので、補助金で種や道具を揃えていただきました。

    そして、学校応援団になる農業士さん達に声かけをして頂いて、人員がそろいました。

    農地も農業士さんが、探し求めて学校に一番近い田んぼを借りる事に成功

    着々と準備が整っていきました。

    そして、大豆作りから、食べる所までを計画し、失敗しても良いからやろう、失敗も経験しなければ成功しないということを

    学んでもらえる。

    大人は補佐をして、子供達の手でしょう油造りをさせたいと思いました。

    また、農業士さんは、別の思いが有り、自分の子供にも農業を教えていない。

    その子供は、都会に就職してしまった。

    農業の苦しさ、出来上がりを食べる喜びを認識してもらおうと、反省の意味も込めて始まりました。

    農業にも誇りを持ってもらうチャンスだと思ったそうです。

    色々な思いと、期待の中から始まった、プロジェクトS

    大豆は、豊作にはならなかったのですが、成功し

    子供達の要望でマイ醤油を作りたいと・・・・・

    考えて、考えて、考えて・・・・・

    ペットボトルで醤油のもろみを管理することを思いつき

    麹ムロは、発泡スチロールで箱を作って代用しまし、

    醤油を完成することができました。

    校長先生が変わっても、子供のあこがれの授業となり今でも続いています。

    当時の事は、新聞やNHKなど多く取り上げられています。

    これは、教育委員会の山下さんが、書いてくれた記事です。

    これらの内容を7年後の子供たち大人たちの意見をまとめてくれた 報告書です。(JTB)

    ●7 年前のマイ醤油づくり参加者(現在高 2~3 年生)の意見
    ①最初の醤油作りは大豆の植え付け、雑草取りなどをやって、2006 年 12 月に醤油を絞
    ったが醤油作りを通じて印象に残ったことは?
    ・現在、大阪の高校に通っているが、大阪の子達は醤油作りのような地域の文化を体験
    するような経験はないと聞いた。他の地域ではやっていない、そんな体験ができてよ
    かった。
    ・毎日、ペットボトルを振らなければいけなかった(大変だった)ことの記憶が強く残っ
    ている。ペットボトルを振った記憶ばかりで、醤油を絞った記憶がない。大豆を育て
    た畑の草抜きがきつかった。
    ・面白かった。小さな豆から植えて、できた醤油はすごいと思った。とても楽しかった。
    ・TV が取材に来たが、インタビューをされた時に何も答えることができなかった。
    ・醤油を絞る時のことが印象深い。醤油を絞るために押していることや味見をした記憶
    がある。絞りたての醤油を家に持って帰って食べたときに売っている醤油とは味が違
    うことに気づいた。
    ・枝豆を収穫したこと、醤油が美味しかったことを覚えている。
    ②原料の豆から作るという発想で醤油を作ったが醤油作りの体験はその後の生活に役に< /div>

    立ったか?
    ・特にないと思う。(複数の意見)
    ・豆から作ったことで、毎日食べているご飯も大変な過程を経てできていることを感じ、
    ありがたいと思った。周りに農家もあり、食べ物ができていくことに興味を持った。
    ・(当時の担任)総合学習として子供たちと一緒に外に出ることを楽しんでいた。草取り
    はしんどいと言っていたが、湯浅の伝統的な食を材料から作ることで、作り方も知る- 3 –
    ことができてよかったという感想を持った。(醤油作りが)何年も続いていることは、
    学校だけでは無理なので、色々な人たちの協力があってやっていることは素晴らしい
    と今になって改めて感じている。今思うと子供たちも幸せなことだと思う。今では湯
    浅町内の全部の小学校で醤油作りをやっている(大豆から作るのは山田小だけ)。

