紀州湯浅の特産品 三宝柑
2010年4月24日
湯浅醤油(有)の新古です。
今回は、湯浅の特産品を紹介します。
三宝柑
三宝柑とは、茎の付け根がふくらんだデコポンに似た形で黄色い皮の大きめのミカンで、1個が250g~300g程度の大きさで、皮は剥きやすい。
果肉はさわやかな甘さを持ち、たいへん美味しいのですが、皮が厚い分、果肉が少なく、種が非常に多いのが欠点です。
ただ、皮は苦味がなく、春らしいさわやかな香りと鮮やかな明るい黄色をしているので、季節を伝える食材として料亭などで茶碗蒸しの容器などにも使われます。 房は、結構分厚いです。
ジャムにすると非常に美味しいものが出来ます。
収穫時期は、2~4月頃です。
当社のお店でも、収穫期には、農家さんが来て店頭販売している事が有ります。
栖原三宝蜜柑の由来
三宝蜜柑は本県では海草郡、日高郡、西牟婁郡でも、多く産出するが、それらにくらべて、有田郡は産額においても、断然他郡を押さえているが、ことに栖原産はその芳味において、他地産追随を許さないものがある。
三宝蜜柑の世に知られるようになったのは、江戸時代文政年間(1818~29)である。まったく偶然的に実生でできた変種であった。和歌山藩士野中為之助の邸内に発生したもので、あまりに珍しかったため、藩主徳川治宝に献上したところ、非常に珍重がられて「三宝蜜柑」の名称をつけて、藩外移出を禁止された。藩内においても、近侍のもののみに栽培を許したが、一般人の栽培を許可しなかった。だから厳重に棚をめぐらして、盗難を防止したほどであった。当時吉備町田口の出身大江竜眠は、治宝侯の右筆をつとめていたので、その愛好が深かった。三宝蜜柑の穂の分与をうけて、その庭内に接木したものが、漸次に有田郡内にひろがったのだという。明治十三年栖原の千川安松、田口の大江城平より三宝蜜柑の穂を得て、湯浅町栖原に移植したのが、栖原三宝蜜柑のはじめである。そして地味の適良と栽培技術の優秀とによって、ここに全国産出の四割を占めて、芳醇ですぐれた三宝蜜柑の産出を見るにいたったのである。
湯浅町誌より