湯浅氏の数と湯浅町 2 (湯浅姓の由来)
2010年7月5日
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湯浅姓の由来
湯浅の地名は、平安時代の『和名抄』に在(有)田郡五郷の中に「湯笠」の
古名があり、これが「ゆあさ」に転訛したものと考えられる。
天仁二年(1109)の藤原宗忠の旅日記の中に「登ル保津々坂、次二由和佐、里ヲ過ギル」
とあり、鳥羽上皇の熊野詣の久安三年(1147)の記録に「由笠御宿」とあるが、
翌年の記録には同地が「湯浅御宿」となっており、次第に「湯笠・由笠」から
「湯浅」に移行してゆくのが判る。
平安時代中期以降、荘園の発達につれ、現地にあって荘務をさばき、貢納を運上する
有力者が現れてくるが、有田地方では土地名を姓とした「湯浅」氏が勃興してくる。
その上、紀州の熊野三山に対する朝廷・貴族の信仰が厚く、熊野往還の交通の要衝、
物資流通の拠点として湯浅が重要視され、湯浅氏の責務も重くなり、名も知られるよう
になる。
この湯浅氏の名が初めて登場するのは『粉河寺縁起』で、それによると「康和元年
(1099)藤原宗永(湯浅宗重の父)が山中に入って見事な八重桜をみつけ、
これを粉河寺に寄贈、故に湯浅桜という」とあり、今もその桜が境内に植継が
れている。
この説話は、既に宗永の頃には、湯浅氏の勢力が粉河寺付近にまで及んでいることを
物語るものでもある。
筆者 垣内先生
協賛 湯浅町・湯浅町観光協会・深専寺
湯浅氏と湯浅町より