    ●7 年前のマイ醤油づくりに関わった大人たちの意見
    ・長いこと続いていると思っている。当時は、町の産業担当→教育委員会という異動を
    した。観光→教育→地域とのつながりという流れのなかで良い関係ができた。当時は
    小学校のカリキュラムが詰まっている中に乗り込んでいった。校長先生が快諾してく
    れたことと、県や地元の農業士会、学校応援団などもついていてくれて心強かった。
    山田地区の人の協力を色々な手立てでつながりを持ってできたから続いているのでは
    ないか?当時は、このような形で広がるとは思っていなかったことが町内に広がり、
    醤油発祥の地が発信できていると感じている。(当時の町の担当者)
    ・始めに全小学校をまわった。(大豆を育てる)土地を探すのも大変だった。山田小学校
    の大豆を作った畑は、稲を作っていた土地が空くかもしれないということで土地を見
    つけることができた。わくわくチャレンジという予算でマルチシートや絞り機を購入
    した。ここまで続くと思わなかった。取り組みの背景には、色々な人が付いていると
    いうことも大きなポイント。町の担当者として、良い仕事をさせてもらったと思って
    いる。(当時の町の担当者)
    ・始めに全小学校をまわった。(大豆を育てる)土地を探すのも大変だった。山田小学校
    の大豆を作った畑は、稲を作っていた土地が空くかもしれないということで土地を見
    つけることができた。わくわくチャレンジという予算でマルチシートや絞り機を購入
    した。ここまで続くと思わなかった。取り組みの背景には、色々な人が付いていると
    いうことも大きなポイント。町の担当者として、良い仕事をさせてもらったと思って
    いる。(当時の町の担当者)
    ・醤油を作って活動が続けられていることが良いと感じている。今は県を辞めて農家民
    泊をやっているが、有田地域とは縁が続いていて、有田地域の小学生が合宿に来る。
    自分が育ててもらった土地を汚すことが嫌で、土地を汚さない農業をやりたいと思っ
    ている。有田川や日高など他の周辺地域でもアイガモ農法やミカン作りなど色々な取
    り組みが進められている。湯浅は醤油発祥の地を伝える取り組みが続いていることが
    良い。学校の先生をはじめとして、取り組みの陰に色々な人がいたから醤油作りが続
    いているのだと思う。希望としては、今度、醤油作りをした子供たちが醤油を使った
    まちおこしをやっていってほしい。若い人が新しい発想で町おこしをやってほしい。
    (当時の県有田振興局担当)
    ・農水省に勤務している。当時、初めて新古さんに会ったとき、この人とは友達になれ
    ると感じた。それは、(町や地域のためになる)何かをやりたい、ものづくりをしたい、

     

     

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  • 2012年9月18日他社に無い技術  もう一つの美味しさのこだわり

    湯浅醤油(有)、丸新本家の新古です。

    ちょっと食品業者には無い得意技がありますので、ご紹介させていただきます。

    これです。             蔵人:(式谷さん)

    分かります?

    属に言う工作機械です。

    「えっ なんで」って思うかもしれませんが、

    これが凄く大事な事なんです。

    湯浅醤油や金山寺味噌は、酸と塩とが溶け込んだ、食品ですので、

    鉄は、「さび」に非常に弱く、モーターが動かなくなったり

      「さび」が、食品の中に入ったりします。

    そこで、登場するのが、さびに強いステンレスやチタンです。 


    また、機械メーカー鉄で作ると、寿命が短くなるため、

    修理や買い換え需要が起こるので、作ろうとしないのです。



    しかし、ステンレスは、加工が難しく、既製品が少なく別注になり

    加工業者が少なく 3倍の値段がつき

    中小企業には、頭痛の種です。

    そこで、工作機械を使い、自社設計の部品やパーツを加工します。

    上の1枚目の写真は、 ステンレス316の材料の円柱の固まりを加工しているところですが、
    下の写真は、削りだして空洞ができてきています。

     

    これを加工していくと・・・

    こういう感じに仕上がりました。 (まだまだ、途中です)

    仕上がり精度は、1/1000mmの精密さです。

    また、機械メーカに無い、アイデアや技術なので、

    他には、真似できない製品ができあがります。

    思いませんか?

