世界一の醤油をつくるために 4
2010年4月26日
湯浅醤油(有) 新古です。
黒豆が無い! どっちの料理ショーの取材が決まったのに
まずは、丹波の農家から聞き込みましたが、この年は、不作なので
こんな時は、まず農家から無くなるそうです。
湯浅醤油 生一本黒豆を生産するには、致命傷でした。
次に、豆問屋さんを当たりましたが、これも無かった。
丹波豆ところか、北海道の黒豆も無かったのです。
あきらめずに、人づてに知り合いの黒豆の納豆屋さんから豆が有ると聞き
何とか手に入れることが出来ました。
デレクターさんと電話で打ち合わせをして、私と父とで出演と言うことに決まっていました。
ところが、撮影日前日の朝、 父がお腹が痛いと言い出して苦しんでいました。
あまりにも痛そうだったので、父に母を付き添いにして
湯浅町内の胃腸外科に 無理矢理 車で送って行きました。
ところが、先生が胃腸では無いので近くの市民病院に転送され
心筋梗塞だと診断されました。
この後、ドクターヘリで和歌山市の医大病院に空中搬送されました。
そして、緊急オペが始まったのです。
私は、その次点では会社で、明日の撮影の準備をしていましたので 全く知らされていません。
母から電話が入り、手術をしていると言うことだけが、情報で入ってきました。
「え~」 何で? 聞いてみると母は、先生から説明を受けていたのですが、
あまり意味が分かっていなかったようでした。
夜に病院に行くと、父はポンプ三台を使って生命維持をしていたんです。
心臓の血管が4本の内3本が詰まっていたそうです。
20分遅かったら死んでいたと聞きました。
ヘリコプターで飛んだのが大正解で、車で搬送していたら間に合わなかったと聞きました。
とにかく一命をとりとめたので一安心でしたが、まだ 血管は詰まった所を残した状態で
とりあえず処置を済ませた状態でした。
一応成功でしたが、いつどうなるか分からない状態でしたが、母の説明は、
楽観的でたいした事が無いように私には伝わったのでした。
夜でしたので、直接主治医から話を聞かずに帰路につきました。
この状態で、次の日に「どっちの料理ショー」の撮影が始まりました。
撮影当日、デレクターさんに事情を話をしたのですが、
その場で、親子のシナリオを変更して、職人さんの式谷さんと出演することになりました。
このとき社員全員が、今の状態を知った状態での
しょうゆの麹造りの3日間と桶への仕込みの撮影が始まりました。
さすがに、デレクターさんからてきぱきと指示をしていただけたので
無事撮影を終える事が出来たのと
父の状態が、悪くならなかったのが救いでした。
この3日間、こうじのムロの管理が有ったので、私は、病院には行けなかったのでした。
また、病院の母からは大丈夫だとの報告で 安心していました。
先生の話を聞いていなかったので、深刻な状態が伝わらなかったのが良かったのかもしれません。
後から聞いたのですが、結構やばかったと言うことでした。
それから、ポンプが1つ外れ 2つ外れ回復に向かいながら、手術を繰り返しながら
回復に向かっていったのでした。
この間に、番組側では、編集作業が着々と進められていました。