- 湯浅町は、日本醤油発祥の地といわれ、注目を浴びている醤油の生産地です。
江戸時代、日本で最高の醤油を生産していたこの地が近年忘れ去られていました。
高度成長期の工業生産のしょうゆに押され市場を失いました。バブル経済がはじけ、歴史や本物を見直す時代が到来しました。
今も湯浅の醤油が健在し、最高の醤油を最高の職人が醸造し、世界一をめざして頑張っています。
本当に美味しい醤油をお届けします。
- つくる
- 代々受け継がれている信条は、「ええもん使って、真面目につくる」ということ。
- 伝える
- 醤油発祥の地、和歌山県湯浅町の伝統と技術、そしてなによりも先人の想いを伝えていく。
- 貢献する
- 醤油づくりを通じて地域社会の発展と、
次世代を担う子供たちに地元を誇らしく思う気持ち=気づきを提供する。
私は平成14年に湯浅醤油有限会社を設立いたしました。
最盛期(江戸時代)、この醤油発祥の地である和歌山県湯浅町には92件の醤油屋があったといわれております。
ところが日本中で昔ながらの醤油屋が廃業を余儀なくされているのと同じく、当時、この湯浅においても片手で数えられる程の醤油屋が残るに過ぎない状況となっておりました。
同様に、親会社である丸新本家(株)も様々な理由により醤油づくり、醤油事業を縮小させており、気付いてみると醤油という日本の食文化を代表するものが生活からかけ離れたものへと変貌してしまっていたのです。
最盛期(江戸時代)、この醤油発祥の地である和歌山県湯浅町には92件の醤油屋があったといわれております。
ところが日本中で昔ながらの醤油屋が廃業を余儀なくされているのと同じく、当時、この湯浅においても片手で数えられる程の醤油屋が残るに過ぎない状況となっておりました。
同様に、親会社である丸新本家(株)も様々な理由により醤油づくり、醤油事業を縮小させており、気付いてみると醤油という日本の食文化を代表するものが生活からかけ離れたものへと変貌してしまっていたのです。
- ・醤油の伝統を絶やしたくない。
- ・本物の醤油を世界に広めるべきだ。
- ・醤油を身近なものにしたい。
そんな熱い想いがふつふつ湧き出てきて止まりませんでした。
そして周囲の反対(「失敗するに決まっている」「今から醤油屋なんて絶対無理だ」)を押し切ってはじめたのがこの湯浅醤油有限会社です。
数えきれない程の試行錯誤とスタッフの助け、なによりもお客様の支持により少しずつ”想い”を”形”にすることができて参りました。
- ・古式製法×丹波の黒豆使用の
「生一本黒豆醤油」、専用醤油ブームの
はしり「カレー醤油」の成功 - ・ヨーロッパの有名すご腕シェフ達の使用、
モンドセレクション金賞受賞 - ・見学ができる醤油蔵、小学生の食育の一環
としてのマイ醤油づくり
“想い”に終わりはありません。
今後ともひたすらに本物で最高の醤油を「つくって、伝えて、貢献」していけるように精進して参りたいと存じます。
変わらぬご指導ご鞭撻の程宜しくお願いいたします。
- かつて存在していた湯浅醤油株式会社(私の中の湯浅醤油のシンボル)の
復興と発展、醤油発祥は、ココという事を伝えるため
湯浅醤油有限会社として平成14年に法人登記しました。ロゴマークの由来は、
永遠に光り輝く太陽とYUASAのYを合わせた印です。