    「機械メーカーは、機械は作りますが、醤油を作った事が無いんですよ。

    醤油屋さんが、開発した方が、良いの作れます。」

    これが、大手や他社に無いもう一つの

    湯浅醤油(有)と丸新本家の商品の美味しさの秘密です。

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  • 2011年8月9日魅惑の味を創造 世界が認めた「名脇役」

    湯浅醤油(有)、丸新本家の新古です。
    世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ-フジサンケイ 湯浅醤油1
    世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ-フジサンケイ 湯浅醤油2
    フジサンケイ ビジネスアイに2011年8月4日掲載されました。
    魅惑の味を創造 世界が認めた「名脇役」
    湯浅醤油
    醤油(しょうゆ)発祥の地とされる和歌山県湯浅町。ここに、こだわりの一品を作る従業員6人の会社がある。社長が「この地の伝統と魅力を広めたい」と、創業130年という金山寺みその老舗から、醤油造りのために関連会社として「湯浅醤油有限会社」を立ち上げた。
    親会社の「丸新本家」は、1881(明治14)年創業。同社専務で湯浅醤油社長の新古敏朗さんの曾祖母が、大豆や米、野菜などで作る金山寺みそを売り出し主力商品に。醤油も手がけたが、採算面などで割が合わず、昭和40年ごろまでに生産をやめてしまっていた。
    が、新古さんが大阪の専門学校で学んでいたころ、湯浅町のことを周囲からよく聞いたという。「湯浅といえば醤油」「シラスがおいしい」…。地元を離れたことで初めて知った湯浅の魅力。若かった新古さんの心に「醤油を造りたい」という思いが芽生えていった。
    ◆頑固に売り続け
    故郷に戻り、家業の会社に入って何年か経ったころ、湯浅の手前までだった自動車専用道路が南伸した影響で、国道42号沿いの土産物店の売り上げが激減。地域おこしのため、新古さんは途絶えていた醤油作りの復活を決意し、「湯浅醤油」を2002年に設立した。
    そうして誕生したのが、今の主力商品の「生一本黒豆」。
    「人と同じものを作っても埋もれる」と材料にこだわった。約1500年前に中国で編纂(へんさん)された、農業や醸造などを網羅した文献「斉民要術(せいみんようじゅつ)」に記されていたことにちなみ、国産の黒豆を採用。小麦は三重県産、塩にはミネラルを多く含む長崎県の五島列島の品を選んだ。
    だが、720ミリリットル入りで3000円の高級品は当初全く売れなかった。02年夏に販売を開始したものの、在庫の山だけが積み上がった。社内からは「半額でいいから売って金に換えろ」と非難の声もあった。それでも新古さんは「これには価値がある」と頑固に売り続けた。
    ◆海外まで口コミ浸透
    3年ほどたって転機が訪れた。「生一本黒豆」は口コミで広がり、料理がテーマの人気テレビ番組で紹介されたため大ブレーク。注文は殺到し、在庫は尽きた。驚きはさらに続く。07年夏、1人の外国人が突然訪ねてきて「工場を見学したい」と言い出した。言葉が分からず戸惑っていたが、よく聞いてみると男性はベルギー人のフランス料理シェフで、生一本黒豆を愛用しているというのだ。「大勢の仲間で、もっと使いたいから量が必要なんだ。少し仕入れ値を安くしてもらえないか」。そう言い残して帰っていった。
    実はこの男性、ベルギーでは名の知れた料理人だった。海外でも「生一本黒豆」を購入する人が増えていることを知り合いの百貨店関係者から聞いたこともあったが、「ジーンズ姿なのでただの観光客だと思っていた。それはびっくりしました」と新古さんは振り返る。
    ベルギー人シェフにとって、新古さんの醤油は「今まで使っていたのは何だったんだ」と言わせるほど高品質だったのだ。そんな味の魅力について新古さんは「特徴がありすぎると素材に勝ってしまうが、素材のいいところを引き出す『名脇役』に徹した点だと思います」。
    世界中の優れた食品などを評価する「モンドセレクション」で生一本は06年から6年連続の最高金賞。その一方で「湯浅の醤油をもっと身近なものにしたい」。だからこそ、予約すれば蔵を見学できるようにした。夢は、着実に前進している。(藤崎真生)

    蔵見学の問い合わせは((電)0737・62・2100)。

    【会社概要】
    ▽本社=和歌山県湯浅町湯浅1464((電)0737・63・2267)
    ▽設立=2002年1月(「丸新本家」の関連会社として設立)
    ▽資本金=300万円
    ▽従業員数=6人
    ▽売上高=1億4800万円
    ▽事業内容=醤油、食品の製造・販売
    □ ■ □
    ≪インタビュー≫
    □新古敏朗社長
    ■地元愛し、究極追い求める“伝道者”
    --会社の今の目標は
    「湯浅が、醤油発祥の地であり、しかも“世界一”の醤油を生んだ場所ということを広く伝え、観光地としても国内外から多くの人たちに来てもらえるようにしたい」
    --醤油蔵を見学できるようにしている
    「せっかく湯浅に住んでいるのだから、地元の小学生たちが大人になったとき、故郷が『醤油が生まれた場所』と胸を張って言えるよう、地域の伝統を学んでほしかった。私の小学生時代には全国区の『有田みかん』については学んだが、醤油に関してはなかったから、という思いもある」
    --オープンにすることで問題はないか
    「企業として、お客さんが『見ることができない』状態にすることの方が問題。きちんと誰にでも見てもらえる形にすることが従業員の意識向上にもつながる。また、お客さんに製造工程を目にしてもらうことで、醤油がもっと身近な存在になると思う」
    --海外での評価で何を感じたか
    「ベルギーでは約10店がうちの商品を使っている。さらにモンドセレクションの受賞を通じて、醤油は日本だけではないことがわかった。これからは料理人以外に、一般の外国人にも正しい醤油の使い方がわかるように伝えていきたい。海外で寿司屋に入ると、多くの外国人がぎこちなく食べているように思う。解消してあげたい」
    --無農薬大豆、無農薬小麦の栽培プロジェクトを進めている
    「世界一の醤油を造ることが目標なので、味の追求に終わりはないと思っている。無農薬・無肥料のリンゴ栽培を成功させたことで有名な木村秋則さんの弟子、折笠農園の折笠健(ますらお)さんの協力で北海道の十勝平野で栽培を進めてきた。いまは仕込みも順調で、今秋には市場に出す予定だ」

    【プロフィル】新古敏朗
    しんこ・としお 日本分析化学専門学校(大阪市北区)を卒業後、1990年4月「丸新本家」入社。2002年、湯浅醤油を設立、社長に。05年には多彩な商品作りに取り組んだ功績から和歌山県知事技術賞を受賞。名刺に刻む“称号”は「醤油を愛するまじめな職人」。丸新本家専務を兼務。42歳。和歌山県出身。
    ≪イチ押し!≫
    ■6年連続の栄冠「生一本黒豆」
    代表的商品といえるのが、高品質醤油「生一本黒豆」。6年連続でモンドセレクションの最高金賞に輝いているが、「醤油というジャンルで6年連続の最高金賞は初めて」(新古さん)という。
    一方で親会社の「丸新本家」も負けていない。貴重な「たまり」を使った「九曜むらさき」でモンドセレクションの最高金賞を6年連続で獲得。金山寺みその製造過程で、野菜の水分が仕込み桶の上に「たまる」液体を素材に造る。これを調味料として改良するのは、現在の醤油造りのルーツという。
    電話やFAX、インターネットでの注文も受け付けている。
    フリーダイアル 0120-345-124
    FAX     0737-63-5789
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  • 2011年2月28日750年の伝統胸に挑戦

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    丸新本家   http://www.marushinhonke.com
    の新古です。

    わかやま新報さんに掲載されました。

    文化・芸能

    世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ




     

    750年の伝統胸に挑戦




    ラー油ともろみのコラボ「うまいジャン」、「カレー醤油(しょうゆ)」「具だくさんの金山寺味噌」など次々に新商品を生み出している丸新本家。


    日本の醤油発祥の地湯浅にある明治14年創業の同社を訪ね、5代目で丸新本家㈱専務取締役・湯浅醤油㈲代表取締役の新古敏朗さん(41)に話を聞いた。


    「世界一の醤油を」「お客さんに喜んでもらえるものを」と挑戦し続ける根底にあるのは、伝統地元への熱い思いだった。




    見据えるのは「世界」と「地元」



    公開している九曜蔵に入るとほのかに醤油の香り。


    「もろみ」(1)をねかせ発酵・醸成させる樽(たる)12並ぶ。


    直径は約2㍍で容量は1樽約6000㍑。


    撹拌(かくはん)を重ねながら1年半から2年間ねかせると、醤油特有の色・味・香りが生まれるという。


    扱いやすいステンレス樽が増える中、同社は伝統的な杉樽にこだわる。


    杉樽は200年持ち、同蔵にはすでに130年使っている樽も。


    しかし今、大きな樽を作れる職人は減少し、長い竹を6つ編みにして杉板を締める「口輪」などを作る伝統技術もなくなりそうだと、敏朗さんはちょっと憂い顔だ。


    丸新本家といえば、モンドセレクション最高金賞を連続受賞し、ヨーロッパのミシュランシェフも買いに来る「生一本黒豆醤油」が有名だが、実は同社は長い間、醤油作りをやめていたという。


    復活させたのは、醤油発祥の地・湯浅の伝統の重みに驚いた敏朗さん。


    750年前の醤油の起源“(2)、金山寺たまりを使った唯一の醤油「九曜むらさき」を開発し、こちらも最高金賞を受賞している。


    代々、合成保存料や着色料は使わず原料・製法・味にこだわってきた。

    大豆や米、塩、梅、「ユズ、砂糖も国産や地元産だ。


    安全安心だけでなく、地元との連携を大切にする。

    近隣のあめ屋や牧場とのコラボ商品「しょうゆ飴」や「醤油アイスクリーム」もあり、地元の小学校では児童に「マイ醤油造り」をボランティア指導する。

    往時は湯浅に90軒あったという醤油屋は今は4軒のみ。

    「先人が築き上げてきた醤油づくり、その後ろで息づく伝統技術、思いや意志を伝えていきたい」「未来を担う子どもたちや湯浅の町に、醤油の文化を通していろんな形で貢献していきたい」と敏朗さんは語っている。


    1【もろみ】蒸した大豆と炒った小麦を混ぜ、種麹(たねこうじ)を加えてつくった麹を、食塩水と仕込んだもの。

    2【醤油の起源】鎌倉時代の1254年ごろ、由良の禅寺「興国寺」の開祖、法燈円明国師(ほうとうえんめいこくし)が、中国(南宋)の径山寺(さんざんじ)の金()山寺味噌を持ち帰ったのが始まり。


    金山寺味噌は健康食として広まった。


    その醸造過程でおけの上に出てくる野菜の水分(溜まり)を、調味料として改良したのが醤油の起源といわれる。




    【丸新本家】湯浅町湯浅 11種類の醤油、9種類の金山寺味噌、6種類の味噌、4種類の梅干し。


    ほか、ゆずぽん酢や柚子梅つゆ、梅マヨネーズ、紅生姜、らっきょう、黒豆じゃん、ゆずジュース、ジャム、大豆手づくり石鹸(せっけん)などなど、商品の多彩さは驚き。



    九曜蔵には年間57万人が訪れ、台湾や韓国、シンガポールからなども多い。

    見学の予約・・問い合わせは(TEL0737622100)

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい